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 もうすぐクリスマスだ。
 クリスマスときたら、彼氏と過ごすのが当たり前だろう。恋人と過ごすクリスマスはなにはなくとも楽しいに決まってる。彼氏がいい男ならなおいい。
 真理(まり)の彼氏はその点すごくカッコいい。
 誰もがはっと見返るような容姿で、ひと目ボレしてからしつこくしつこくしつこくしつこくモーションかけ続けたのちようやく付き合ってもらえることになったくらいの人だ。
 そういう力関係だから、当然彼の方が強い。強くて、関白系。いや、関白であることがいい。だってそれくらい、真理にとってはすごい彼なのだから。
 ふだんはちっとも優しくない。誕生日もスルーだったし、デートだって彼の気分次第。手とかもつないでくれずにポケットに突っ込まれてる。一度寒いふりをしてポケットに手をねじ込んでみたら、「服が伸びる!」とものすごく怒られた。帰りだって彼の路線の方を優先して、家まで送ってくれるなんて話はない。むしろ、離れ難くてついていってしまうのは真理の方だ。そんな真理を、「子犬みたいだな」と彼は笑ってくれたから、それでいいことにした。
 そういうのを全部友達に話すと「えー!」と呆れられる。でも気にしない。だって彼は、特別な人だから。そんな簡単に付き合ってもらえるような人間じゃない。もともと、愛情を小出しにするのではなくどかんと爆発させてくれるタイプなのだろう。その証拠がこの指輪だったりする。カルティエで買ってくれた。お互い学生なので、こんな高級なものをやりとりするとは想像してなかった真理には、衝撃的で、また彼氏への畏敬の念が強まった。誕生日プレゼントがなかったくらいのこと、吹き飛んだ。ちまちまセコいプレゼントをくれるより、一括どどーんと、こういう方がサプライズが強くて嬉しいんだ。一緒に買いに行った時のあの喜び。嬉しくって薬指にはめようとしたらものすごく変な顔されて「は? その指にするの?」と言われたから慌てて中指のサイズに変えたけど。でも、中指にはめられるってことは薬指にも使えるってことで。つまり、いろいろ楽しめてお得な方を彼氏が選んでくれたってことだ。
 そういう人なのに、意外にも束縛は強い。バイト先は男がいるようなところはダメって言われたし、飲み会も行くことは禁止されてる。たとえ女の子だけだと言ってもすごく嫌な顔をするので最近友達とすら飲みにいってない。携帯に男子の名前があるなんてもってのほかで、服装とか髪型にもすごいこだわりを持ってる。将来は化粧品コーナーのお姉さんになりたいと言ったら言下に否定された。
 そんなわけで、真理は今、初めて一緒にクリスマスを過ごす彼氏に、豪華なプレゼントを用意すべく必死でバイトに励んでる。
「真理ちゃんは本気で、そんな彼氏とクリスマス過ごすのかな?」
 じーっと真理の顔を見ながらそんなことを言ってくるのは、本来女子しかいなかったはずのこの店に、のこのこ履歴書を持って押しかけてきた経歴を持つ、唯一の男だ。
「私に話しかけないでくださいって、いつも言ってるんですけどぉ」
 休憩室で広げていた雑誌を、顔の前に持ってきて視界を塞いだ。
「俺にした方がいいって忠告してるのになあ、真理ちゃん」
「真理ちゃん真理ちゃん気安く呼ばないでっ」
 雑誌に指を引っかけて顔をのぞかせる相手に、真理はぶちぎれた。クリスマス特集のページがぐしゃりと歪む。
 男の名は結城(ゆうき)なんちゃら。下の名前は忘れた。フツーっぽいのに、喋りと雰囲気とセンスで、女をおとしまくってるような男だった。このバイトを選んだのも女の子ばっかりだからで、彼が採用されたと聞いた時はその図太さに呆れたものだ。でも、ああだこうだ言ってはいるが、本当は、彼と仲が悪かったわけではない。全ては、真理に彼氏ができてからのことなのだ。
 真理が今の彼にひと目ボレするまで、実は結城と、ちょっとだけいい雰囲気のような時期もあったりする。
 いや、いい雰囲気だと感じただけで、確信はない。別にお互い、告白したわけでもないし、何かあったわけでもない。ただ、真理がそう思っているだけかもしれないことだ。言えるのは、真理の気持ちが彼に蔵代わりして、結城とは険悪とまではいかないが、あまりいい関係ではなくなったってことだけ。よくはわからないけど、結城はとても嫌味っぽくなったから。真理も、バイト先の唯一の男と仲良くしてあらぬ誤解を受けたくないために、結城に近づかなくなった。
 そのくせ、結城は彼氏ができる以前にはなかったこれみよがしな誘いを、やたらと真理にしかけてくるようになった。彼氏がいる真理に対してなんて、どういうつもりか全然わからない。超カッコいい彼氏から奪ったと言えば聞こえがいいからかもしれない。クリスマスも近いし、手に入らないものほど欲しくなるタイプなのかもしれない。いずれにせよ、本気で真理のことが好きだとは信じられないその行為に、真理は神経を苛立たせている。
