See the light of day



 半分の月がこれから満ちるのか、欠けるのかなんて、私にはわからないから
 黒くて長い真っ直ぐな髪の毛を月の浮く夜空みたいに広げて、彼女は考える。
 手を伸ばしたかったのは、どちら側なんだろう。太陽に照らされた側とそうでない側
 月は毎月半分を奪われ半分を取り返す、それの繰り返し
 私の気持ちも、半分は諦めと半分は希望。2つを上手に操ることの繰り返し
 ずっと迷ってきた
 どっちが正しい。どっちが私の本音
 けれどそれももうお終い
 だから考えるのはやめよう
 このまま待っていればいい
 そうすれば月が満ちるのか欠けるのかなんて気にならなくなるから
 きっと朝日を迎える頃には、明るい側に憧れたことも、憎んだことも、全部忘れてる



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 地球の半分ほどもある第七の月が青い夜空を照らす晩だった。
 巨大な半月は太陽の光を強く反射し、辺りを煌々と照らしている。
 その半月を背に、細い冬枯れた木の一番上の枝に腰を下ろし、奇妙な音階の口笛を鳴らす者がいる。
 空いっぱいの月に照らし出されたからではなく、生まれながらの輝くような金の髪。顔の半分は光の陰に落ち昼間は紫水晶(アメシスト)に見える瞳を黒い闇色へと変えている。そして残りの半分は強い月光に照らされ紅蓮に染まる。これこそがまさしく、彼が日の目を見る者たち、ルクサー(Lux-er)に他ならない証拠だ。彼女は地上からそのおぞましくも神々しい姿をじっと見上げて観察した。
「待っていたよ、アッリ」
 片方の目を紅蓮に染めたまま彼は――サウルは口笛を止めた。相変わらず楽しそうなおどけたような口調で、今までと変わらぬ調子で彼女に話しかける。アッリ――今はそう名乗っている――はぴったりとしたフードの下から僅かに覗く青白い肌を凍らせて、服の下に隠した2本のレイピアを握りしめた。彼女の銀色の瞳は巨大な月を前にしてもルクサーを前にしても、揺らぐことなく世界を映し出せている。闇は彼女の味方――のはずだ。
「君はノクサー、でしょ?」
 ――あなたがルクサーであったように?
 アッリは言葉にせずただ思う。

 ノクサー(Nox-er)、夜を統べる者、闇の下に生きる者。この国の言葉で言えば、それが彼女の正体。そして彼の言う通り、アッリはノクサーに他ならない。
 この世界にノクサーは生きていてはならない存在であった。それは彼女ら一族がサウルたちルクサーの生命に重大な害を成す恐ろしい力を持っているからである。呪われた人間。災いをもたらす者。化け物。沢山の蔑み名が使われる。忌み嫌われ疎まれることには慣れている。それが生まれた時からのアッリの世界だったから。
 かつては均等であった種族も、今やルクサーがマジョリティーでノクサーはマイノリティーだ。脅威をなす恐ろしい人間がこの世に生きていていいはずがない。そうして大多数のルクサー、つまりサウルの一族は、ノクサーを闇雲にハントする(狩る)のが当たり前になった。不干渉でも、懐柔や思想強制でもなく、殺戮。だから正体の知れたアッリがここでサウルに滅ぼされても、それは当然のこととして片付けられてしまう。そうやってアッリの母も姉もそれから父も兄弟も皆殺されてきた。それを強く悲しみ恨むピークは越えたものの、未だじくじくと胸を抉(えぐ)る傷ではある。いや、違う。アッリは未だ憎しみを持ち復讐を考えている。私は人だ。化け物なんかじゃない。ノクサーとしての誇り高き矜持が体の奥にある。ノクサーであるというだけで殺そうとするルクサーたちの方が余程化け物だと言いたい。自分とて己の持つその不気味な力を知っている。それがサウルたちをどうしようもなく傷つけてしまうことも。でもそれでも、人として生きたいと願うのは間違いなのか。…多分間違いなのであろう。
 東の方に起源を持つノクサーたちは、決まった月の光に照らされると見える青白い肌、銀色の瞳、そして今はぴたりとしたフードの下に隠されているが、長くて美しい夜色のシルクのような黒い髪が特徴であった。ノクサーたちの母語はルクサーからすればとても奇異な、不思議な音で紡がれる。その名を呼ぶことでさえ魂を縛る力を持つ。彼女の国では名前という言の葉には魂がやどり霊(たま)となりて人を支配すると信じられている。それが呪(しゅ)だ。だから普段はルクサーたちの言葉で“アッリ”と名乗っている。でもノクサーたちの言葉が呪詛と言われるのは、実はそこに宿る力よりも、その響きの怪しい音色にあった。先ほどサウルが吹いていたのも本来アッリの一族の言語に近い音階だった。サウルはわざと吹いたに違いない。

