バレンタインの神様



 今日がどんな日かってことぐらい、あたしにだってわかってる。

 まだまだ午前中の学校の屋上は、風がひどく冷たくて寒くて、どうせだったらお天気も悪くなっちゃえばよかったのになんてぼんやり考えながら、フェンス越しの校庭とか体育館の屋根とか見下ろした。
 学校に来てすぐ、教室へは向かわずに真っ直ぐここに来た。
 だって見たくないもん。
 そう思っていたのに、最初の休み時間には早くも建物裏の隙間とかで始まってるからダメージが深くなる。
 今日この日まで、あたしはとってもユウウツだった。
 そう。今日はバレンタイン。日本のお菓子メーカーの陰謀の日。
 2月になったらどのお店も前面にチョコレート、チョコレート、チョコレート。おまけに1つがすごく高いし、かといって値段下げるとなんかちょっとグレード下がった感がすごいし。別にケチってるわけじゃない。無理してあんなちっさいのしかあげられないんだったら、やらない方がマシって言ってるだけ。
 大体さ。こんな世の中の女の子の半分が告白に走るような日に渡すのって、ちょっとどうかなって思う。猫も杓子もって感じで、あたしはヤダ。
 試しに寄ってみたデパートはどこもかしこも女、女、女。
 お菓子売り場も特設会場も、すごい怖い鬼の形相で人のこと突き飛ばして我先にショーケースの前に並んで買ってく女の人ばっか。そんな姿を見てたら、色々幻滅。あんなんでもらったチョコなんて、絶対呪われてるって。
 あたしだったらもっとスマートにしたい。いやするよ。
 そう思うのだけど。
 そのスマートな日はちっともやってこなくて。
 ずるずるずるずる想いばっか引きずって。
 世の中バレンタインで熱々ではしゃいでるのにあたしはすごく冷めてて。
 結局チロルチョコの1つも買えないまま、この日を迎えて。
 サボんなら学校来なきゃいいのに。こんな寂しい学校の屋上なんかに一人できちゃって。
 ……そうだ。あたしにだって好きな人の1人や2人…1人いるのだ。
 文句ばっか言ってるくせに、うっかりチョコレート売り場に行ってみちゃったりするようなやつが。
 本当は、友達がみんな手作りやすごい有名なところの繊細なチョコレートを喜々と用意してるのを見て、ちょっぴり羨ましいな、なんて思っちゃうくせにさ。
 あげないのぉ〜? なんて言われて、あたしはそういうイベント、パスなんてカッコつけちゃったけどさ。

 ……あーあ、バッカみたい。

 ばかばかばか
 ひゅるりひゅるひゅると吹く風がとても冷たくて、ほっぺたがつんとした。
 わざと日陰に入ってみたり出たりを繰り返して、それ以外に何にもすることがなくて、つまんなくて、ひとりぽっちで、寂しかった。
 地上では熱気むんむんラブが充満してるのに、屋上までは届かないんだなんて拗ねてみた。
 こんな日、こなきゃいいのに。

 今日何組のカップルが誕生するのかな……

 くだらない計算だ。
 計算してたらまたあいつの顔がチラついた。
 あいつにチョコ渡してる自分が思い浮かんだ。
 恥ずかしくって死にそうだった。
 チョコレート。あたしには買う勇気さえなかったチョコレート。
 だって、買ったらあげなくちゃならなくなる。あげたら、告白することになる。そんなの無理。絶対無理。できるはずがないもん。
 でもチョコがあれば「好き」って言わなくていい。「好き」なんて言うくらいなら、チョコ渡す方が100倍楽。今日しかそれは通じない。今日渡さなきゃ、それはただのおやつになっちゃう。1年で1日だけの魔法なのに、あたしにはチョコレートがない。

 ……神様、あたしはどうしたらいいんですか?

