玉響の


 カチャンと小さな金属の弾かれる音がしてすぐ、強い力で牀に打ちつけられた。
 布の上とはいえ下は固い寝台のこと、背を強く打ち足は角に当たり、きりきりと押さえられた手首から痛みが漏れ出す。
「放せ! 下郎! 放せ!」
 叫ぶ。大きく、強く、はっきりと。憎いという気持ちを全てこめてありったけの力で睨み上げる。ばたばたと痛む足を動かすと、相手の両足がのしかかり動かなくなる。
 それでも必死で、持てる力の限り振りほどこうと彼女はわあわあと声を荒げ眼前の面に唾を吐いた。
 すかさず鋭く頬をはたかれ、牀へ押しこめられた。
 冷然と見おろした切れ長の2つの眸(め)が無感動に目の前にあった。憎い。憎らしい。必死で抗った。こんなやつに! こんなやつに! 彼女はこの男を殺したかった。否そんなものでは済まされないほどの妄念に取り憑かれていた。幾日も、幾月も、相手を滅することばかり考え続けていた。彼女は男にひたすら抗う。美しく結われた髪が乱れ、頑是無い子供が駄々を捏ねるような醜態で、その見目の麗しさとは天地ほどかけ離れたあらん限りの罵声と咆哮をあげる。
「殺してやる! 今すぐ殺してやる!」
 それほどまでの言葉を吐いても男は落ち着いたものだった、声は胸をすり抜けるように掻き消える。なぜ届かない。なぜ響かない。喉が裂けそうなほど叫んでも。この男の耳は作り物なのだ。所詮、人の語など理解できぬ獣なのだ。
 そうする間に男の右手が伸び、彼女の纏う薄布を無言で引き裂いた。男の品位からすれば充分な侮辱であり、羞恥よりも先に口惜しさが募った。
「父の仇なぞに、わたしは落ちぬ! 幾度体を奪われようとも、わたしの心は汚されぬ! 薄汚い淫縦め!」
 再び張り手が落ち、耳と頬を熱くする。きいんと耳鳴りがして体の拘束が強まったかと思うと、針で打ちつけられたように頭さえ動かなくなった。縄で締めるがごとくの痛みに彼女はうぅと呻き、顎を動かしたことで自分の双眸から涙が零れていることに気がついた。
「憎い、憎い、お前を一生呪い続けてやる、お前を一生つけ狙ってやる、忘れるものか、忘れるものか…」
 腰紐を使い、手慣れた様子で彼女の腕を支柱と共に戒めた男は、それでもまだ冷眼を向けていた。色欲にまみれてもいない、かといって嘲笑するでもない。それが余計に屈辱を助長する。くわえて、彼女の本気を鼻で嗤うように、わざと仇討ちの機会を設けさせているのだ。先ほど失敗したあれで、もう幾度目になるだろう。それでもここに閉じ込めて、彼女の房に来続ける。暗殺の術など彼女にあるはずもない。非力であるならば彼女は色で相手を籠絡させるべきなのかもしれない。でもそれができるには彼女は清廉すぎた。だからただ、男が房に来るのを待って、その瞬間男に襲いかかるだけ。そうすると男はそれをいとも容易く退けて、彼女を心ごと蹂躙していく。否、だからこそその後それを思い知らせるように彼女を抱いてゆく。ゆっくり、ゆっくりと。長い時間を掛けて、重い石を積み重ねてゆくように、彼女の心を蹂躙する。
 いっそ殺してくれればと考えたこともあった。だがまた、男はそれをも楽しんでいるのだろうと思った。地位ある男の命を狙うなど処断されてしかるべきなのに、しかし男はそれすらも許さないのだから。飼い殺しとはまさにこのことだった。わざと自分の手元に置き、彼女をいたぶる。果たせぬ復讐と、簡単に踏みつけられた人としての矜持。もう忘れてしまいそうなほど父の死から日月は遠のいたような気がするのに、男は変わらず彼女を弄び、彼女は男の命を狙う。飽きもせず徒に重ねるだけの行為は、倦んでしまいそうなほど惨めだった。だが、彼女の心を狂わせるほどの苦しみを落とすことが楽しみだというのならば、私は耐えてみせよう。それでこの男を何度も殺す機会が与えられるのなら、喜んで甘んじよう。この屈辱的な生を受け入れ、そうしてまたこの男を殺してやるのだ。この屈辱を乗り越えてわたしはこの男への復讐をきっと果たす。考え続けている間にも男は自分を仇視する存在を確かめるようにゆっくりと手で辿り、その矛盾を味わうようにくちびるを落とす。ああ吐き気がする。やわらかく肉を啄まれることに慣れた体が熱を帯びる厭わしさを覚えて、戒められた腕をきつくきつく引いた。痛みで何も感じないように、血の滲む程唇を噛み締め、声を殺した。「お前なんか、お前なんか…」意識は遠のき、感覚を全て遮断するように頭の中を死で満たした。それでも、男の手つきの甘さに彼女の思考は乱れゆく。どれだけ彼女が憎むとも、歯牙にもかけていないと知らしめるように丁寧に体を開いていく。毎夜毎夜こんな風に閉じ込めて、そのおぞましい行為に優しささえ与える。彼女は何度も思い直した。これは見下しているのだ。見下しながら、おのが力を見せつけて、私の心を踏みつけてるのだ。だがお前に心は渡さない…一生かけても。まるで慈善事業でも施すかのような顔したお前が死ぬのを、きっと見届けてやる。その情動のままに彼女は奇声に近い嗤いをあげた。男はその蛮声を聞きながら、静かに彼女をいたぶり続けた。
 復讐という大願の前にのみ彼女は跪く。
 滄海の一粟(そうかいのいちぞく)。狼子野心。
 まるで愛にも似た狂気に、彼女は嗤い続ける。虚ろな眸に、たくさんの殺意を乗せて。気を失うまで。


