セイレンヲトメ


 先ずは自己紹介いたしましょう。
 ワタクシは、清廉乙女高校に通う清廉な乙女17歳でございます。
 ワタクシのモットーは、『清く正しく美しく、常に淑女であれ』でございます。
 ワタクシは毎朝決まった時間に起き、決まった時間で支度をし、決まった時間に登校いたします。その際1番重要なのは身だしなみでございます。先ずは髪。櫛を入れたら1度もひっかかることなく通る真っ直ぐな毛束をきっちりと1つに結わえることです。そして服装。ワタクシの心を表すかのような真っ白なセイラーカラーと、余計な皺のない折り目正しいプリーツスカート、膝丈の指定ソックスをきっちりと引き上げ、おろしたてのようにピカピカな靴を履きます。通学は買った時と同じ膨らみをもつ学校かばんを持って、手と足を交互に右、左、右、左。ホームルーム開始時刻の15分前には、自席にて諸事万端の準備が整っておる次第でございます。これらは皆、清廉乙女高校に通う女子として至極当然のことなのでございます。
 授業中は常に先生の方を向き、仰られるひと言ひと言に頷き、一言一句漏らさず書きとめます。教室のあちこちを移動される先生ですと体の向きを変えるのは大変ですが、そこはワタクシ。清廉乙女に通い始めて早2年でございますから、ぬかりはございません。授業終了時にするご挨拶、先生に向かって「ありがとうございました」も誰よりもはっきりと申し上げております。ワタクシの辞書から『礼儀』という2文字が欠けたことなど1度もないのでございます。

 そんなワタクシに、ある真冬の日のことでした、大事件が起こってしまいました。
 実はワタクシ、手ぶくろを落としてしまったのでございます。
 これは大変由々しき問題でございました。清廉乙女に通う正しき乙女として、あってはならない問題のように思えました。
 ワタクシはこの重大な問題に立ち向かうべく、毎晩ワタクシの学習机に向かって、考え、悩み、参考書を紐解き、辞典を読み漁り、解決を図ろうと試みましたが、所詮、世間様からすればまだまだヒヨっ子の小娘なワタクシの知能程度では太刀打ちできるはずもなかったのでございます。
 しかし、すぐに諦めては清廉乙女の名が廃(すた)ります。
 毎夜必死に闘いを挑み、屈することを拒んでおりました。
 その結果、ワタクシは睡眠不足に陥り、清く正しき乙女としてあるまじき朝寝坊を繰り返し、右と左とで洗濯度合いの異なるソックスを穿き、手と足とを同時に右、左、右と打ち出してしまうような失態を繰り返したのでございます。
 当然授業にも身が入らず、先生の大事なお言葉を聞き漏らすこと甚大、先生がまだ1度も歩かれたことのない天井ばかりを見つめてしまう有様でした。


