雪についた君の足跡を追う



 今日は1日、朝から調子がおかしかったんだって。
 携帯の目覚ましが止まってて寝坊したでしょ、遅刻ぎりぎりだから世界記録更新で走ったのに電車が止まってて意味なかったでしょ、走ってたらブラジャーつけ忘れに気づいたでしょ、あとこれ、この頭の寝癖直んないの。それから先生に渡す例の挨拶原稿忘れて2、3時間目はずっと内職して、この寒いのに体育やって、着替える時靴下みぎひだり長さ違うの気づいて――わかんないだろうけどブラなしはやり辛かったんだから。そうそう「若白髪だ」って友達に引っこ抜かれた髪の毛が黒3本。1度に3本。痛かったー。むしろそっから白髪生えそうだった。そうそう最悪なのがコロッケパン目の前で売り切れてそれがどう考えても横入り…ぎゃっ! マヨコーン落ちた〜〜ウェットティッシュウェットティッシュぅ――(5分後)――えっとなんだっけ? ああそうだあれよあれ。見てよ外を! もう3月も半ばだってのに雪ですよ雪、これだから田舎は信じらんないって思うのよ。今朝慌ててたから傘持ってないっていうのにどういうこと――

「ちょうやってらんない」

 疲れきったぐったりした仕種で私が訴えると、いつもお昼を一緒に食べてる生徒会仲間は絶対に同情して慰めてくれる。今日みたいな半日の日でもだいたいここに集まってるから、ここへ来れば気分良く帰れるのは当然だと信じてる。だって補正予算とかでぐあーってぶち切れそうになった時だって、資料作りに夜遅くまで残った時だって、お茶とお菓子がタイミングよく出てきて、面白い話とか聞けて帰る頃には嫌なこと全部忘れてたから。必然、今日みたいな日は期待するでしょ。そう、ここにきてもまだ私の今日はおかしかったんだって。

「あのさあ会長、普通、男に向かって『ブラジャー忘れた』とか平気で言う?」

 ちょっと困ったような呆れたようなつっけんどんな態度で副会長がお弁当箱にふたしたのに気づいた。たぶん恥ずかしかったんだと思う。でもしょうがないよね。ここまで災厄が重なって、訴える相手が副会長1人だなんて思わないでしょ。いつもはこの生徒会室にみんな仲良く集まって食べるのに、どうして今日に限って副会長と私しかいないんだろ。相当数の疫病神が憑いてるとしか思えません。ためしにあちこち目を凝らしたけど、雪のせいで寒い室内に生徒会特権で買った暖房がしゅんしゅんと音を立てて響いてるだけ。お茶担当係の書記の子が持ってきたやかんが、せっせと暖房の上で湯気を吐いてるのが辛うじてそれらしく見えたくらい。

「他に誰もいないに、じゃあ誰に言えばいいの?」
「そんなのは、クラスの女子にでも…」
「言えない! 恥ずかしい!」
「……」

 そんな顔しても無理。私が素直に正直になんでも言えるのは、生徒会のメンバーだけだから。クラスのみんなは私のこと「立派なやり手の生徒会長」だと信じて疑ってないんだから。私はその期待を裏切っちゃいけないの。生徒会長がみっともない真似をしたら必ず予算が乱れるって、先々代会長の偉大な遺言です。
 その反動かもしれないな。ここに来た時の私はいつだって泣き言ばっかでだらしがなくって文句ぶうぶうですぐに「ヤクを! 誰か私にヤクを頂戴!」ってお茶とお菓子をせがむわがままばっかりの人間なんだ。対して周りは天の配剤、よくできた人たちばっか、私が騒ぎ出す前からあれやこれやとやってくれたし、ペーと言えばパーと阿吽の呼吸で返ってくる素晴らしさ。そんな居心地の良さに甘えてるから私はますます手に負えない人物になる悪循環を繰り返しちゃうんだよね。でもそれが嬉しいのも真実。学校にオアシスでメッカでサンクチュアリな場所があるっていうのがさ。
 想いは裏腹、めそめそぐすぐすと頭を机にこすりつけて窓の外を眺める。朝はただ曇ってるだけだったのに、突然降り出した雪に「予算減らしますよ」って言っても無駄だから。ただ目で追えば、ぼた雪の重そうな塊が落っこちてきて、道をどろどろにしてる。あれじゃあ帰りは靴もどろどろで、体も濡れるの決定かなあ。あったかい蒸気に満たされたこの部屋にいると、外は灰色の混沌だし、一生出て行きたくない気がする。