「死ねっ」
 激しい呪詛と共に、武器とするには余りにも頼りない髪飾りを突き出され、瞬間的に叩き落とした。文官ではない、この程度の強襲など物の数ではなかった。だが振り仰いだ彼女の視線に彼の頭にはさっと血が上る。青ざめたような表情は引き締まり、彼は力任せに彼女を牀台へと押し倒す。
「放せ! 下郎! 放せ!」
 激しい抵抗が、押さえ込まれてるとは思えないほどの反発が返って来た。この期に及んでまでまだ靡かない彼女に、苛立ちだけが募る。じたばたとなおも暴れ続ける不快さを覚え、信じられぬ早さで頬を2発はたいていた。その掌がじんじんと熱を持って、この場所に彼女を針と糸とで縫い付けてやりたいという気持ちをあふれさす。
「殺してやる! 今すぐ殺してやる!」
 もしやと思う間もなく、ただ狂いそうなほど血の上りすぎた思考の中で衣服を引き裂く。その体には、無数の紅い痕がある。それは自分がつけたものなのか、はたまた暗器を手に入れるために誰かをたらし込んだ時のものなのか、男には区別がつかない。考え続けたとて、わかるはずもなかった。だがそれでもなお彼は彼女を見てしまう。罵声を浴びせる彼女の眸はぎらぎらと怨念に満ち、男の胸を突き刺すように鋭い。そうすると痛いほど感じるのだ。その恐ろしいまでの恨みに満ちた眸でさえ美しいと感じ、惹き付けられる己の欲望の際限なき淵を。
 女の腰紐を使い先ず両手の自由を奪った。暴れ馬を相手に手際よく事を運ぶ己の手腕を身の裡で唾棄する。女は悔しさに双眸を黒々と湿らせ、男に対する恨みつらみを吐き続けた。だがそのような蒙昧な言など男の心になんら感慨を起こすはずもない。それは男が冷徹であるからではない。この時勢、親を殺された子を殺されたなどありふれているからだ。互いが互いを殺さない限り生き延びることはできない今、そんなところにとどまり続けていては永遠に人は歩んでいけない。迷っていてはこの乱れた世は終わらないと知っているからだ。
 それでもなお、この女を内に引き込んだのは、どういった感慨からであったろう。いや。感慨などないだろう。単に己がこの女を欲しくなった。実際、戦果としてこの女の身柄を頂けるよう主君に願い出た。それは許されて、こうした今がある。それも苦労のし通しだ。先ず始めに女が自決をせぬよう見張ることからせねばならなかった。次は女の復讐心から警戒し続けねばならなかった。あまりの気性に誰もが女を殺すよう勧めてきたが、男はすべて一蹴し、けして死なせてはならぬとだけ厳命した。女を死なせたら処罰するとも伝えてある。周囲は誰もがこんな物好きは理解できぬという視線を投げかけたが、男はいっこう気にしなかった。そして、毎夜襲い来る儚い刃にも恐れず己の欲望を貫き通すのだ。
 彼女を縛り上げると、それまでの行為とは裏腹に、男は丁寧に優しく優しく女の体を開いて行く。
 その瞬間から、どうしようもないくらいこみあげる愛しさに目眩がした。
 ああきっと、これは錯覚なのだ。
 まるでそこに愛があるかのようなくちづけを彼女のこめかみやうなじに与え、彼女から片時も離れられぬという想いに浸り、心の奥底の底の底の底辺で女の愛を渇望し得られぬ代償を体で埋めてなどと。そうしていないと自我が崩れて、果てしないほどの憎悪の波に呑まれていきそうになるからなどと。
 嬌声と嗤笑(ししょう)ともつかぬほどの女の声に包まれながら、男は見失いがちな己を探す。
 どこにも答えはない。
 けして返ってくることのない物を求める浅はかな浅ましさを打ち消すよう、男は柔らかな肉体に体を埋める。
 少なくともこの女は戦果で、己に課された代償だ。
 どんなに拒もうとも、お前は己のもなのだ。
 男は狂気に似た愛をいだいて、今日も女を手にする以外、知らぬのだ。

Fin