 また来年のバレンタインが巡ってくる頃にはもしかしたら、あんなやつにだって彼女ができちゃうかもしれないと思ったら、絶望的な気分になった。
 ああもう駄目ってフェンスに頭を押し当てた時、頭に何かがぶつかった。

「イタ!」

 何なのと頭をさすりさすり見回したら、びっくりすることに地面に小さな箱が落ちてた。

 えっなんで!?

 あたしはその可愛いラッピング包みにものすごく度肝を抜かれた。だってそれはどう見ても、友達が「すんごい美味しいんだって〜」なんて言ってたチョコレート専門店の包装紙だから。どう見てもプレゼント用チョコレートの箱なんだもん。
 ゆっくりと手にするそれは、パッケージの上からも甘いいい匂いがするように思える。
 そおっと鼻に近づけてくんくんと嗅いでみる。やっぱりチョコの匂いがするような。
 いやチョコだ。
 多分チョコ。
 絶対チョコ。
 っていうかチョコ以外ありえない。

 もしかして…チョコを買う勇気のないあたしに神様がくれた、とか

 そんなアホみたいなことを半ば信じつつ、これは神様があたしに届けてくれたチョコレートという名のチャンスじゃないだろうかなんて、本気で考えてみる。
 あたしはごくりと唾を飲み込んで、キョロキョロとした。
 だってここは屋上。誰かが下から投げ飛ばしたなんてありえない。
 屋上はしんとしてて、授業時間の今はあたしの他誰も見当たらない。
 ここにはあたししかいないんだから、誰かが落としたとも考えられない。だとしたら、天から降ってきたってことだよね。やっぱ。

 神様があたしに、くれた…

 一応、もっかい確かめてみようと、箱を裏表してみた。手紙とかは、ない。
 でもどう考えてもあんまりにいい匂いがするから、そっとあけて自分で食べちゃうかと考え直した。
 だって、こんなどこからやってきたかもわからないもの、あげるのはまずいし。本来あたしはこれを誰にあげる必要もないわけで、あげるとしてもそれは自分の意思でなわけで、そもそもあたしは誰かにあげようなんて考えてはなかったわけで、多分神様があたしにくれたもんなわけで、異物混入の恐れがあるかもしれないわけで…。
 ――それで勇気のないあたしは、リボンをそっと引っ張ろうと指でつまんで引いてみた。
 そしたらどっかから「ばか!」って声がした。

「!?」

 キョロキョロしたけど、誰もいない。

 え、本当に神様!?

 あたしは固まったまま、目線だけ動かして辺りを窺う。嘘、どうしよう。本当に神様なわけ。突然神様が現れたりしたら、あたしどうすればいいんだろう。神様ってあれかな。やっぱり髭の長いお爺さんで、白い変てこな服着て杖持ってんのかな。

 …嘘嘘嘘。だって神様なんて、そんな馬鹿な話。

 またごくんと唾を飲み込んで、試しにあたしはチョコの箱を頭上高く突き上げ、そしてフェンスの向こうに放り投げようと大きく振りかぶった。

「うわばか!」
「かっ…神様!?」

 思わず声高に尋ねてしまっていた。
 そしたら、ぷ、って笑い声がして、近くのボイラー室の陰にチラッて人影が見えた。

 ――やっぱ神様じゃないー!!

 カァーッて顔に血が昇った。信じられない。神様だと一瞬でも思った自分を恥じて「誰だ出て来い!」と大声をあげた。そしたらタタッって走り去る音がして、やっぱり人間か! とますますムカついた。こんな風に人をからかうなんて、最低だ。あたしは待てコラと走って追いかけ始めた。
 ボイラー室を回ると、すぐに人の後ろ姿が見えた。おまけに生徒だった。だって神様がうちの学校の制服着てるはずない。恥ずかしさが怒りのパワーとなってかつてない速度で追いかけた。けど逃げ足が速い相手はあっという間に屋上の出入り口から校舎の中に消えてく。ドアがバタンと閉まる前にあたしはドアノブをつかんだ。中に入ると階段を駆け下りてるとんだ神様人間がまだ見える。授業終了の鐘が鳴って教室からワッと生徒達が溢れ出したのにも怯まず、あたしは必死で見逃すまいとその背中を追った。

