誕生日に君を


 今、私には悩みがある。
 こうして今ベッドでごろごろ並んだまま映画をチェックしている、その相手のことだ。
「んー。やっぱこの映画だな」
「え、またアクション? どうしてそう、脳筋男が主役みたいな映画ばっかなの……。たまには私、こっちの、話題作になってるやつとか、見てみたいな……」
 おそるおそる告げて見たけれど、案の定というべきか否か。
「はあ恋愛もの? ……いやこれはないだろ。だいたい人をバカにしてっけど、そういう自分はもう少しこのあたり脂肪をつけた方が」
「ちょっ、や、待ってよ、映画見に行くんでしょ! 早く支度――」
 残念なことに、私たちはただベッドでごろごろしてただけじゃなく、することをして裸のまま寝転がってたのだった。で結局、盛り始めた相手になし崩しにほだされてしまったため、予定していた映画はやめにせざるを得なかった。後はだらだらと過ごし、適当な店にご飯を食べに行って帰ってその日は終わった。
 これが、私の悩み。
 あ、もちろん、映画が見に行けなかったこととかそういうんじゃない。
 彼。時間が合う時に、こういう休日を過ごしている相手の彼。その人が、実は彼氏かどうかわからないという点が、目下の私の悩みどころなのだ。


 ふたたび月曜日が巡ってきて、同期の子たちとランチを食べながら、週末は何をして過ごしただどこに行っただの話になるとき、私はいつも息がつまるような気分になる。
 いったいぜんたい、彼のことをどう説明したらいいのだろう。
 彼とは、もう半年くらいああいう関係が続いている。メールして、休みの日にデートして、キスしてエッチして――。最後のは、正確には半年前より短いけど。
 それならもう、彼氏と呼んだっていいのではないか、と普通なら思うだろう。でも、ないのだ。私と彼との間で「好き」とか「愛してる」とかそういう恋愛系のワードは一切出てこない。相手から出てこない分、私から言う勇気はない。それとなく探りをいれようとしても、この間の映画と同様、彼の中では恋愛はありえないことなのかばっさり切り捨てられるから、やぶ蛇になったら怖いと思う私は、また逃げ腰に誤魔化す。
 バカだとは思う。自分の臆病が招いたことだとも。
 はっきりしないうちに彼との関係を深めてしまって、それがすべての元凶なんだろう。自業自得だ。後から喚いたって、最初に自分が線引きしないで受け入れたんだから、文句をいえた義理じゃない。けど、好きな相手に臆病になるのは、誰でも同じじゃないだろうか。好きな相手に求められたら、許してしまいたくなるのの裏返しで。
 疑問に思ったまま、こんな不誠実とも呼べる関係を続けているのは、ひとえに私の彼への想いが強すぎるから。
 ここで相手みたくもっと割り切った考えを持てるかあっさりやめられたら苦労しない。それくらい、私は彼のことが好きで離れたくない。
 曖昧でもこんな関係が続けられることに感謝し、いっぽうでどうしてこんな関係が続けられるのかと悩んでいるという矛盾を、もう半年もやっているのだから、我ながら呆れるしかない。
「昨日あの映画見てきたんだけど」
 私が逡巡してる間も、月曜の欝ランチは進んでいた。1人が私の見そこねた恋愛映画について、すごく良かったとパスタをくるくるしながら朗らかに言うのが聞こえて、ほうらきたと食欲がより萎える。カップルならみんな身につまされるような切ないイイ映画だったよ、彼氏も泣きそうになってたもんなんてことを付け加えながら、みんなは見た〜? と楽しそうに告げる視線を、まっすぐに合わせられない。私はフォークをパスタに絡めることに集中して、興味ないふりをする。
 ――そもそも彼はなんで私とああいう関係になったのだろう。
 そこが先ず不思議といえばそうだ。私は見た目が子供っぽいし、実際世間知らずで無知なことも多い。特に男女関係については疎いと自他共に認めてる。
 それでも人を好きになったことがなかったわけじゃない。まったく何も知らないわけじゃない。
 彼と出会って、仲良くなって、好きになって。丁度身近で手頃だったからなのか。彼の方にあまり男女を意識した雰囲気はなかったけど、彼の方から今度どっか遊びに行く? と言ってくれたときは狂喜乱舞して、交際ということを考えた。それくらいは期待するものだって知ってた。ところが、気張ってたのは私だけだったようで。初デートの彼は、私を夏休みの子供みたいにあちこち連れ回して、自分も満足して帰っていっただけだった。そういうのが、2回、3回と続いた時の、あの気持ち。私がお酒を飲めないというのもあるけれど、それにしたって大人のムードのかけらもなくて、清く正しく水族館やら何々タワーやらを巡ってご飯を食べて「じゃあまたな!」なんて帰って行ったのを見たら、あからさまに絶望する以外どうしていいのかわからない。相手が私を好きかどうかもわからないなんて。
