求めよ、さらば


「私を抱きなさい、G」

 女主人(マスター)の寝室内に入れられたGは、初めてそう命令された時も顔色ひとつ変えなかった。
 でもそれはGが非人間的だからよりも、主人を守るボディガードであり殺人者(ヒットマン)であるという意識が強いだけで、そんなことで動揺しては組織の長であるマスターを到底守れない為だ。マスターが本当に信用しているのは子供の頃からの執事とGだけだった。
 Gが初めてこの組織に与したのは今から3年前。マスターはまだ10代で、しかしこの巨大な組織をまとめあげる力量も度胸も既に備わって君臨している大物だった。Gを見、そしてその能力と死を恐れない冷静さを見て取ったマスターは、すぐにGを傍に置いた。Gにとっても、マスターは絶対になった。
 マスターはソファに腰掛けて、美しい髪を無造作にまとめ、氷のような瞳を細めて挑発的に微笑んでいた。シルクのガウンの裾がはだけるのもかまわずオットマンに長い足を投げ出し、太ももが露わになっている。緩く結んだ腰紐のせいで胸元が今にもずり落ちそうで、芸術的な衣装のように絹と肌の境目を見せている。でもGは、女の裸ごときで――例えそれがマスターであろうとも――動揺したりする事など皆無だった。
「今日は趣向を変えて、ここでだ」
 マスターの表情はいつも通り無表情だった。マスターが今の地位に就いたのは15の時だという。欲に目がくらみ両親を裏切って2人を殺した兄にマスターはすぐに死の制裁を与えた。そして兄に懐き事態を止めようとしなかった妹も、すぐに殺した。組織を守るためには誰よりも冷徹な心を持っていた。だから彼女の顔が欲望や感情に流されることは殆どなかった。
 マスターは立ち上がって、同じく表情を変えずに立っているGの傍に来ると、すぐに口づけた。それでもGは、マスターの周囲に異常がないか視線を走らせ、彼にとって全てにおいて絶対であるマスターに感情をぶちまける事は決してしなかった。そうしているうちにマスターは、Gの口に舌をはさみ、Gのスーツのジャケットを脱がした。
「私は、お前のこの銃が好きだ」
 Gの肩にかかるホルスターを触り、マスターは行為の最中でも外させない。黒いスーツしか着ないGの黒いネクタイを引き寄せ、自分ごとソファに倒す。東洋人としかわからないGの大きな上半身を両手でなぞり、ベルトに手をかける。Gは無表情にマスターの体に体重がかからないよう四肢のバランスを取った。

 最初は拒んだ。マスターの命令だとしても、これだけは認められなかった。死ねといわれればすぐに死ぬ。だがしかし、マスターを女として抱くのだけは出来ないと思った。黙って首を振り出て行こうとしたGに、しかしマスターはこう言った。
「ならば、お前をこの任務から外す。私のボディガードは別の者にさせる。そしてお前はもっと欲望に甘い男達に私が毎夜犯される姿を遠くで見なくてはならない。私は知っている。お前は私を愛している。だから例え自分の愛を表に出せずとも、夫となるべき者もいない私を私が愛してもいない人間が貪り食うのは許せないはずだ」
 マスターはいつでも正しかった。Gがマスターを愛していると言った事もそう思った事も一度もなかったけれど、しかしそれは正しかった。マスターの甘言につられマスターを押し倒そうとした瞬間、Gは何も言わずにその男を殺したであろう。
「どうだG、これは取引だ。私はただ、この時間をお前に提供してやろうと言っているのだ。これは普通の恋愛ではない。欲望の処理でもない。私のプライベートルームをお前に見せてやるだけじゃないか?」
 Gは逆らえなかった。それを見て取ったマスターはGをベッドに引いていくと、感情もなく全裸になった。
 まだうら若い、世間なら花盛りの女性であるマスターは美しかった。マスターはGに言葉を強要し、Gはその通り囁いた。驚く事にマスターは処女だった。いや、驚く事ではないのかもしれない。マスターは子供の頃から組織を離れ自由になったことなどなかった。Gは自分の年齢を知らなかったが、生きるために多くの経験を積んでいた。その経験と比べ、マスターの精神力の異常なほどの高さを知るだけに、肉体のあまりに若いことに悲哀を感じた。
 初めての経験であるにもかかわらず、マスターはそれから毎夜、Gを求めた。そして決してGの精を外に出させなかった。心配は要らない、と一言、お前の生きる証を私に与えなさい、と続けた。
 快楽に溺れたわけでもない。ただ自分を傷付けたかったのか。でもGは、毎晩マスターがGに同じセリフを言わせることを知って、もうマスターを拒んだりはしなかった。G自身も快楽に溺れることもなく、心と体を切り離して、マスターの感情を上下させる事に務めた。

 今日もまた、Gは部屋に呼ばれた。そして今、ソファの上でいきなりGの腰に絡みついたマスターはもう性の喜びを知っていた。けれどそこに逃げ切れない自分を憎むかのように激しく嬌声をあげた。何度も何度も頂点に達しているのを感じとったGは、そのうちにマスターが感極まって涙をこぼすのを見つけた。
 どこでも見たことのない光を見つけたGを、マスターは挑戦的に見返した。
「どうだ、私も人間だっただろう?」
 Gはマスターを揺り動かした。マスターはうめきながら白い喉元に噛み付くよう命令した。
「私も、ただの人間だ」
 そしてGも限界に近づいた。Gが微かな声と皺を寄せると、マスターは言った。
「さあ――いつもの言葉を」
 Gは初めて。
 涙を見せたマスターに初めて。
 感情を吐露するように
 心を開くように
 解放した。
 その一瞬だけ。


「お前を愛している。ずっと、ずっと私の傍にいてくれ」

Fin