 第七の月は雲に遮られることもなく、半分だけ光を返し、残り半分をまるでアッリの肌のように青白くして、空に浮かんでいた。
 アッリとサウルが知り合ったのはもう1年も前のことになる。
 2人は第3者の多く住む村で知り合い、知己となった。本当は独りを好むアッリに、サウルが無理矢理かまったのだ。定住はしていないアッリが時々旅に出、留まるところを変えてもサウルは身軽についてきた。俺には背負うものなどないから、などと。
 結局そんなものは月の前に吹き飛んでしまったが。
 サウルの背中には今、巨大な剣、太陽のシャムシールが輝いている。
 月の中で一番大きい第七の月が三日月になったようなシャムシールは、ルクサーの象徴のように鞘の中にあってもきらめいて見えた。ルクサーにとって物質的な武器など、ほぼ体裁を取り繕っただけの飾りみたいなものであったが、シャムシールは確かに日の光のように美しい。
 その太陽のシャムシールがなぜ月の形をしているのか。
 それは彼らが太陽の庇護を受けてるからである。
 日の光がなければ月は輝けない。
 太陽は月を駆逐する。
 日の目を見る者たちは闇の下に生きる者たちを跡形もなく消し去る。
 サウルはアッリを肉塊へと変える。
 ――それがこの世界では正しいことだし、理にかなったこと。
 私に残されているのは、それに黙って従うか、抗って無残に散るかのどちらかだ。いい加減その現実を受け入れねば。これは変えられないルールなのだから――いったい誰の?
 アッリは言葉にはせず、ただ心の中で反問した。
 日の目を見る者たちと、闇の下に生きる者。
 それはサウルたちが勝手に付けた名である。
 どっちが是でどっちが非かなんて所詮主観でしかない。
 自分たちにだって生きる権利がある。例えこの身が呪われていようとも。
 人として、生きる権利が……。
 手に握り締めたレイピアの刃がふいに足に触れ、アッリはその冷たさにぞっとした。
 ――奪われた家族と沢山の友の命。
 それはアッリに課せられた大切な命だった。
 この武器はそれらの人々の代弁者だ。幾人もの死んでいった仲間の想いがこめられ、必ずや宿願をと呪いの言霊を残された刃は、その数が増えるごとに重みを増した。その魂の重みを私は忘れてはならない。サウルが直接手を下したのではないとしても、同じ系譜に名を連ねるということは、その罪…憎しみの一端を背負う覚悟があるということ。
 押し上げられたゴーグルの下に隠れていた、紅蓮の炎のような瞳
 サウルは――――敵
 アッリは…深い襟に隠れたたおやかな唇に、別れの祈りを乗せた。
 それはもうこの国の言葉でもない。アッリはアッリではなく天瑠璃(あまるり)という元の名に戻った。己の名を戒めれば呪がかかり力となる。ルクサーに呪詛と呼ばれる音階を奏でて、天瑠璃は抗う方の選択肢を選ぶべく、2つの刀の持ち手に力をこめた。その力に刀は共鳴を始める。この国でレイピアに見える細い2本の直刀は、ノクサーが縛りをかけるための剣の名を呼べば、ルクサーの肌を焼く脅威となる。
 私は忘れてはならない。そう。
 ルクサーに刃向かう意思をこめて。