「待ちやがれー!!!」

 頭にすっかり血が行き過ぎて、相手をとっちめることだけしかこの怒りを消火できないと思った。相手は人込みに紛れたつもりだろうが、一瞬振り返って、その際最低なことに、あたしに向かって「へらっ」て笑いやがった。「へらっ」て。「へらっ」て!!
 爆 発

「お前なんかこれでもくらえぇぇっ!」

 神様を信じたあたしの純情乙女心を返せーーーーーー!!!

 あたしが投げた箱は、あたしたちの追いかけっこに恐れをなして丁度花道を作っていた生徒の間を抜け、真っ直ぐにあいつの頭めがけて飛んで行った。
 そうだ、あたしを馬鹿にして、あたしの頭によりによってチョコを投げつけたのは、何を隠そうあたしが恋の相手に思い描いていたあの大馬鹿者だったんだ!
 あいつはあたしの心を踏みにじったんだ!!
 もうあいつなんて好きじゃない、嫌いだ、大嫌いだ、ばかやろうだあっ ――ぱしっ

「サンキュウ。ありがたく受けとるよ」
「…はっ!?」

 あたしの思い切り投げた箱を軽々と片手でキャッチしたやつは、にこやかに微笑むと、手にした箱をカタカタ振ってへっへーなんて言いながら、勝手にどっかへ行ってしまった。

「ちょっ…と待ちなさいよ!」

 そんな風に言いつつも、何がなんだか、あたしはわからないままただ呆然と立ち尽くしたまんまだった。
 あいつ、何て言った?
<サンキュウ。ありがたく受けとるよ>

「受け…とるよ?」

 ぽかんとするあたしとは裏腹に、世界は目覚しく動いている。
 そしていつの間にか大きなざわめきになった廊下の中、あたしの周りには友達が集まってて「良かったね! 良かったね!」なんて楽しそうにはしゃいでる。一体何が良かったわけ。だって自分で寄越したお菓子を受け取って、それであいつは――

「ちょっと、いつの間にあんなチョコ用意してたの!」
「バレンタインなんてパスって言ってたくせに、あんなすごい告白見せ付けられて、びっくりしたよ〜」
「大胆だねえ。こんな人込みで告白なんてさあ」
「『これでもくらえ』はすごかったよねー! 新しい愛の形?」
「でも受け取ってくれたもんね! すごいじゃん! カップル成立じゃん」
「き……」
「き?」
「キヤアアアアアアアアア!!!!」

 あたしは走った。ものすごい速さでその場を逃げ出した。

 信じられない!!
 信じられない信じられない信じられない!!!

 やっと気が付いたのだ。さっきの状況、周囲にいる生徒達から見たら、どう見えるか。
 ――恋の鬼と成り果てた女子が1人、チョコレートを持って男子を追い掛け回し、無理矢理渡して告白した。
 サァーっと血の気が引くかと思ったのに、顔は赤くて熱くて、もうこれ以上の恥なんて絶対にないと思った。

 ありえない! ありえない! ばかはお前だ!!

 今さらどう取り繕っても無理だろう。説明したところで誰からも信じてもらえるとは思えない。あいつは、自分で用意したチョコレートを私に投げつけて、告白させたのだ!!

「最低だ!」

 あたしは学校の外へと飛び出しながら、何度も何度も言った。

「最低、ほんと最低! 大ばかっ」

 だけど。
 ちょっとだけ笑ってしまわずにはいられないのはどうしてだろう。
 あんな頭のおかしいことするなんて、ありえないって思うのに。
 今日がお天気でよかった。
 今日がバレンタインで。
 そしてやっぱり。あのチョコレートをくれたのは、神様だったのかもしれない、なんて考えたりしたのだ。


終わり