君に落ちる7日間 7

                      

LAST DAY (first)

 それからクリスマスまで、あっという間だったと思う。
 毎日毎日、何をしてるかわからないくらい、味気ない日々だったから、何にも覚えてない。空白。
 クリスマスイブの日も、渋谷さんから電話がかかってこなかったら、私は1日中家で寝てるつもりだった。
 すべては、ほんのタイミングなんだろうなって思う。そのとき、電話に出るつもりもなかったから、鳴りっぱなしで、けど、渋谷さん何度も何度もかけてきて、全部にメッセージ残してて。いったいいまさら何の用事だろうと考えて、この間のこと、怒ってるのかなとか、まだ何か、言われるのかなとか暗い想像を巡らして、最後には電源切っちゃおうかなって思ったところで、留守電に変わったメッセージを吹き込む渋谷さんの声が耳に入ってきたの。それを聞いて私は、電源を落とすことをやめて、慌てて電話に出てた。

 殴るって、垂坂さんのこと、殴りに行くって、どういうこと?

 渋谷さんの声は、明るくも、楽しくもなかった。怒ってすらいないような淡々とした口調で、ただ同じ言葉を繰り返すだけだった。
 私はなんで渋谷さんが垂坂さんを殴りに行くのかがわからなくて、何度も聞いた。そうしたらようやく、渋谷さんが、俺を止めに来ないなら、もう行くと言い出して、私は慌てて荷物をかき集めて、家を飛び出した。
 渋谷さんが今いるというのは、皆でよく集まっていた場所だった。怖くて、何が起こってるのか理解できなくて、私がこうしてる間に、渋谷さんはさっさと行動してしまうのではないかって不安で、少しの時間でも間を詰めようと焦るけど、過ぎ去る方が早かった。
 私が真冬だというのに汗をかいて現れると、案外、渋谷さんはちゃんと待ってた。すごく不機嫌そうな顔をして、私を見るなり、手首をつかんで歩き始めた。どこに行くのか聞いても、何があったとか、どうしたのかとか、なんにも説明はなくて、一瞬渋谷さんは私を騙してふざけてるんじゃないかとさえ思った。

 着いたのは、お客さんでいっぱいになった、例の、ケーキ屋さんの前だった。
 はたと――垂坂さんはクリスマスにシフトを入れていないという羽鳥さんの言葉を思い出して――私は訝った。
 ところが、渋谷さんに「あれ、見て」と言われて――その視線の先に、行列のできている店内の人混みの僅かなすき間に、垂坂さんの顔を見つけて――なんで、どうしているのという思いと同時に、本当に、渋谷さんは垂坂さんを殴りにきたんだって急激な恐怖を覚えた。私は、渋谷さんの腕にしがみついて引き止めようと体を強ばらせた。
 渋谷さんの力はひどく強かった。止めようとする私を無理やり店内にひきずりながら踏み込むと、大声で呼ばわった。

「垂坂あ! 出て来い!」

 楽しい雰囲気の店内で、そんな騒ぎを起こして、お客さんたちは一瞬で静かになったと思ったら、さあーって私たちから離れた。それなのに渋谷さんは気圧された風もなくて、また同じことを叫んだの。急にぽっかり輪の空いた場所を、垂坂さんの信じられないようなものを見る目が見つめてた。その中に、渋谷さんと、渋谷さんの腕にしがみつく、私の姿があるって思うと、恐ろしかった。
 垂坂さんはすぐに、見たこともない剣呑な表情で、接客していたお客さんに断って、ショーケースのこっち側に出てきた。当然怒っていて、さすがに口調はやわらかさを消してなかったけど、営業妨害だと、渋谷さんに冷たく言った。その中には当然私も含まれていると感じて、泣きたくなった。どうして。どうしてこんなことするの。何が起こってるの。私は混乱し続けた。
 渋谷さんがもう一度大声を出そうとしたから、垂坂さんはすごい勢いで渋谷さんと私の背中を店の外へ追い出した。渋谷さんは抵抗しなかったから、私たちはあっという間に店外に放り出された。すごい怒ってるってわかるくらい、あの優しい笑顔が消えてて、青ざめてた。店を出た途端、なんであんなことするんだって強ばった声で渋谷さんを問いつめた。私は何を返していいのかわからなくて、ただ俯いてた。そしたら渋谷さんは、まるで空気読めてないくらいに妙な調子で言ったの。「俺はサンタでもキューピッドでもねえ!」って。
 むしろ怒られてるのは垂坂さんみたいな雰囲気で、渋谷さんがそんなことを言うものだから、垂坂さんは呆れたようになって、すぐに目を吊り上げて「ふざけるな!」って怒った。そしたら渋谷さんが「ふざけてるのはそっちだろう!」って怒鳴りかえして、そのままつかみ合いの喧嘩になるんじゃないかって感じになった。お店の中の人も通行人も慌てて、私がなんとかしなくちゃいけないんだって、勇気を出して「やめて!」って言った。何回も何回も、気づいたら泣きながら、そう言うしかできなかった。
 私が泣き出したせいか、2人は意味のわからない喧嘩は止めてくれた。だけど垂坂さんは渋谷さんと私を同罪だと思ってるし、渋谷さんはそっぽを向いてるから、私はこれ以上どうしていいのかわからなくて、1人で泣き続けた。みっともないってわかってたけど、止められなかった。
 垂坂さんが「彼女を連れて早く帰れ」って強ばった声で言うのが聞こえた。その声がまるで、私を憎んでるみたいに聞こえて、足がすくむくらいだった。ところが、さっさとお店に戻ろうとする垂坂さんを見て、渋谷さんは言った。