「このままではいけません」
 ワタクシは己に渇をを入れ、自宅の仏間にて念仏を唱えます。
 観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。
 しかし煩悩は早わが身の一部となりて、むしろ増すばかりでございました。
 こうなれば、煩悩の元凶そのものを打ち破るほか方法はございません。
 ワタクシはお仏壇に手を合わせますと、恐れ多くも内引き出しの中に封印してありました片一方の手ぶくろを取り出しました。
 そうです、ワタクシは手ぶくろを2つとも落としましたが、片方は回収できていたのです。
 ではもう片方は? とお尋ねになるでしょう。
 何と、人に拾われてしまいました、そのことが問題であったのでございます。
 この手ぶくろ、実を申せばワタクシ生涯で初めて編んだ手編みの手ぶくろでございます。
 さすがにプロ仕様とまではゆきませぬが、美しき乙女として編み物くらいこなせねば、清廉乙女の名が泣きます。
 それゆえ、少々大き過ぎながらも無事編み終えたこの手ぶくろを大変に気に入ってございました。今年の冬の長の愛用品として毎日出陣したほどでございます。世間様では「ヘビロテ」と申すのでしょうか。制服の赤いリボンと同色の真っ赤な色をしております。これはワタクシの熱き血潮、燃ゆる乙女魂を表しているのでございます。
 しかしその日、赤き血潮をたぎらせるには少々暑いバスにワタクシは乗っておりました。
 清き乙女の名に恥じぬ制服姿ではございましたが、やはり手ぶくろを外すと緊張感も薄れてしまうのでしょう。ワタクシはぼんやりとして、乗ってこられたお年寄りの方に席をお譲りし満足しておりましたところ、そこが自分の降りる場所であったことに気付いたのでございました。「運転手様、ワタクシここで下車いたします!」、大急ぎで飛び降りますと、外の冷たい空気にさらされました。いよいよワタクシの熱き魂という相棒の出番が来たとバッグから取り出そうといたしましたら、この冬一番の同志の姿が見えません。
 君はいずこ!?
 慌てるでない。
 ワタクシは賢き乙女として冷静になり、こんなこともあろうかと目立つ赤色でもあるのだと自分に言い聞かせました。すると手ぶくろは振り返ったバスのステップにてんてんと落ち、その存在を主張しておりました。
 さすが同志。
 ワタクシはニコニコと一方の手ぶくろに手を伸ばしました。
 そしてもう一方に手を伸ばしかけたところ、素早くどなたかの手が動き、それを拾い上げるのを目にいたしました。
「これ、君の?」
 そう言って、その方はワタクシに差し出そうとなさいました。
「……」
 ワタクシはお答えもできぬまま、その相手の方をまじまじと見ておりました。相手の方はそんなワタクシを呆れたように見返しており、まるでお遊戯の〈笑うと負けよ〉の如く顔を突き合わせたままでございます。そのようにしておりますと、無常にもバスの扉は2人の間でしまり発車してしまったのでございます。
 それでもなお、ワタクシは動けぬままでございました。
 片割れとなってしまった赤い手ぶくろを持ったまま、ぽかんと、バスの去った空間を眺めていたのでございます。
 ワタクシの頭の中には、どういうわけか、そのお顔立ち、そのお声、その手、その視線、全てがぐるぐると渦を巻いて全体を占めてございました。
(なんと! なんと素敵な殿方であったことか…!)
 ……ハッ
 ワタクシは回想の渦に巻かれていた自分を叱咤し、現実に戻りました。
(いけませんわ!)
 清廉乙女ともあろう乙女が、斯様な、見も知らぬ年上の殿方に心奪われてるなんて、とんでもございません!
 今でもその時のことを思い出すと胸が疼くなどとは、断じてありえないことでございます!
 ワタクシは再び熱くなった頬をぱしりぱしりと叩いて、手ぶくろを屹度(きっと)睨みました。必ず、必ず相方を取り戻さねばなりません。ワタクシたちは3つで1つ。三位一体なのでございます。手ぶくろばかりが3つでワタクシが存在しなくても、片方の手ぶくろとワタクシだけでも、駄目なのです。
 ワタクシは、どうすればあの殿方からワタクシの手ぶくろを奪い返せるかを考えました。
 これまでは、ワタクシの煩悩にばかり目を向けておりましたが、そろそろ殿方に目を向けるべきだと悟ったのでございます。
 もちろん! これはワタクシの赤き魂奪還計画であって、決してあの殿方にもう一度お目にかかりたいなんてそんな疚しい下心は露とも抱いておりません!
 断固とした強い意志を持ってワタクシは臨みます。
 何を隠そう、ワタクシは清廉乙女高校に通う清く正しく美しき乙女なのですから。
 ですが、もしあの殿方に再び遭遇した時に、何の作戦もなく手ぶらで立ち向かうわけには参らないでしょう。
 ワタクシは一心不乱にお念仏を唱えます。南無妙法蓮華経……南無妙法蓮華経……
 ふいに、ワタクシはご加護を受け、1つの閃きを得ました。これも全て仏様ご先祖様のお陰でございます。ありがたやありがたや。南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……。