 誘いがあるだけマシ? それは、期待が持てて初めて言える言葉だと思う。

 話をややこしくする事件が起こったのは、楽しいけれど当たり障りのない、恋愛の匂いのしないデートだけが積み重なって、私自身が「彼は特定の彼女が欲しいんじゃなくて、休みの日に彼女みたいに遊べる相手が欲しいんだ」と自分を諭すのも限界に近づいた頃。ご飯のとき、彼と私の頼んだジュースとお酒の色が同じで、私は誤ってお酒の方を飲んでしまってだった。飲んですぐ、くらくらと目が回り始め、そこからの記憶がなくなった。それで朝起きたら、彼にホテルにでも連れ込まれてれば良かったんだけど、私が目にしたのは、おそらく困った彼が自分の部屋へ連れ帰って泊めてくれたのと、そして、私に不貞を働くことなく部屋の隅っこで寝ている姿、だった。そのあまりの白々しさに、私は号泣した。
 起きてそうそう号泣はじめる私に、彼は心底驚いたらしい。どうしたんだと丁寧に宥めようとした。そんな彼の優しさに気が滅入るばかりだったから、私は八つ当たりをした。感謝してしかるべきの私が彼に悪態をついてるのを見ても、大丈夫か、とか、気分が悪いのか、気にするな、とか見当違いも甚だしくて、ますます私の悲しみは増幅し、私は子供じゃない! と喚いた。私は子供じゃない! そんな扱いはもうたくさんだ、はっきり言いたいことを言ってよ! と。
 さすがに手を焼き始めたのか、なんだったのか。彼は突然「じゃあ言わせてもらうけど! 気にするなっていうのは嘘だ!」と叫んだかと思うと、私の頭をがっちりホールドしてなんでかキスをした。怒り心頭に達していたのか……と思う前に、初めてのキスはあまりにも柔らかくて心地よくて、甘い吐息が苦しかった。気づいたら2人とも夢中になり、そのまま……。

 以来。ここに至る。
 その間、彼から、何かしら2人の関係を表す言葉を告げられたことはない。
 私はもちろん他に交際相手などいないし、多分、あの様子なら彼だって彼女や、彼女じゃなくて他に同じことをしているような相手がいるとは思えないから、この状態をただ「付き合ってる」と称してしまってもいいのかもしれない。
 でも好きって言葉が間に入っていないだけで、あんなにも接近する私たちの間には、とてつもない大きな溝があるように思えるのだ。
 たったの2文字、それが互いの胸に落ち着き合えば、映画も見ないでだらだら過ごしてばかりだって、たまに会えない週末があったって、「好きだから」って安心していられる。
 でも2人の間には2人をつなぐどんな糸も見当たらないから、同じ行為も違った意味にとれてしまう。希薄さが、不安をかきたてる。
 離れてても、一緒にいる間もどんな地雷を踏んでしまわないかと恐ろしくて仕方がない。彼に見捨てられるのが嫌で、私は自分の希望や願望を強く言えない。言いたいわけでもないけど、とにかく壊れることが怖くてしょうがない。
「前から気になってたんだけど、彼氏ってどんな人?」
 唐突に私へぶつけられた質問に、私はびくりと肩をふるわす。
 同期の女の子たちは当たり前のように彼氏の話をするけれど、私には彼氏と同じだけのことをする相手はいても、彼氏と呼べる相手がいないことを知らない。
 私がいつもお茶を濁すようにしか話さないせいだとわかってはいるけど、でも、私の複雑な気持ちもわかってほしいなどとうまく返答ができない。
 戸惑うようにしていると、しつこく問われる。秘密主義ぃと揶揄される。
 そうじゃないの。だって彼は彼氏じゃないの。
 敢えていうなら、恋愛嫌いな人かな、という答えを、思い浮かべて、言葉にするかどうか迷った。


 その週末も一緒に過ごすことになり、私は多少の安堵を覚えながら、また同時にモヤモヤとした疑問を抱きながら、彼と会った。
 疑問を抱いてはいても、やっぱり会わないという選択肢を選べないのだけど、彼が会おうという気持ちがあるということは、少なくとも後ろ向きには捉える必要がないとまた意味不明の自己弁護をする。
