柚子林檎熟したハナシ。



 地元のお祭りなんて、いつぶりだろう。
 北斗は少し呆然としたような気分で考えに浸った。
 最後に友達と行ったあれは、何年前だったか。中学生だったから、少なくとも7年くらいは経っている。中学を卒業すると行動範囲が一気に広がるので、地元で遊ぶことは減り繁華街に出かけることが増える。だから、北斗の住む地域でやる、小規模な神社に並ぶ夜店に盆踊りといったどこにでもあるお祭りよりも、もっとメジャーな花火大会にばかり行くようになった。そっちを知ってしまえば、もう地元のお祭りなんかあまりに小さくてつまらないもののように忘れても、仕方のないことだった。
 それが、今年になって急に地元のお祭りに行くことになったのには、訳がある。
 実は3ヶ月ほど前、偶然小学校時代の友人と再会する機会があって、数人で遊んだ。その時がきっかけで、微妙な関係の相手ができた。当時は意識などしたことなかった相手だったから、最初は「あれ、こんな子だったっけな」程度で仲良く話していたものが、徐々に北斗が彼女を気に入っているという話としてメンバーに伝わった。そのせいか何度も遊ぶ機会を作ってくれ、北斗と彼女はいつも2人にさせられた。
 だから多分このまま付き合うことになる気がしてる。だって周囲はもう公認扱いだし、早く告れとか言ってくるし、相手も待ってるとか聞かされて、これで付き合わないとかありえないような気がするのだ。何となく始まったものであったものの、周囲に押されてるとそれなりに気持ちがふくらんでいくみたいで、北斗も何だか必死に彼女の気を惹こうとしてる。だとしたら、誰のための誰の気持ちなのかわからない変なものを背負わされ続けるよりは、自分の意思で付き合うって決めたほうが、もっと楽になれると思うのだ。
 そんなわけで、友達が次の会に夏祭りというイベントを選んだ時、北斗が告白するタイミングは決定された。地元の祭りは自分たちにとって懐かしい思い出の1つでもある。みんなの意図が嫌でもわかるだけに、失敗したくないと思った。
 そんな一大イベントを目前にしてなんとなく落ち着かないせいか、北斗は今日、神社までの道をくるっと歩いてきた。
 地元の商店街は、祭り前の少し賑賑しい雰囲気が出ている。有志の提灯がずらりぶら下がり、神社の表参道までずっと続いている様子が感じ良く映って、なかなかのものである。
 そのまま通りをまっすぐ抜けると、鳥居をくぐって境内になる。商店街の端から少し広場のようになった神社の境内まで、ずらりテキ屋が並ぶ予定で、既に何軒かは店が立って、準備しているのをまばらに見ることができる。地元の女子中学生が巫女踊りを練習している姿も櫓上に認め、目的も忘れ懐かしさが増した。そういえば今時期は小学生や町内会は学校や会館で盆踊りの練習をしているはずだ。次々と呼び覚まされる記憶に、北斗の心はいつしか時を遡っていた。
 お社の正面に来て、何となくお参りしておこうと参詣した。5円玉を引っ張り出し、とりあえず恋愛成就を祈る。祭りの雰囲気を出すために商店街が流している音楽が遠く耳を掠め、蝉の鳴き声も日暮れに変わるのが郷愁を誘って煩わしい。薄暗い神社の木々の合間から落ちる西日は肌を焼き、暗い湿った土からはじっとりとした空気が北斗のうなじをひと筋の汗として流れてく。祈りが済むと、なぜだか気持ちが傾いた。いったん眉をしかめ、神社を一周して帰ろうとそそくさ歩き出した。
 砂利道をざくざくと踏み、狭い通路を通って社の裏側に出た。こちら側は屋台は出せないらしく、提灯も殆どないので余計に薄暗く物悲しい。そういえば――。どうでもいいことを思い出して北斗は軽く眉根を寄せた。神社の裏はこういう場所なので、祭りの夜になると、狭い場所だというのに薄暗がりにカップルが湧いたものだった。で、子供の頃、軽い悪ふざけで覗きしたことがある。クラスの男女数人で祭りに行き、わざと裏側に行こうなどと誰かが言い出して、見に行ったわけだ。そのくせ、イチャイチャしている姿をまともに見るのが恥ずかしいから、それを誤魔化すために、茶化したり馬鹿にするようにヤジを飛ばして。だんだんエスカレートしてくるとスーパーボールや、ひどい時は食べ物を投げつけるとか……ぶち切れた彼氏に追い掛け回されたこともあったような。
 今思うと阿呆らしい。子供というのは大人の想像のはるか斜め上を行くもんだ。ああ、そのせいで変なジンクスまで生まれてたっけ――え? 自分で思ってわけがわからない。北斗は混乱する。ジンクスってなんだ。そんなものあったのか。いや、あったらヤツら――祭りに誘ったヤツらが、この祭りなんかを選ぶわけない。だって、まさに一緒に覗きをした連中なのだ。そんなものないとわかりつつ、ひっかかる。
 ……思い出せなかった。
 余計なことは色々と浮かんだが、肝心なことはダメだった。北斗は曖昧な思い出をあっさり手放すことにしてこの短い探検を終えることにした。まあ今時の小学生はもっと進んでるから、邪魔なんてするはずもない。むしろカップルでわざわざここへイチャつきに来るかもしれないなと結ぶ。
 そう思ってはたと、自分もカップルで来る予定なのだったと、頭に血がのぼった。
 気恥ずかしくなって、庭をあっという間に駆け抜けると、何にも思い出さなかったふりをして家路へ急いだ。
 帰ってきて自室で身を投げ出していると、本当に告白しにあそこへ行くのか、という気持ちが大きくなった。
 ……好きな子に、告白する。
 本当は不安なこころを隠すように、何と告げようかばかりを考えた。