 1ヶ月後。もう冬真っ盛りと呼ぶには少し違和感を覚え始めた頃のことでございます。ワタクシはようやく決戦の時を迎えておりました。
 どうしてこのように時間がかかってしまったかと申しますと、それはワタクシがまだ編み物初段の領域を抜けていないからでございます。決してこの日を狙っていたというわけではございませぬ。
 しかしながら、仏前より啓示を受けたワタクシには、1つの勘がございました。
 それは、あの殿方は必ずや、今から来るバスに乗っているという勘でございます。
 これは淑女としての日々の鍛錬の賜物の末、御仏より得た貴重な勘でございますから、例えば毎日色々な時間のバスに乗って確かめたり、その際には帽子眼鏡着用で変装していたなんて検証結果には非ず、当然外すべくもございません。
 ワタクシはあの手ぶくろを落とした日と全く同じバスに乗る予定でございます。
 もちろん、あの日と全く同じ、清く正しく美しい制服を着用しております。
 とうとう運命のバスはやって参りました。
 この計画が無事済んだら、もう2度と乗ることはないであろうバスでございます。
 ワタクシはしかと目に焼き付けると、あの日と同じところに座り、緊張に顔を強張らせつつも、正しき乙女として文学書を手にいたしました。ワタクシが本に没頭していれば敵様も油断すると存じます。
 乗ってから何駅過ぎた時でしょうか。すぐに、例の殿方と、目の前にあの時と同じご老婆が乗り込むのを目にして、ワタクシはサッと席をお譲り申し上げたのでございます。
「どうぞこちらへ!」
 すかさずワタクシはバスを降りようとステップに足をかけました。
 足元に、赤い手ぶくろを落としながら。
「あ、君!」
 すぐに声をかけられました。
「あの時の」
 ワタクシはちらり振り返り、それが紛れもなくあの殿方であることを確認いたしました。
 しかしながら、確認いたしますとすぐにステップを降りました。
「また落としてるよ」
 殿方は落ちていた手ぶくろを素早く拾いあげ、今度はとんとワタクシの肩に手をかけられました。ワタクシは息が詰まりそうになるのを必死で落ち着けると、ようやく殿方に向き直りました。
「なんでしょう」
「これ、君のだよね? 丁度良かった。前回落としたのも、かばんに入れっ放してたんだ。まとめて渡しておくよ、はい」
 殿方はそれはそれはお優しい仕草で…いえいえ! もう盗人たけだけしいとはまさにこのこと、よくも平気な顔をして人の魂を奪ったものでございます。ワタクシは屹度した態度ではっきり申し上げました。
「それは、ワタクシのではございません!」
「えっ…だって君、今落として」
 殿方は呆気にとられたようなご様子です。
 でもワタクシはきっぱりとお答えします。
「いいえ。それはあなた様のでございます。ようくご覧になってください、ワタクシのはホラ、ここにございます。ワタクシのは2つが決してバラバラにならないよう、1本の毛糸で繋がっております。そのように、片一方を失ってしまうような危険性をはらんだ未熟で大きな手ぶくろがワタクシのものであるはずがございません!」
 ワタクシは得意げに長い長い毛糸をお見せし、差し出された手ぶくろを手のひらで押し返しました。ワタクシが今持っているのは、赤い毛糸でつながれた、全く別の手ぶくろでございます。糸でつながれていなかったから、あのような失態をしてしまったのだと、ワタクシは反省したのでございます。そもそも、一度殿方に拾われたのですから、それはもうワタクシの心を離れたのです。いつまでも拘っているから前に進めなかったのだと気付いたのでございました。さらば同志よ、彼と共にあれ! ワタクシのとあれこれ見比べられた殿方は、困惑を隠しきれないご様子でした。混乱する殿方の後ろで「発車できません。ステップから離れてください」という車内放送がかりました。
「それでは、ワタクシ急ぎますので失礼」


 いい機だとばかりに、ワタクシはその場を後に走りました。もう振り返ったりいたしません。ぷしゅーっとドアの閉まる音とバスの発車する音が、ワタクシの胸の中にしっかりと響いてございます。
 無事、ワタクシは熱き乙女心の応酬に成功したのです。あの殿方には、編み物2段にランクアップしたワタクシには相応しくない初段の手ぶくろを、見事、突き返してやりました。あの方には初段程度がお似合いです。
 ところが、何だか足取りがひどく重いような気がいたしました。
 気分良く小春日和の中を駆け抜けておりましたはずが、どよどよと重苦しいものに変わってきてるのでございます。
 ワタクシは、春へと向かい使う機会の減り始めた赤いてぶくろを、走って苦しい胸に抱きました。
 もう永遠に会うことのない、初段の手ぶくろ。
 初めてワタクシの得た、魂の片割れ。
 ワタクシは涙ぐみました。少しばかり感傷的になっていたのでしょう。きっとそうに違いありません。何せ初段とは言えワタクシの初作品、思い入れは強うございます。でも大したことはございません。出会いあれば別れありでございます。全然悲しくなどございません。
 …………
 ………
 ……
 …ワタクシ、嘘を吐きました。
 清廉乙女としてあるまじき行為でございました。
 正直に申し上げましょう。――思い入れどころではございません。あれは熱き魂の叫びでございました。手放したくない青春のたぎりでございました。嗚呼! 嗚呼! もし可能であるならば、今すぐ取り返したい。あの初段の手ぶくろを。ワタクシの赤い乙女心を!
 今度はさめざめと泣きながら走リました。
 びいんと強く引っ張られたのは、その時でございました。