「まあこれでも飲んで、機嫌直してくださいよ」

 目の前に、いつの間に淹れたのかムラのない色をしたカフェオレが置かれた。可愛いマシュマロが浮かんでるところが心憎いと思った。パッと光がさす。さっすが副会長私の腹心気が利くぅ、とは言わないけど、私は飛びついて熱い飲み物に舌を焼いた。もちろん猫舌のくせに出されるとすぐ口にするという私の短慮を十二分に熟知している生徒会の面子は、温度まで完璧に管理してくれるから火傷するなんてこともない。舌と体に、ぽかぽかとした液体が侵略。

「ああ〜幸せ」
「菓子もございます」

 差し出されたのは大好きなバームクーヘン。高級で長蛇の列に並んでも買えないことがある滅多にお目にかかれないやつ。どれもこれも好きな物ばっか。うわこれ蝋でできたサンプルとかじゃないよね!? んーおかしいな。お菓子監督係の脳内リストにはどれもストックにはないものだと表示されてるよ。いえ食べますよ、むしろもう返しませんよ。それでも疑惑に似た感情を拭えずに『どういうこと?』という目線を副会長に向けてみた。彼はすぐに「会長のことならなんでも」と窓に視線を逃がす。湯気で曇ったガラスに副会長がひとさし指で落書きするのを見てると浮かぶ。曇りの取れた向こうに薄暗い景色。私の大切な世界は繭でくるまれ守られてるんだ。彼もその中にいる。それとも彼は繭の一部? ぼんやりとした副会長の指の動きが眠たげに弧のような形を描く描く描く。

「会長の乗る電車が止まった、って情報が入った時からまあこんなことになるんじゃないか、って」
「でもそれ以外のことは予想つかなかったはずでしょ」
「備えあれば憂いなし」
「でもこのバームクーヘンは普通には買え…」
「まあいいじゃないですか、会長の好物なんだから」
「そうやって甘やかすから私が堕落するのに」
「そういうの逆恨みって言うんだよ」
「私はね、今年こそ心身ともに立派な会長になろうって夢で誓ったの」
「へえ」

 馬鹿にしたように副会長は手を止めた。私は眉をひそめてもぐもぐと咀嚼をやめない。ただいま侵略者と戦争中。玄妙な舌触りの甘い生地がどしりと舌に広がり、かぶさるようにカフェオレの程よい苦みがほろほろと落ちる。芳醇なカカオの香りが甘味を連れて鼻を抜け、マシュマロが円を描く至福の時。ああ、誓ったけれどこの誘惑には勝てない。どうせ私は口ばっかりの会長ですよ。がぶりフォークに噛みつくと副会長は急に笑った。

「でもさ、ここでだけ素をさらけだしてくれる会長が実は嬉しいかな――なんて思ってたり」
「んぐっ」

 恥じらいも遠慮も会釈もない見事な負けっぷりをきめていたところへなんだかわからないドキリとした感情が横入りする。しゅんしゅんといまだ湯気を吹き上げているやかんと外の雪だけが動いて、その他は時間を止めたように静寂。

「今日、何の日か知ってる?」
「疫病神の日」
「違うよ。ホワイトデー」
「は」
「ほんとはさ、さっきの嘘。電車が遅れようと遅れまいと、関係なく用意してた。他の面子来たらどうしようって思ってたけど、雪のお陰で助かった」
「や、なに言って」
「ホワイトデーに、会長にあげようと思って。それ全部、用意してきた」
「だって! 私、バレンタインはもらうばっかで、誰にも何もあげてないし、こんな、こんな」
「いいんだよ」

 副会長はぎぎ、と椅子の音を立てて勢いよく立ち上がると弁当包みを抱えて戸口に向かう。嘘、こんな状況でおいてかないでよ。そんな余裕の笑みなんか見せちゃって、ちょっとお願い、勘弁してよ!

「俺があげたかっただけだから、会長に」
「やや、ちょっと、副――」
「じゃあね、会長。傘は俺の置き傘使っていいから」
「待って、待ってったら!」

 ばたんと閉じられた扉の内がどうしようもなく恥ずかしい空気で満たされてる。やだ、やだ、私お菓子こんなに食い散らかしちゃって、ブラしてないとかって! だから今日は1日調子がおかしいって言ったじゃない。どうしよう、どうしよう……!
 急激に上がる温度がいっこうに冷めず、居たたまれないほど熱い気がして、私は急いで窓を開いた。一生出て行きたくないと思った外はいつの間にかしんしんと白い世界を築き始めており、やかんの湯気がふうわり逃げてくと思いの外暖かく感じられた。思い切ってこの部屋から出て行くべきなのか、それともこのまま居座るべきなのか結論はまだまだ出そうにない。


終わり


novela 【あたたかい雪】エントリー作品