 祭りの当日は大した夏日で、出かける前に冷水を浴びても襟足に汗の浮き出るような暑さだった。
 待ち合わせの場所へ集まると、数人の女子に紛れ、同じく浴衣を着て緩やかな笑みを見せる彼女の姿があった。
 やんわりとした視線は北斗のそれを捉えて舞うように逃げる。恥ずかしいのだろう、でもよく似合っていた。それを声にすることはなかったけれど、何度も見ることだけはしておいた。全員が揃って出発する時、誰かが北斗の背中を叩いて励ましてきた。こそりと囁かれる数々の言葉が静かに心の底に沈んでいき、さすがに緊張感を生んだ。今日告白しなければならない、と思うと、どこかぎこちなくなった。
 全員が奇妙なテンションで、あれこれ騒いでふざけたり店をひやかしたりしながら、境内までやってきた。しばらく自由行動にしようなどと言われて、わかりやすく彼女と2人きりにさせられた。北斗は何をどう喋っていいのかわからず、ただぐるぐると参道や境内を回った。食べ物を買ったり、射的をしたり。彼女も大人しくそれについてきた。しばらくそういった時間が過ぎた。
 不意に、彼女の歩き方がぎこちないのに気がついて、どうしたのかと尋ねた。すると彼女は、履き慣れない下駄の鼻緒で擦れたのだと言った。対処法がわからず、とりあえずどこかに座ろうという話になって、場所を探してまわった。そのうちに、神社の裏の方まで来てしまって、北斗はパニックになった。
 こんな場所でいいのかと振り返れば、なぜだか彼女の顔が見えない。いつの間にか助ける形で腕を貸していて、眩しい櫓の光から逃れるように、自分は彼女をどこかへ引いているのだ。北斗はぼんやりとして、遠のく光を体で意識する。足が止まらないのに、頭が追いつかない。
 すっかり夜のそこは、社からの少ない光とわずかに提灯がぶら下がって、ムードを楽しむ人たちがいるばかりだ。微かに聞こえる祭囃子と賑わい、その喧騒から少し離れた夢と現実の狭間。奥まった植え込みの合間合間の影で、人目もはばからず熱い抱擁やキスする男女がたまに見えて、北斗の心臓は一気に跳ね上がる。
 いい場所は全部恋人たちで埋め尽くされていたにもかかわらず、僅かな隙間を見つけて強引に座らせる。それがまるで、何かを狙ってやっている行動みたいで、ますます焦りを生む。
「大丈夫」
「うん」
 無理やり問いかけても、何ができるわけでもない。
 周囲は、もう自分たちの世界しか見えてない。
 誰がいようが、お互い様でしょと、恋人の方だけを向いて、気にしない暗黙のルールに染まっている。
 こうなったら自分も、それに染まって、忘れてしまうしかないのだろう。
 顔はあげられない。
 息遣いが降ってくるように間近い。
 目の前で座っている人のことだけを考えなければ。
 その他のことなど全部見えないふりして、ただ目の前にいる人のことだけを見なければ。
 名前を呼び、あのさ――
 ――どん、と背中にぶつかられたことで、夢から醒めたようにそちらを見た。
「あ」
 相手の声と同時に、彼女の浴衣にべたりと何かがひっついた。
 どろり、と自分が手にしていた水飴が落ちてる。中の赤いスモモが綺麗な浴衣に染みを作った。その様子を目にして、北斗の中に瞬間的に過去が蘇った。