 いい加減こういうの、どうにかした方がいいよねえ……と思って、彼の洋服を店で選んでいる時、店員さんに勝手に「彼女さん」呼ばわりされて、少し萎えた。彼は気にした風もなく流していて、私はちょっと落ち込みながら店内をぶらぶらする。でもすぐに彼のところへ戻って、会計する姿を眺める。そこで、店員さんに頼まれて書いているメンバーズカードを見て、青ざめた。
 心臓が強く鼓動を打って、止まらなくなるかと思うほど。
 店を出てからも呆然と黙っている私に、彼はどうした? と悪意なく尋ねてくる。どくん、どくん、私は震える足をこらえて、歩けなくなった。スケジュールを見るまでもない。明らかすぎる。彼があまりにも優しく、あの間違って酔った次の日みたく尋ねてくるから、もう我慢できなかった。私は泣きそうになりながら、彼に言った。
「ねえ、どうして誕生日のこと教えてくれなかったの」
「はあ?」
 どんな深刻な話かと思えば、と彼はぽかんとしてる。でも私にとってはすごく深刻なことなのだ。
「誕生日、とっくに過ぎてるよね。私その日は、なにもしなかった」
「――? でも、その前の休日に会っただろ。当日は仕事で無理だったし。そんで――まあ、やることやったじゃん」
「やることって? お祝いも言葉1つも言ってないのに? 会ったかもしれないけど、私なにもしてない。当日お祝いできなくても、せめてプレゼントくらい渡したかった。やっぱり、誕生日は特別だから? きちんとお祝いして欲しい相手じゃないと、ダメなの?」
 自分の最悪さ度合いに、悪酔いしてる気分だ。私は、ずっと彼の誕生日を知らずにいた。さっき彼がお店で書いてるのを見て初めて知った。そして彼がそれを教えてくれなかったことも過ぎてしまったことも。直前に会ってるのに教えてくれないってことは、別に私に祝ってもらいたいって思ってないことだ。もしくは、ちゃんと祝う立場にいるべき相手ではないということ――
「なんか、何言ってるかよくわかんねぇけど、それって落ち込むこと?」
 彼はそのあたりの認識が薄いのか、随分前の話に戸惑っているようだった。私は両手を握りしめた。
「当たり前だよ……。私だったら、私だったら――お祝いしてほしいもん」
 好きな人に、という言葉を飲み込む。
 こんなことをうだうだと続けていることが、自分と彼との時間をどんどんと削ってくのではないかという恐怖と闘いながら、私はでも、やめられなかった。
「心配するなよ、誕生日にはお祝いくらいするから」
「そうじゃなくて! 自分の誕生日にお祝いしてほしいとか、そういうことじゃなくて――ただ。ただ私も何か、何かを」
「なあにをいまさら」
「……そんな」
「まるで覚えてないのか。だから言ったじゃんか」
 まるで呆れたようにじと目で口をとがらせる姿は、少なからず焦りを生んだ。急に彼が距離を縮めたから、私はびくりと逃げ腰になった。彼はトーンを落として、怖い声で言う。
「俺あん時、はっきり言えって言うから、言ったろ。気にするなってのは嘘だって。まったく。勝手に酔っ払って、記憶なくして、台無しにしたくせに、なんでいまさらそんなこと」
「あの時!」
 びっくりした。そうか、確かにあれは彼の誕生日近くのことだったかもしれない。『やることやった』とはそういう意味だったの!? 私は急にいろいろ恥ずかしくなって、目をそらした。
「ご、ごめん……。その、あれは、私、なんか、そっか、私のせいで、でもだからってそんな……でもやっぱ、ごめん」
 謝ると、彼はからりとした声でさらっと話をすすめる。
「もういいってそんなこと。もう気にしてねえから。それより、そっちの誕生日祝い、しないなんて思ってないし」
「そ! そんなのは本当に気にしないで! 私の方こそ勝手に台無しにしてたのに、ごめん! だからってわけじゃないけど、悪いからいい! 私なんかの誕生日、祝ってくれる必要全然ないよ!!」
「なんでだよ。それこそ、してほしくないのか?」
「そ、そういうわけじゃないけど! でも、どうしてそんな、優しいこと言ってくれるのかわからないっていうか……」
 そうだ。たかが私なんかのために、彼の方はスルーしたっていうのに、なんかねだってるみたいで、それって友達にねだることなんかじゃなくて、あれでも、だとしたらやることやったって、なんかひどく――
「恋人だったら当たり前だろ?」
「は?」
 聞き間違いかと思った。
 私は彼の顔をまじまじと見てしまった。
「え、私たち、付き合ってる?」
「はあ?」
 今度は彼の方がまじまじと私を見る。
 その目がどんどん険悪の色に変わってったので、全身冷や汗がどっと吹き出てくのがわかった。いや、だって!