「いい加減、止まりなさいー!」

 驚いたことに、すぐ後ろにあの殿方がおられるではないですか。
 はぁはぁと息の荒い殿方は、清く正しい健康的な乙女の全力疾走に、全力以上で走ってついてこられたのでした。これは俗に言う『ストーカー』というものだったのでしょうか。
 そうではございませんでした。
「毛糸が…からまって……」
「はい?」
 良く拝見いたしますと、なんと、ワタクシの2段手ぶくろの長い毛糸が、殿方の上着のファスナーにしっかりと引っかかってるではございませんか。まるでワタクシと殿方がペアの手ぶくろのように、いえいえ、前世からの因縁のように繋がってしまっているのでございます。
「まあ!」
「何度も呼び止めたのに、走って逃げてくから、新手の嫌がらせかと思ったよ」
 ようやくひと息ついたのか、殿方はファスナーと毛糸をカチャカチャと引っ張り出しました。丈夫な糸はぴんとして、ワタクシを1歩殿方の方へと近づけます。再び動揺し始めたワタクシの感情はでも、無事、初段手ぶくろと再会を果たした喜びに打ち震えております。
「あー取れない! 突然バスは降ろされちゃったし。死ぬほど走らされたし。なのに取れない! かと言って切るわけにもいかないよ、ね…?」
 殿方はちょっとおつむりを掻きむしるようにされますと、ふうと息を吐かれて、ワタクシにお尋ねになりました。
「悪いんだけど、手ぶくろを交換してくれないかな」
 そして引っかかったままの糸をぶらぶらとさせますと、
「これ、すぐ取れそうにないし。僕はこの紐付きのをくっつけて帰るよ。君にはこっちを」
 そう言って初段手ぶくろを差し出されました。
 ワタクシはあまりの出来事に、うまくお答えすることができませんでした。
「い、いえ、い、いえ」
「?」
「ワタクシは、もはや3段レベルですから、初段など」
「…よくわからないけど、じゃあこれも僕にプレゼントしてくれるの?」
 ワタクシは、突然の殿方の恥知らずな物言いに、顔を真っ赤にして反論いたしました。
「とんでもございません! 何を根拠に! プレゼントだなんて、そのような!」
「だって、じゃあ何で僕のだなんて嘘を言ったの」
「ワタクシ、ワタクシは決して嘘など――」
「…あれ、この手ぶくろ中に何か入ってる」
 それを伺ってワタクシは大慌てでございます。
「知りません! 存じません! もう全部差し上げますからそのようなことは全て後回しになさってください!」
「あ!」
 殿方は大変びっくりなさってワタクシの顔をまじまじと覗かれましたが、ワタクシはもうとてもとてもそれを見つめ返せるだけの気力はございませんでした。
「……ふうん――これって、そういう意味でとっていいのかな」
「……それはワタクシの手ぶくろではございませんので、何のことやら…」
「だって、手ぶくろの中にチョコが入ってて、今日はバ――」
「ワタクシ、今日が何の日だかなんて存じませんから!」
 ワタクシのあまりの狼狽ぶりにお困りになられたのでしょう。殿方はしばし考えるような仕草をなさった後、ちょっと口元をほころばせになりますと、こんな風にご提案なさいました。
「わかった。それじゃあ、通り道にあったお店で美味しいお茶でも飲みながら、ゆっくりとこの糸を外すっていうのはどお? 僕は正直もうへとへとなんだ」
「へとへと?」
「そう、へとへと」
 本来でしたなら、見知らぬ殿方とお茶をするなど、清く正しき乙女にはあってはならないことでございます。
 清廉乙女として断固お断り致すところでございます。
 ですが、今回は事態が事態、ワタクシの大事な手ぶくろは殿方の大事なお召し物に引っかかって、殿方にはもう既にひと組、手ぶくろがあるのです。互いににっちもさっちもいかない状態でございますもの。それならば仕方がございませんものね。
 ワタクシは走ったせいで熱くなった顔をつんと澄まして、仕方がございませんから、お付き合いいたします、とだけお答えいたしました。
 殿方はワタクシの物言いに少し噴き出されますと、それじゃあ申し訳ないけど、しばらくお付き合いください、と丁寧に頭を下げられて、ところでこの手ぶくろは手編みですか? と質問されました。


Fin

                                    
novela 【清く正しく美しく】【手ぶくろ】エントリー作品