「そもそも、彼氏の顔以外で気に入ってるとこなんて、あんの」
「気に入ってるなんて言い方しないで。全部! 全部、好きなんだから」
 再び顔の前にページを見開く真理に、安っぽいテーブルに肘ついた結城なんちゃらの執拗な攻撃が続く。
「そうかねえ。見てると、付き合ってて楽しいっていうより、大変そだし。その指輪だって、1回失くしたこと言ってないみたいだし」
 雑誌の陰からじっと睨む。バイトの時は指輪ができないので、チェーンに通して首にかけてる。その指輪を、シャツの上から意識して、苦しくなる。
「失くしたのを言えなくて、こっそりおんなじの自分で買ってくるなんて、俺だったらありえねえかな」
 そこでばしっと、雑誌を机に叩き付けた。
「違うったら。誰だって彼氏からのプレゼント失くしたなんて、フツー言えないもん。それで脅してるつもりなら私は、」
「俺は別に、脅しなんてこと、しないし」
 ぶすりと頬杖をつく顔に、こちらはくちびるを尖らせた。
 こんなやばいことをこの男が知っている理由は、お粗末だ。買い直してるところをうっかり見られてしまったためである。ない、ない、と大騒ぎして5日。どこで失くしたかも思い出せず、考えられるのは、出先で手を洗う時に外して、そのまま洗面台に置いてきてしまったということくらいで、高価なものだけに、落とし物として期待するのは難しかった。しかし、次に彼に会う時にしていなかったら怪しまれると思った真理は、貯金全部使い果たして買い直すはめになった。それでも、彼に嫌われるよりはマシだった。ところがバイトの後買いに行ったのはまずかった。不釣り合いな高級ブティックに出入りする真理の姿を見られたのが、よりにもよってこの男だったとは、いいネタを提供してしまったことに他ならない。
 おまけに、クリスマス、年末年始と、なにかと物入りなこの時期のかなり痛い出費は、バイトを増やすしか解消法が見つからない。できるだけ結城なんちゃらとはシフトがかぶらないようにしてたのも、水泡に帰した。こうして休憩がかぶるのも、大問題には違いないのだ。
 指輪を失くしたのさえこの男のせいな気がしてきて、ふつふつと腹の底が煮え立つ。
「ねえ、結城くん、バイト辞める気ない?」
「ああ、それも内緒なんだっけ? 真理ちゃんは大変だね、秘密が多くて」
「結城くんさえいなければ、秘密にすることなんてないの」
「彼氏、異常だよ」
「愛ゆえの束縛だもん。私は嬉しいし」
「嬉しいんならそっちがバイト辞めれば? 約束破ってんの自分だし」
 正論を言われて、ムカムカとした。誰のせいだと思っているのだ。
「詭弁なんだよ、そんなの。女に言うこときかせたいだけじゃんか。『俺様』でないと、気が済まない感じ」
「そういう自分だって、どうなの。女の子を落とすことばっか考えて、本気で付き合ったことなんかないくせに」
「そっちこそ、とうてい本気には見えないけど」
「知りもしないくせに、よく言えるね」
「じゃああんたは俺のなにを知ってるっていうんだよ」
「結城くんのことなんて、知りたくもない」
「だったら、俺が本気か本気じゃないかなんて、わからないってことだろ」
「わかるから。どうせ女の子がいっぱいいるからとかでこのバイト選んで、クリスマスにひとりじゃ淋しいからとかで女の子くどいて、自分の評判プラスになる相手とかで決めてるの。そういうオーラむんむん出てる」
 真理がそこまで言うと、結城はちょっとだけ傷ついた顔を見せた。さすがに言い過ぎたかと考えたが、そういうのもたぶん、テクなのだろうと思い直し、気づかないふりをした。
 結城はふうとわざとらしい溜め息をこぼして、座っていたパイプ椅子から立ち上がった。
「真理ちゃんは可哀想だな」
「は?」
「カッコいいやつと付き合うのに、我慢を強いられることは特典かなんかだと勘違いしてる。俺はたしかに今までけっこう遊んできたけど、少なくともそんな馬鹿げた無理強いしたことなんてない。本気で付き合うとなったら、絶対にそんな理不尽は要求しない」
「なにそれ、自己アピールですか」
「そう思ってくれてかまわないよ」
 真理はたじろいだ。これだけ言ってもまだそんな呆れたことを言えるなんて、相当図太いに違いない。結城は気分を害したらしい表情でぽいとゴミ箱にペットボトルを捨てると、休憩室を出て行った。残された真理だけが、嫌な気分に晒されてるようだった。
「なに……勝手言ってくれちゃって…」
 そうは思いつつも、自分の方が悪いような気がしているのは事実だった。
 それを認めるのが嫌で、真理は、ぎりぎりまで、休憩室にこもりきりだった。