After then 1


「男ってバカ。ほんとバカ」
 彼女が吐き捨てれば、すぐ隣りにいたちづるが困ったように見る。
「でもお……」
「夢見るだけ損」
 冷たい言葉だけが次々と浮かび上がる。どうしても同情的になれない。誤魔化すように外を向いた。今日はばかばかしいほど春の陽気で、買ったばかりの薄手のスカートがいやに明るい。

 ちづるの話を聞いた時、1年前のことを思い出して、彼女――あゆみはかなり憂鬱になった。もう1年。まだ1年。どう捉えるかはその人次第だろう。でもあの時からあゆみは、男という存在を見極めることをすっぱり諦めていた。それまで尽くすタイプと思われかつ思い込んでいたおのれを捨てて、男を翻弄することにだけ生きがいを見出すことにした。だからちづるの、好きな人への片思いの深さや相手の気がどのくらいこちらにあるのかわからないという悩みを、『この間一緒に飲んだときキスされたんだけど』という文章から始まる言葉で告げられて、ただ相手をけなすにとどめたのは、かなりの譲歩のつもりなのだ。それを言ったところでちづるが諦めそうにないのは、あゆみの責任ではないし、追求もできないことである。男ってものはどうしようもなくバカだけど、女ってものはそれに環をかけるくらいもっとバカらしい。でもその“女のバカ”を責めたらもっとひどいことになる。男は責めれば責任転嫁できるけど、女は責めればとことんまで自分のせいにして相手をどこまでも守りに入る。つまりは、相手のこころを助長するだけである。

 あゆみは磨きに磨きのかかった美しい体型に非の付け所のない服をまとって、美しく足を組み替えながら、それでも自分が世界一報われないような気がしているのを忌々しく感じた。カフェのテーブル越し、ちづるが半ば羨ましそうに、半ばおのれも同じだけの素養を持っていると強気になるのを無意識に意識する。それでもあゆみのこころは報われない。だったらせめてちづるのこころだけでも慰めてやるべきなのか。相反する気持ちを見ないために、あゆみの目は憂鬱のうちに瞬きしている。「傷つく覚悟があるなら試してみれば?」
 あゆみの言葉に今度こそちづるは反応し――希望を一瞬見せ、ひた隠すように考えるふりをしたのがわかった。そうしてあゆみはまた傷ついた。女のバカさ加減をあらためて見せられ傷ついた。やっぱり、女は結局後押しして欲しいだけなのだった。確証でなくても事実でなくても、ただ何とかなるよという安心感を欲しがる。だから、ちづるの言うその男が、実はあゆみにネチネチつきまとって図々しくキスしようとしたことがあるという過去を綺麗に隠してたとしても、おくびにも出さずちづるの欲しい言葉を与えてやることで、救ってやれる。女には現実も本音も厳しい予想も必要ない。ただ甘い夢を与えることがうるさい子宮を救う糧となる。

 あゆみにとって辛いのは、いまだに悪夢が目の前をふらふらしてて、たまにあゆみへ悪意という名の愛を与えてくことだった。どれだけ気持ちを切り替えようとしても、性質を変えたつもりでも、悪夢があゆみの前へ手を差し伸べると、あゆみはその手を取らずにはいられなかった。そうして、自己嫌悪を抱えて生きることになるのを止められないでいるのに、他人には弱味を見せずに強がっている。忘れることもできず、希望を抱くこともできず、でも諦めることもできないまま、ひたすら気持ちに蓋をして、嘘を吐き、他で遊んでるつもりになりながら気を紛らわして、私は寂しくないなどとうそぶく。本当は、中途半端に手の届く存在にイライラして泣きたいくせに。その長い繰り返しに埋没するくだらない日常を、遠くでしか眺められないくせにだ。
 ――いつだろう。初めて会ったときから、びっくりするほど好きになった。もちろん、ちづるなんかが話題にしてる男ではない。あゆみが、あゆみだけが心惹かれたと信じている別の男だ。

 男は一見気安く、一見孤高で、素質を見抜ける女だけが引っかかるタイプの男だった。それこそ自慢ではないが、あゆみには会った瞬間にわかった。この男とは遺伝子レベルで合う。そして、外見にあらわれない惹かれる要素が多い、と。でも、あゆみはその気持ちをひた隠して、ただ仲良くするにとどめた。つまり、自分には無理な相手だと、現実的にも、本能的にもわかっていたからだ。どんなに男にモテるあゆみが好きでも、あゆみに真剣に振り向いてくれるタイプではないことを、男の求めるタイプが本質的にあゆみとは異なることを、好きになると同時に悟っていた。なりふり構わず猛烈に追いかけるほど、あゆみはプライドが低い女ではなかった。だからただ仲良くすることで、プライドを飼い慣らした。
 それでも、その年上の男はとてもあゆみを可愛がってくれたしとても親切で、もちろん、通常の一線を越えることはないけれど、ときどき特別な優しさを見せてくれたのだった。期待はもてないけど、あゆみのこころが途切れない程度に、あゆみとの仲は良好だった。ただ辛くもあり、ただ幸せでもあったなどという、あゆみのどこか嗜虐的な性質を、くすぐるような友人関係は、あゆみが想像していた以上に長く続いていたらしい。

 今考えればそれら全てが、恐ろしいほど緻密に計算された、罠であったような気さえする。
 あゆみの気持ちを、あゆみの不安定さを、どこかでわかってたのだろうか。否、好意を解してはいたのだろう。今にして思えば、あゆみがどんなに隠したつもりでも、全部さらけ出しているのと同じだっただろうから。ただ、あゆみがガツガツと自分を狙ってくるようなタイプの女でないことをわかってたから、安心して仲良くしてたのだと思ってた。実際そうとしか思えなかった。だから、あゆみが最終的にはこの男とどうにかなりたいなどと夢見ている女ではない、と知った上で、知った上で。
 知った上で――。
 まるで偶然の過ちのように、あゆみに問うてきたのだ。
 時折見せる優しさで、食事に行き、2軒目で飲んでるときに。
 まるで予想していなかったと言わんばかりに。
 今夜は一緒に過ごすか? と。



(つづく)