「じゃなに、そっちはセフレのつもりだったわけ?」
「ち、違うって! だって、だって、そういうこと、今までなにも、全然言ってくれなかったから!!」
 険悪さを増した彼に、私はたじろぐ。
「やーっぱ。もう本当、台なし。サイテー」
「あのっでも! 自分だって『やることやった』とかって…」
「俺、ちゃんと言ったし」
「え? え!?」
「次の日、キスしたら許してくれたから、てっきり俺は前の晩の俺の言葉に応えてくれて、それでだと思ってたのにさ。なんだよ、そうだったのかよ。酒でなんも覚えてなかったんだ。そのくせ俺とずっとしまくってたとかって。ああもう本当、サイテー! サイテー!!」
「わっ! わっ! ごめん! 本当に、ごめん!」
 前の晩!? 何が何だかわからないけど、そうだったんだ!
 なのに、私は勝手に悩んで、なんか、馬鹿みたいで。
 さすがに本気で怒って歩き始めた彼の後を必死に追いかけながら、私は謝り続けた。
「ごめんて! 違うの、本当に私、他の人なら絶対こんなこと許さないよ! ただ一緒にいたくて、でも嫌われたくなくて、どうしていいかわからなくて、だって好きとかそういうこと、全然言ってくれないし……!」
「自分だって言わないくせに!」
「そ、それは、私からいきなり告白するわけには……」
「じゃあなに。俺のことは、本当に好きなわけ!」
「あ、当たり前だよ! 好きだから。大好きだから、遊びでもいいからずっとそばにいたいって思って、今までずっときたんじゃん! 好きじゃなかったら、あんなこと許さないよ!」
 早歩きしていた彼の足が、ぴたっと止まった。
 またじと目で、私を見た。
「酒飲んで失敗したから、責任とるとかじゃない?」
「そんな、なにそれ! 私は責任感じて体許すほど、バカじゃない!」
 私は半ば怒って言い返した。彼の方こそ、私の気持ち全然わかってなかったの!?
 そしたら。
 彼がぴんと私のおでこをつついた。
「わかってたつもりだったから、『付き合ってたの?』なんて言われて落ち込んだんだろ」
「あ……」
 そっか。そうか。彼は信じてたんだ。私とのこと、当たり前に付き合ってると思ってたんだ。
 私が、わかってなかっただけで。
 そうか……。
「本当に、ごめんなさい……」
「誕生日だって、彼女ゲットしたつもりだったから、別になにもいらないって思ってた」
 それを聞いたら、ぶわって、胸が熱くなった。
 彼が、私をそんな風に特別に思っててくれたって知って、なんだか泣きそうになった。
 ようやく、すっきりした気持ちに、いっぱいいっぱいになる。
「あの……付き合ってくれて、ありがとう」
「なんだそれ」
「すっごく、嬉しい。いまさらだけど、本当に誕生日おめでとう」
「ばあか」
 ようやく彼はニカって笑って、私のこと撫でてくれたのが、幸せで。
「よし、例のアクション映画、見に行くぞ」
「ええっ、今度こそ絶対、話題作見ようよ」
 私は、彼への気持ちの第一歩を告げてみる。
 でも、
「んなの見なくてもいい」
 冷たく言って、彼はちょっと眉をあげてさっさと歩き始めてしまった。
 ダメだったか、とちょっとへこんでると、彼は珍しく教えてくれた。その理由。
「だって、現実にしてんのに。他人の恋愛なんか興味ない」
 アクション映画、意義なし!


Fin