 そうだ。私は人だ。決して化け物なんかじゃない。ルクサーなんかに屈しない。

「決めた?」
 遠い樹の上からなのに囁くように言葉が落ちてきた。アッリの決意を悟ったようにサウルは細い枝の上に立っている。今にも折れそうなそれの上で、重い太陽のシャムシールを背に掲げ、軽々と。すらりとした姿態を陰に映しながら、天瑠璃の体にも影を落とす。太陽の鏡。月の光の下。
「俺に殺されるのと、自分自身で死ぬのと」
 例えどんな口調でも、サウルは決して馬鹿にしているのではない。
 ただ知っている。自分が天瑠璃よりも力が上であることを。
 知っている。天瑠璃の弱さを。
 第七の月は、丁度半分であるから。
「俺を殺したい? 殺したいほど憎んでる?」
 サウルの声は消せない文字のように天瑠璃の目の前にしっかりと浮かび上がった。サウルが言っているのは単純に、サウルがルクサーであったことであろうか。それとも…?
 これまで、互いに素性を知ろうとすることはなかった。そういう人間はこの世界に山ほどいて、世の中はルクサーとノクサーだけでもない。身を隠すようななりをしていようと、過去を語らなかろうと、それは当たり前の姿だ。
 天瑠璃だってルクサーのことは警戒している。サウルはでも、ずっと親切だった。ずっと天瑠璃の友達面して、天瑠璃と2人きりになることがあっても、知らん顔してにこにこしてた。どんなものからも守ってくれた。だから最初は警戒していた彼女も、次第に落ち着いた。いつしか2人の関係を愛するほどに。
 そして天瑠璃は知っていた。彼がルクサーであったことを。ある時気付いてしまった。でももうその時には彼女には迷いが生じていた。どちらを選ぶべきなのか。どちらが正しいのか。ルクサーとして彼に復讐を果たすか、サウルとして見続けるか。
 第七の月の出る晩までは永遠にこのまま迷い続けると思っていた。しかし第七の月は大きく、真実を映し出す巨眼。
 この月の出る晩、人は還りたくなる。
 隠している己ではなく、真実の自分に。
 その夜、月に導かれるように月のものが来てしまった天瑠璃は、穢れを落とすべく泉へと身を沈めた。
 そのあまりの心地よさに、人気がないのをいいことに、天瑠璃はフードを外し衣装を脱いだ。
 長くすべらかな美しい黒髪は鏡のような泉にたゆたい、黒い帳を広げた。
 その漆黒の中、完璧な裸体が月影のように水に浮き、煌々とした月明かりが普段はグレーに見える天瑠璃の瞳を銀色に変え、白い肌を青白く見せる。
 美しい闇に生きる人の姿であった。
 月は気まぐれに形を変える。たまたま月齢が低かったお陰で、天瑠璃はハッと我に返ることができた。
 再びフードをまとい野営地に戻った天瑠璃は、何の衒(てら)いもないサウルの笑顔に出迎えられて少しホッとした。
 そこでサウルが天瑠璃の真実を知ったのかどうかはわからない。でも多分、それ以外には急にサウルが彼女を敵と見なす機会があったとは思われない。1年も一緒にいて、突然。
 天瑠璃が真実を曝したのと同様に、サウルもどこかで曝したくなったのだろうか。月を前に好きなだけ露わにしてしまおうと。
 あれから数日後の丁度半月の今夜、突如彼女の隣からサウルがいなくなったかと思ったら、闇の下に生きる者の目の前に日の目を見る者の男が姿を現したというわけだ。
 天瑠璃にはそれが別れと決断の合図だとわかった。
 風のない静かな時であった。

