R.I.P.


 なんと美しい夜であったろう。

 この世でもっとも醜いのは、夜が明けて夢から醒めたふりをしなければならない時間だとわかりながら、私は演じ続けている。
 それでも、これまでの気まぐれ男たちとは違って、彼はけしてそそくさと支度をしたわけでも、私に触れることをやめたりしなかったことだけが救いだと胸に刻んでいた。
 ふたり初めての夜明けだった。
 どうしてそうなったのかわからないけれど、数年越しの付き合いの間1度もそんなそぶりを見せなかった彼は、ある夜私の部屋へ行くといい、私に色々なことをささやき、この身に彼を刻んでいったのだ。
 こんなにみっともない気分なのは初めてと言っていい。
 あんなにみっともないことをしたのは本当に初めてである。
 自分でも止められぬ刹那の衝動に突き動かされて、泣いてしまいたいくらいだった。
 この先はたして、彼とまたこうして過ごすことがあるのか。
 それとも、害のない友人として案外頻繁に会えるのか。
 あるいは、都合のいい女として一生そばにおかれるのか。
 怖いのは、勝手に自分の幸せを探しなさいと突き放されることだ。
 あなたのいない幸せを探すことが困難である今、死の宣告のように柔らかに甘く囁かれはしないかと、私は怯えて暮らすはめになったというのに。
 言い訳ばかりして本当に欲しいものはいったいなんなのかわからなくなっても、ただひとつ、あなたという存在だけは関わっていてほしいと願っている。
 欲しい。欲しい。あなたの全部でなくてもいい。一部でも。でも私だけに向ける何かが欲しい。欲しい……。
 いまだ横たえたままの私の体を優しく撫でながら、彼はそっと囁く。
「ゆっくりお休み」
 違う。足りない。もっと欲しい。ひとりで眠りたくない。あなたと共に狂っていたい。
 けれど私は嘘をつく。
 明け方だからと私は、けれんみを出さぬよう慎重に微笑み、未練のない女としての役割を演じ続ける。
 またねとは言わない。
 私のこころは既に死んでいたとしても。
 あなたの前だけでは生きていたいから。


 女の愛なんかいらない。
 女ってのは大抵うるさいし、忙しくても、疲れてても、女の特権とやらでなんでもかんでも要求してくる。
 前は、世の中は千差万別なんだから、俺が知らないだけで、もっと自由でもっと自然な恋愛もあるって信じてた。実際、一緒にいて楽しい子なら、ずっと変わらない状態でいてくれると思ったから付き合ったんじゃないか。そのまま同棲までしたんだ。
 けど結局が、距離が近くなった途端、要求がエスカレートして、全部が自分に向いてないと拗ねて、我慢という2文字を忘れられた。
 こっちが仕事で飯を食う時間もなく深夜まで働いているのに、メールをしてくれなかったってキレられた時に、限界がきた。俺はその場で荷物をまとめて、彼女の支配する家から出て行った。
 考えてみれば、自分のためでなく、誰かのために自分の時間を無理に割くのがそもそも苦手だった。だから多分、俺は人と付き合うことに向いてないのかもしれない。でもそれだって、全部が全部やだってわけじゃないし、自分からベクトルを向けたいと思うことだってあるんだから、全く無理ってわけじゃない。女がキライってこともないし、そういう意味で甘い気分になるときだってあるから、可愛いと思えば、充分な愛情をもって、全身全霊を傾けることだってできる。
 つまり、女を愛せないわけじゃないんだ。
 100%は駄目だってだけ。
 毎日、一生、俺の人生全部100%をいつもいつでも私だけにつぎ込んでという意識が飛び込んできた瞬間、俺の中は冷める。不可能なことを無理して努力すると約束させたがる女なんて、夢よりもひどい、悪質で陰湿な誇大妄想だ。気持ちが悪い。お前の国になんか入るもんか。
 そんな罵りが胸のうちから自然にふつふつ湧いたって、ずるいと言われたって、人にはそれぞれ信じる道がある。それを否定するならば、女のわがままを否定したって同じことだ。そうじゃないか?
 俺は俺として生きていたいだけだ。
 俺を壊したがる女が本当に俺を愛していると言えるもんか。
 だから俺は一方的に女を愛するし、女の愛なんていらない。ほら、間違ってないだろう?
 そう、俺は気をつけてきた。これまでも、これからも。気をつけて、俺の全部占領したがるような女には、必要以上に近づかないようにしてきた。
 それなのに、手を出してしまったのは――
 たぶん、彼女は俺に気がある。それは、最初っからわかってた。
 ああ“もしかしたら”なんていう甘い考えが、泥酔した思考の底に、現れてしまったのかな。
 もしかしたら、彼女なら、何か起こっても、お互い大人だからと、やり過ごしてくれるとか。
 もしかしたら、彼女なら、男女の別のあり方を、示唆してくれるかも、だとか……。
 ――そんなわけないな。そんなわけない。
 彼女は男たちの気を惹くタイプだ。だからきっと、あちこちで沢山遊んでる。その中の1つに、俺が入ったと思えばいい。そう。そういうことだ。
 女の愛なんかいらない。俺は一生、ひとりでいい。
 俺が死ぬその瞬間に、それを悲しんでくれる友人がいればいい。その友人の中に彼女がいて、俺が死ぬ最後の日に、「そんなこともあったね」と笑いさえすれば、俺はきっと平和のうちに眠れるだろう。

 きっと、安らかに。


Fin