パーフェクトゲーム 3


 約束を始めてから3週目に入っていた。梨古とはもう既に10回ほどデートをしていて、その頃にはもう、敦之はすっかり気持ちが変わっていた。
 当初の敦之の考えでは、ちょっと色っぽい雰囲気を作って押し倒してしまえば、既成事実を盾にどうとでも言えるだろうと思っていた。しかし梨古はその手には乗らなかったし、自分もなんだか違うと確信した。というのも最初のあの夜、夕食が済んで車に乗り込んだ時、再び迫った敦之に梨古が講じたのは、最初の時にも増して大人っぽい対処だったから。
 梨古の頬を掴んで距離を縮めようとした敦之を、梨古はじっと見返した。色っぽい視線も、上気する頬もなく、ただ見つめ返して視線だけで敦之を押さえられる。その目が。その瞳がただ真っ直ぐに自分を見返している。その後起こりうることには反応しないと宣言している。それは逆に今までの敦之を表していた。マニュアル通りに事を運ぶだけで、自分は全く何も感じずに相手にキスしていたことを、そのまま返していると思った。
 ――多分本当に、わからせてやろうと闘いを挑みに来てる。
 ますますこのゲームを楽しみたくなる。敦之はくすりと笑った。だから、そんな今までのマニュアルを捨てて、単純に彼女を振り回そうと思った。
 2度も拒絶されて以来敦之は梨古に手を出すことはやめていた。でも梨古とはそういう甘さが無くても、艶やかな雰囲気があるようだった。それに彼女は見た目よりもずっと大人に感じる。自分が梨古攻略に四苦八苦しているのを見抜いている。だったら自分は、もっと素であらねばならないのではないか。作り物では梨古は誤魔化せない。そもそも余り深く考えないで好きなことを話し好きなことが出来る関係なのだ。それに自分が本当に楽しんでいる方が、自分を裏返したみたいな彼女は満足するだろう。
 ゲームを思った以上に満喫している自分に、突然気付いた。
(梨古は不思議だ)
 彼女は女を武器にしたりしないのに、より女らしい何かを感じさせる。敦之をおだてるようなことも言わないが、面白いと思ったら素直に笑う。それは媚びていないのに異性なのだと気付かされる。
 敦之は自分を呼ぶ同僚の吉岡の声ですぐ我に返った。
「午後一番の会議について再確認があるんだ。煙草吸いに行こう」
 簡単に打ち合わせしながら歩き、ある程度の確認を済ませた。吉岡はほっとしたように溜め息をついて2人で喫煙スペースに行った。煙草を取り出しながら吉岡が言った。
「よし、これで問題ないな。ところで、最近早帰りが多いってもっぱらの噂だけど?」
 噂ってなんだ、と思いながら敦之は同僚を見返した。
「さあ」
「不特定多数としか付き合わないのかと思ってたけど、最近は真面目に1人に絞ってるんだ」
「別に。誰がそんなこと言ったの」
「俺、色んな女に聞かれるんだよ。お前に彼女とか本命がいるのかって。なあ実際、どうなんだ?」
「なんでそう言うことにそんなに興味があるのかねえ」
 敦之はどうでもいいと言わんばかりにうなった。相手の気のない返事を聞いた吉岡は、うまそうに煙草の煙を吐いて、続けた。
「お前だからじゃねえの。お前はモテていいだろうな。ま、あんまり羨ましくないけどな」
「どうして?」
 同僚が羨ましくないと言ったのを聞いて、敦之は意外に思った。いっつも合コンばっかり出てるくせに。
「だってさ、女が途切れたことないみたいだし、いつでもべったりお前を追い掛け回してさ。怖いよ。なんだか女達に呪われてるみたい。もっと自由にしたくないか?」
 敦之は眉間に皺を寄せた。怖い? 何が?
「あ、違うか。逃げたいのか。どっちにしたってそんなに意味は変わんねぇな。別に他人がどう付き合おうと勝手だからいいけどさ、本当にすっげえいい女が現れたとするじゃん。でも今のままならその時お前は目も耳も塞がれてて、手探りで探してるわけよ。体も押さえつけられてて苦しくねえかなあって。もったいないね」
 吉岡が残念とも不思議ともつかない声を出すと、最後の煙を口から吐き出して敦之はニヤっと笑って見せた。
「どうしてそんなことしてるか知りたい?」
 ゆったりとした動作で煙草を始末する。吉岡はちょっと目を丸くして同じく煙草を消すと、すぐにうなずいた。敦之は目をきらりとさせて言った。
「サイテーでいれば、それ以上悪くなることはないから」
「…なんだそれ」
 敦之はくすくすと笑うと「さあメシだメシ」と歩き始めた。


 その晩、待ち合わせの駅前に行くと、梨古はもう来ていた。
「早いな、そんなに待ち遠しかった?」
「馬鹿ね。いつになったら気がつくの」
 相変わらずなセリフ。敦之の戯言もさらりとかわす。梨古はシックな服を着ていて、敦之と並ぶと似合いのカップルに見える。なのに敦之がちょっと色めいた会話をすると返事はそっけない。敦之はちょっと肩をすくめた。
 店に着くまでと、敦之は梨古の手を取ってみた。言葉では冷たい梨古も、これだけは何も言わなかった。ただ梨古はじっとつないだ手を見ていた。嫌なのかどうなのかもわからない。敦之は何も言えなくなる。普段なら手にとるようにわかることも、梨古が相手だと何を考えているのかと思うことが多すぎた。
 いいんだ。俺は別に、この女を本気で手に入れたいわけじゃない。
 賭けに勝つとか負けるとか、そういうことでなく、純粋に彼女を打ち負かしたい気持ちでやっているだけのことだ。何がどうなろうと、結局あと1週間ちょっともすりゃお別れだ。この時間とも。
「ねえ敦之」
「ん?」
 梨古はそう呼んでおきながらしばらく黙っていた。
 駅から10分くらいの、いい感じの所にあるレストランに敦之は予約を入れていた。単純に敦之が気に入っている店だった。だが他人が見ると「色男はこういう店を使うのか」と言われてしまうようないい店だった。女からすればさしずめ「体を見せるだけの価値ある男」というところかもしれない。でもそんなものどちらでも敦之には良かったのだ。 
 少し坂になっている道を、手をつないで歩く。はたから見れば、立派なカップルなのに。木々のライトアップが美しい。
 梨古はようやく口を開いた。
「キスもさせてくれない私を相手にしていて、楽しい?」
「ええそりゃあもう。お嬢様がどうやったら私に転んでくださるかと色々楽しいですよ」
 敦之は笑顔を作って言った。
「そうじゃなくて。今まで、あなたはセックスなしの恋愛なんて考えられなかったんでしょ。なのに、ここまで私につき合う義理はないんじゃないの」
「むざむざ負けに行く理由もないでしょ」
 梨古が何を言いたいのかわからずに、敦之は前を向いた。眉間の皺を隠すためだった。
「じゃあこうしましょう。今ここで、賭けの賞品を決めるのよ」
 梨古は急に立ち止まると、つないでいる手を持ち上げた。
「私が勝ったら、公衆の面前で私にフラれて見せてね。でもあなたが勝ったら」
 すっと、一瞬梨古の瞳が燃え上がったように見えた。
 この瞳は。
 敦之の心の奥で炎がゆらめく。
「私を抱かせてあげる」
 彼は――黙ってうなずいた。