ジローさんと私



 手紙が届いた。
 二通あって、どちらもジローさんからのものだった。宛名を「西家(にしね)アツ子さん」としているところがジローさんらしいと思う。
 彼とは付き合いが長いはずなのに、そして別れてから2ヶ月しか経っていないのに、それはもうずっとずっと昔の事のようにしか思えなくて、「一通め」、と書いてある封を破る音が妙に遠かった。



 こんにちは。元気でやってます。
 ボクは今、これを静かなの寮の部屋ではなく、ボクの大好きな庭の見える会社の食堂で書いてマス。人はほとんどいません。なぜなら今日は休みの日だからです。
 今日はなぜだかボクがあなたを「アツ子さん」と呼び始めた頃のことを思い出してしまいました。それはアツ子さんにボクのことを「ジローさん」と呼ぶようにしてもらったのと同じ日のことでもあります。その理由をふと思い出したもので。
 別に理由と呼べるほどはっきりしたものでもないのですが、ただあなたとの関係をもっと安っぽいものにしようと思った、というか、どこかであなたを避けたかった、というのが実際かもしれません。そう言えば、あなたが少しはボクのことを嫌うだろうと思ってましたから。なのにアツ子さんは、ボクのことを「ジローさん」と呼ぶのに抵抗を感じるどころか楽しそうだったので、〔物分り(というのかどうかはわかりませんが)の良いヒトだな〕、と逆に少し感心してなんだか疲れてしまいました。
 それから、ボクが自分の住んでいた東京のではなく、地方の会社に行きたがった理由についてもいろいろ考えているのでしょうね。ボクがあなたと暮らし始めてからだいぶ経っていたから。
 …確かに、あなたに何でも身の回りの世話をしてもらって、『お帰りなさい』なんて出迎えられるのは苦痛だったし、将来の話をされるのも嫌だったけど、でもそれだからといって年上のあなたに文句言えるほど立派な人間でもないですし。だからちょっとした旅に出かける気持ちで出て行ったまでのことです。……どうです、ボクのいない環境は。それなりには変化があったでしょう。でもあなたは大人だからナンとも思わないかな。
 …そう、あなたはどうしたってボクより年上なんですね。何年経ったって、あなたはボクの上に立つんです。それが悔しいのかも知れません……。
 少し腕が痛いので今日はこの辺で終わりにしておきます。
 ではさようなら。

 アツ子さん
                             ジロー 
   


 こういう文の書き方もジローさんぽいと思った。ジローさんとは確かに何年も暮らしてたけど、私にはまだほんの数ヶ月しか経っていないように思えた。それだけに私はジローさんの存在が面白かった。
 手紙にはこんな風に書いてあったけど、彼は彼でまだ私の存在に悩んでいる部分はあると思う。私というものがあったからこそのジローさんだけど、ジローさんがあってこその私だとも思う。結局、お互いどこか遠慮してるのかもしれない。



 こんにちは。今日も元気です。
 アツ子さんは今何を思っていますか? ボクは今ボク自身の生い立ちについて考えています。今度は自分の部屋です。一通目を書いてから一週間が経ちます。
 ボクが生まれてから二十二年と数ヶ月間があるわけですが、その月日に見合うボクでしょうか? ボクがアツ子さんとあまり喋らなくなったとはいうものの、アツ子さんも無理に喋ろうとはしないのでこんなものかと自分では思っていましたが、今会社に通って周りの人を見ているうちに「自分は二十二年も生きてて礼儀を一度も学んでいないのでは」と思うほどアツ子さんに対して冷たかったのではないかとしみじみ思っています。だからボクはもう一度生い立ちを思い出してどこかで礼儀を学んだかどうか思い出していたのです。でもあまり良く覚えていないようです。
 アツ子さんはボクがかなり無理な事を言ったりしたりしても全然怒りませんでしたね。ボクが学校に行くと言って嘘をついたり黙って何日も家に帰ってこなかったりしても、余り文句を言わなかったし。…さて、こんな手紙を二つも出すのには少し勇気がいるのですが(だから2ついっぺんに届くと思います)でもそろそろあなたをアツ子さんと呼ぶのはやめようかなと思ったのでその決心を綴ったつもりだったのですが、でもまだちょっと勇気が足りないのでとりあえずできるとこまで書いてみます。


 お
                             ジロー 
 


 これを読み終わった瞬間に、私はジローさん、いやもうやめよう、滋朗の可愛い顔がすぐ目の前に出てきて私に何か問い掛けているような気持ちを覚えた。
 あなたがこの私という存在に初めて出す手紙の中で何を言いたかったのか、私には解る。解るわよ。
 久し振りに気持ちが晴れ晴れとした。なぜだろう、滋朗が一歩私に近づいたからだろうか。結局私もどこかで滋朗との接し方に困っていたのかもしれない。
 もうすぐ私の四十七の誕生日が来る。
 それまでには「お」だけでなく「母さん」とつけて呼んでくれることを期待しつつ、息子を持って良かったと母親業の喜びをかみ締めた気がした。

終わり