 しゅん

 天瑠璃の瞳が瞬くと同時に、サウルの姿が樹上から消えた。
 天瑠璃は素早く走り始めた。力を発揮するためには逃げて時間を稼ぐ必要がある。サウルはもう追ってきている。2人は走った。互いに全力で、拮抗してるかのように見えた間隔は徐々に詰まっていた。体力勝負となればこちらが不利だ。やるなら先の方がいい。彼女は足を止めずに短い言霊を呼び寄せた。
 ――まほらまにかへりたまへ
 サウルの紅い瞳が燃え上がり、苦しげな揺らめきが見える。少しだけ縮まっていた2人の距離が伸びる。
 やはり、彼は真実ルクサーなのだ。
 サウルは手に抜いたシャムシールを闇雲に振り、彼女の言霊を切り裂こうとした。走るのをやめず、天瑠璃から目を離そうとしない。巨大なシャムシールは辺り一面に光を散らし、離れていても捕らえられそうだった。光から逃れるために彼女は弾けるように反対方向に跳躍すると、シャムシールの湾曲した刃が天瑠璃の細い首を捕らえようとぶんと激しく風を切る。その風が天瑠璃の青白い喉にかかろうかという瞬間、天瑠璃は2本の刀を交わらせて再び呪を唱えた。今度は強力なものを。
 ――わくらばよわれのつるぎにてうつろへたまへ まほらまにかへりたまへ
 どくんと胸を強く上下させたサウルが、見えない力によって高く跳ねた。反り返った体はそれこそシャムシールのようだった。そのシャムシールは繰り返し、苦しげに、火に焼いた鉄のように紅く明滅している。天瑠璃はまだ何事か呟きながらそのままとどめを刺そうと刀を逆手に持ち替える。銀の刃が交わったままサウルの胸めがけて下ろされる。サウルは慟哭のような呻きをあげ、麻痺した体を小刻みに揺すぶる。彼女には見えていた。ルクサーに災厄として虐げられてきた日々が。復讐だけを生き甲斐として過ごした日々が。ただ人として普通に生きたいと願った日々が。サウルが自分に微笑みかけた日々が。その口が優しい声で呼ぶ『アッリ…』――キンと高い澄んだ音がして、クロスした2本のうち1本が弾け飛んでいた。呪が解け、サウルが見る間もなく1本を跳ね除けていた。天瑠璃は急激に方向を変え、大きく下がった。避けた場所に大きな鎌の軌跡が見えた。頬を汗が滴り落ちた。
 自分で自分を呪いたくなる。最後の最後に及んで、天瑠璃は自身の呪を――アッリではなく、天瑠璃という――解いてしまったのだ。息が荒かった。呪はそれなりに負担なのだ。
 サウルは真っ直ぐに地面に降り立った。サウルの月に照らされた瞳は、月と反対を向いても瞳に残った月光で紅く染まっている。既に両方がルクサーのしるしを帯び、完全に覚醒したことを示した。たてがみのように輝く黄金の毛。太陽のシャムシール。光の守護者。闇を切り裂くまばゆい力。それら全てが正しい側に立っていると告げてる。
 違う。私は天瑠璃だ。もう一度強く戒め、再び走り出しながら彼女はずっと隠してきたフードを外すしかなかった。長い髪の高く幾重にも結い上げた髪を留めている1本を素早く抜き去る。はらりと黒髪が広がり光を消し去るように闇を作った。抜いた黒曜の棒かんざしは、それ1つで古来サウルの一族が忌み嫌う異形をなしている。われはあまるり。言の葉を乗せ力を解放しようと唇を動かす。もう全力でいくしかない。急がねば。私の気持ちが挫く前に。早く。早く。
 つきはあかしといへど、わがためにはてりやたまはぬ、されど、ひ、さかりゆけむればつきとをとこ――――急に天瑠璃の言葉はかき消された。
「……!」
 1本の手が、天瑠璃の長く美しい髪をつかみとり、喉を締めつけるように引いていた。
 後ろに引き倒される。
 天瑠璃の背後から巻きつくような腕が伸び、彼女の体をがんじがらめにする。
 力強く、太陽の力を持つその体に巻き取られ、焼かれるような熱に声が出なかった。
 小さく笑う声が聞こえた。
「アッリ」
 天瑠璃に戻った彼女を、再び言霊でアッリに戻そうとするサウルに、彼女は惑乱した。
 溜まった力が急速に抜けるような感覚。呪の力が逃げていく。駄目!
「つかまえた」
 もう逃げられないよ。
 そう言っているようにも聞こえた。
 それでも天瑠璃は、迷いもがく。
 私は生きたい。人として、ただ静かに。
 けれどサウルの赤々とした瞳の中の太陽の黒点が、天瑠璃をうっとりと眺めているのを見ると、天瑠璃は最後の抵抗を諦めた。
 己はその存在自体が害をなすもの。
 そうだ。私は害をなすもの。

「ごめんね、アッリ。でも俺は、アッリのことが大好きだったんだよ」

 ああ、と天瑠璃――いや、もうアッリだ。彼女は、諦観した。サウルがルクサーと知っても、アッリは諦められなかった。自分と、彼とをどちらも選べなかった。欲張りに、半分ずつ願ってしまったのだ。
 でも今は、マイノリティとして生きることを諦めた。だってサウルは言ったから。アッリのことが大好きだったと。だからもう彼女はアッリでいい。

「俺はね、君がノクサーと知っても、一緒にいたかった。あのままずっと。本当だよ」

 サウルの声が、半分の月夜に歌のように流れた。
 シャムシールの刃が静かに、襟の上から喉を捉えていた。布地を通しても熱い。先ほど呪をかけたことをこの剣はまだ怒っているのだろう。
「アッリがノクサーだって、随分前から知ってた。血の匂いでわかる。ルクサーはノクサーの血の匂いに敏感だからね、月の障りがくれば、月に照らされなくても匂いでそれとわかる。それでもずっと我慢してたんだから、君を想う俺の気持ち、わかるよね?」
 心臓から血がどくどくと全身に巡る。体の高揚が激しい。呪われた血は匂いでわかるのか。だから女たちから先に襲われるのだ。そうとも知らずに自分は。頬に吹きかかるひどく冷たい息にも打ち震えるほどアッリは動揺をこらえ切れなかった。
「この前の晩、君は初めてその姿を曝した。本当はね、見てたんだ。血の匂いに惹かれて、堪えきれなかったんだ。泉の中に浮くアッリを見た時、もう駄目だと思った。もう耐えられないと。美しかった。欲しかった。すぐにでも殺してしまいたいくらい。だけどね、アッリが好きなんだよ。ルクサーとノクサーの血は交われないこと、知ってるだろう?」
 知っている。
 遺伝子的には絶対に交わることはない。それは単に、互いの破滅を意味する。
 口付けさえ叶わない。呪を吐く唇は触れただけでルクサーをただれさす。
 小さく頷くかわりにだらりとサウルに体を預けると、すいと刃が横に引かれた。肌を露わにするように、襟元が切り裂かれ押し広げられた。
 もういい。どっちが正しいとか。どっちが本心とか。
 抵抗を完全に放棄したことを表すよう、手にしていた黒曜のクロスを地面に放り投げた。
 それを見たサウルの薄い唇が歪んで、尖った牙が見えた。