「こいつ、なんで今日、バイトしてるか知ってる?」

 垂坂さんがびくって立ち止まった。また全然関係ないことを言ってる? それとも理由があるの? って、私、視線をあちこち泳がせた。もちろん答えなんてどこにも見つかるわけないのに。

「ほんとバカ。おい垂坂。いいもんやるから、さっきのチャラにしろ」

 渋谷さんは垂坂さんの肩つかまえると、その胸に、何かのチケット2枚、押し付けて、それで――
 その絵柄に気づいた時に、渋谷さんの手が私に向かって伸びたのが見えた。私はそれをまともに受けて、どんと跳ねとばされた。あらぬ方向に――

「一緒に行く相手はこの子。わかったか? バカ坂。うじうじみっともねえことしてんじゃねえよ。じゃあ俺は帰るからな」

 はっと、なった。
 垂坂さんの方に押し出された私は、立ち去る渋谷さんを見送る余裕もなくて、咄嗟に支えてもらった垂坂さんに、久しぶりに忘れていた軽い熱のようなものを感じた。間近に迫って、垂坂さんが押し付けられたチケットを今度こそはっきり見ることができたし。これって、渋谷さんがいつか行こうって言ってた――。
 それから、久しぶりに会って、何か気まずいような、もやもやとした曖昧な状態で放り投げられた私たちの間の空気に、しばらく呆然とした。
 垂坂さんも悩んでいたのかな――小さく、本当にぼそりと、呟いたから。「渋谷のこと追わなくて、いいの?」
 私にしたら、渋谷さんがしたことが、私のためなんだと気づいてしまった後だったから――……何も言うことができなかった。ただ、目の前に居る人のことで精一杯。頭の中がぐちゃぐちゃ。
 それでも、また、急激な罪悪感が現れて、私は――私は必死で言葉をつなごうと思ったの。
 羽鳥さんは――羽鳥さんが――って。
 また、ぽろぽろ泣けてきたんだけど……垂坂さんが急に、私の頭に手を置いて、ゆっくり撫でてくれたから……もう我慢ができなかった。ずっとずっと、この手が頭の上にあったらいいのにって気持ちを、隠すこともできずに、抑えることもできずに、ごめんなさいって。ずるくて、ごめんなさいって。本当は、羽鳥さんの気持ち優先させなきゃいけないのに、私にはできませんって。いっぱい謝って、泣いてた。
 まるで魔法の手みたいだったの。乗せられた瞬間から、おさえてたもの全部が流れ出して、でもそれを受け止めてくれるような垂坂さんの手がすごく温かくて。今この瞬間だけでも幸せだと思ってしまえたの。
 羽鳥さんの気持ちとか、渋谷さんの気持ちとか、全部無視できるほど強くもないってわかってる。だけど、この気持ちに嘘を吐いたまま垂坂さんと向かっていることなんてできない。嘘を吐けないなら、せめて想っていることだけは認めてほしい。本当の気持ちすら否定しないで欲しい。
 いつからこんなにわがままになったんだろうって、言った。自分が最優先なこんな人間、嫌ですよねって。
 垂坂さんの手がいつの間にか頭から消えてて、そのかわり、俯いてた私の顔に、涙をぬぐうように、触れてた。そうして、垂坂さんに名前を呼ばれた。はいって返事したら、俺は荷央ちゃんの気持ちを優先してほしいって声が聞こえた。びっくりしてちょっとだけ視線をあげたら、垂坂さんのいっぱいいっぱいな顔が見えた。ううん、いっぱいいっぱいなんて言い方、違うんだけど、顔中に複雑な感情が折り混ざってるみたいで、まるで、その感情全部が私にまで伝わってくるみたいに溢れてて。なんだか垂坂さんと、ぐぐっと、気持ちが重なったように、クリームに包まれたスポンジみたいに、その感情で満たされたの。
 それから、優しい声が教えてくれた。今まで逃げてごめんね。渋谷と羽鳥さんの気持ちに挟まれて、悩んでた。荷央ちゃんは渋谷のとこに行くんだと思ってた。だから荷央ちゃんが許してくれるなら、一緒にいたい。4人の間のことは、ゆっくり皆で一緒に、解決してけばいいと思う。私は、垂坂さんに言われてる言葉が、半分も理解できなくて、おどおどと、わかりませんって返してしまった。それは、いい意味ですか、悪い意味ですか。そんな風に、馬鹿みたいに、聞き返しちゃうから……きっと呆れられたかもしれない。でも笑った顔が見えた。久しぶりに、ショートケーキのステキな生クリームみたいな、ふんわりした笑顔が、夜、バイトが終わるまで、待っててくれる? そしたらじっくり、たくさん、話したいことがある、って告げた。