『昨日お祭りで騒ぎ起こしたでしょ』
『知らね。でも、金色のスーパーボールが当たったら結婚するけど、赤は別れるんだぜ』

 縁日の日、境内を歩いていた相手に問われて、得意げに吹聴してるのは
 ――俺だ、小学生の俺がゆずに……
 突然浮上した懐かしい名前に、北斗自身がびっくりしたくらいである。
 ゆずとはもう随分会ってない。北斗の家の近所に住む1つ年上の女の子で、子供の頃に親交というかちょっとした付き合いがあったくらいの人間である。年上だったというのもあるし、中学に上がった頃から何だかそれまで通り接することができなくなってしまったのもあって、以来ずっと疎遠になっている。北斗も子供だったのだが…。思い返せば鬱屈した気分になっているほどに不安を感じて、北斗はTシャツの首元をつかむ。ひどくイライラした気持ちが止められないほど溢れてきた。それはかつて必死に忘れようとしたものとそっくりで、北斗を反抗的にさせる。
 そうだ、北斗はとても嫌いだった。ゆずのことなんか、思い出すだけで腹立たしかった。だから忘れようと必死になった。そして忘れた。二度と思い出さなかった。それなのに今、北斗は思い出している。何かと結びつけようとしている。何でだ。何で今思い出すのだ。今は彼女に告白しようとしてたんだ俺は。でも邪魔されて――それは……それはただの、出来事だろ。今あることを、無理やりにもただの出来事として位置づけるため、北斗は現実の、汚れた浴衣の染みをじっと見おろし……青ざめる。
「ごめん、ハンカチ濡らしてくる」
 彼女の返答も聞かず急いで駆け出した。じっと黙っているなんてとても耐えられない気分だった。完全に失ったタイミングと、水飴のべっとりとついた浴衣が怖かった。とにかくあの汚れを落として、みんなで合流しよう。別に焦ることはない。失敗なんかじゃない。何にむしゃくしゃするのかもわからず、北斗は携帯で友達を呼び出した。出た相手は陽気に『うまくいった?』などと聞いてきたが、北斗は淡々と誰か絆創膏持ってないと聞いた。北斗があまりに暗いので、話を聞いて慌ててみんな集まることになった。さっきの場所に戻ると、彼女はじっと泣きそうな顔で座っていた。一瞬すがりつくような勢いで顔をあげたのに、北斗が背中に友達を従えてるのを見つけて、すぐに元の表情に戻った。北斗も、気まずい空気を感じて目を逸らした。
 その後は、ぜんぜん頭が働かなかった。2人がぎくしゃくしているのを感じてか、周りは無理に関係ない話題で明るくしようとしていたが、知らぬ間に消えていた彼女に気づくと、疑問をぶり返した。呆然とそれを見送っている自分も、何であんなことになったのかとか、今すぐ探して追いかけろとか言ってる周りも、遠い出来事のようだ。殆ど帰るつもりで踏み出した足はでも、別のものを見つけて、びっくりするほど動かなくなった。
 変わってない。全然変わってない。北斗がまとわりついてた頃とも、無意味に苛立っていたあの頃とも。さほど記憶と違っていない風景に怯える。その中で彼女は、浴衣を着て、誰か知らない人物の隣りで楽しそうに笑っていた。誰かの隣りで、笑っていた。その姿が、北斗の中心で、あの頃の、恋人たちを邪魔していた頃のモンスターを蘇らせた。
 金縛りが解けたようにすぐそばの夜店に行く。遊ばなくていいからくれと、金を渡し、強引に2つ、水風船をもらい受ける。それを手にして、北斗はまっしぐらに記憶に突き進んだ。息が苦しくて、不快な汗がまとわりついてた。

「金と赤、どっちがいい――」

 出した声は切れ切れで、相手がさっと振りあおぐ。その顔が、驚愕に見開かれたのを見越してから北斗は、目の高さにある2つの水風船を持つ手に力をこめた。爪を立て、ぐっと握る。割れたのは1つだけだった。音がして、破けたゴムから水がはじけ飛ぶ。
 びしゃっと、相手と自分にかかった水が、また何かの記憶へとつながった。次から次へと、忘れていたことばかりが数珠つなぎに蘇る。初めて意識した異性なんか、思い出したくなんかなかった。それが、今も有効であるなんて、知りたくもなかった。北斗は手に残った残骸を苛立たしげに投げ捨て叫んだ。

「割れたのは赤だ――赤だ――ゆず」

Fin