「俺と一緒に生きよう」

 くぷり、とアッリの喉元に、牙がささった。つうと真紅の血が零れ落ちる。自分の瞳のような色をした血を、サウルはぐびりと恍惚の表情で乾(ほ)してゆく。サウルの体に生命がみなぎり、アッリの体からは生命が失われる。
 吸血鬼の一族であるルクサーは、自分たちを呪う一族の血を最も愛した。
 彼らはノクサーの血を一滴も余さず吸い取り、自らの仲間とすることなく殺していった。最後まで乾せば何百年も血なしで生きられるほどのエネルギーとなるのだ。
 そうして駆逐されるはずの側が駆逐するはずの側を凌駕し、今やマイノリティとなったノクサーは、ルクサーから隠れて暮らす身と成り果てた。しかしサウルはそれを中途でやめる。それが愛の証であるから。
「君の血を半分だけ残す。ぴったり半分。こうすれば、アッリが望めば生きられる。それはもう、人としてではないけれど、でもいいよね。アッリも俺を愛してくれてるもの、いいよね」
 そっと首筋から耳へと唇を這わせ、力の抜けた体に囁かれるのは、言霊よりももっと強力な力を持つ光の歌。
「いいかい、意識がなくなっても望むんだよ。強く望まなければ死んでしまうからね」

 そうしておいで。こっちの世界に、早く

 血の気を失って更に青白くなったアッリの体から力と共に何かが抜けていく。
 ただ普通に生きたかった。人間として
 けれど
 自分はこの男を愛してしまった
 人ではないものを
 マジョリティーを
 だから



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 立ち昇るように人としての魂が抜けていくと、半死状態となった元ノクサーの体がルクサーの手でそっと地面に横たえられた。
 美しい人の血は、かつてないほどの歓喜をサウルにもたらし、あまりの芳醇さに危うく全てをすすり取ってしまうところだった。
 半眼を閉じたアッリは、心臓が止まった後も静かに息づいている。
 これは、受け入れてくれたということ。
 サウルは紅い瞳を三日月型に細めて、愛しい人の長くすべらかな髪に、そっと触れる。
 優しく優しく。
 今はまだ黒くて暗い陰気な色をしているが、そのうち太陽のように美しい黄金色へと変化するだろう。
 アッリがずっと人間として生きたいと願っていたことは知っている。アッリは失った家族を愛していたし、自分の種族、人としての誇りを持っていた。ルクサーのことも随分憎んでたろう。本来アッリには人として生きるか死ぬかしか選択肢がなかったのだ。
 でもそこに、サウルが現れた。
 ルクサーになれば、自分もまた誰かの家族を奪う側になってしまうから、最期の選択はきっと辛かったと思う。
「だけどね、アッリ」
 大きな慈愛がそこには満ちている。
 第七の月は半分だけ照らされているが、それは残り半分が消えたという意味ではないし、サウルの目にはただ月は満ちてるようにしか映らない。月が欠けたと思うのは、その本質を見ていないからだ。月はいつだって丸いままだし、光があろうとなかろうと同じもの。迷うのは人間の弱さ。
「君には人としての血が今も半分流れている」
 そして残りの半分は、サウルの中に。
「足せば、1つだ」
 これで2人は永遠に1つになれたのだ。
 サウルは愛しい人の傍らで微笑んだ。
 口付ける代わりに再び奇妙な口笛を吹いてみた。
 さっきまでは少し憂鬱な曲に聞こえたけど、今はすごくすてきなものに思えて、とても気分が良かった。
 大きな丸い月が照らしている。
 永遠に欠けることのない月が、2人の未来を祝福するように、半分ずつの色に染まっている。
 そして夜が明けた時、2人は新しい日の光を目にすることになるだろう。
 新しい世界へ、ようこそ。


Fin


novela 【Half Moon】エントリー作品