ラブシチュ物語 陸


MIYAKOが思うラブいシチュエーションの物語集(ブログまとめ)
ラブシチュ13から派生する、オムニバス。全員がどこかしらで繋がってます
ちょっと多い&長いので、ラブシチュ 漆と2つに分けます。


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23

「ねえねえ、凛ちゃんて、婚約者がいるってホント?」

入学して2ヶ月が経つが、いまだクラスにあまり馴染めずにいる大人しい凛は、突然話しかけて来たクラスメイトにびくりとしながら、まつげの多い瞳をぱちくりとさせた。
この人は確か…天野さんといっただろうか。

「あたし、2年生にお兄ちゃんいるんだけど、そのお兄ちゃんのお友達にね、うちの3年にお兄さんがいる人がいんだって。で、そのお兄さんていうのが、凛ちゃんの婚約者だっていう人と同じクラスで、その人は1年に同じ名字の婚約者がいるって言ってたって」

ずいぶんややこしいが、ようはこの学校の3年に、凛の婚約者なる人が存在するかどうか、というのが聞きたいらしい。
凛は控えめながらも小さく動揺して、頬を染めた。

「…そんな、そこまではっきりしたものではないの…」

凛の答えを一応の是ととらえたのだろう。天野さんは小柄な体躯を興奮で満たすと、飛び跳ねるようにして凛の眼前にせまった。

「本当なんだ! すごい! 婚約って、プロポーズされたってこと? それとも、同じ名字って、もう結婚してるの? 相手はどんな人? その年でもう、婚約者とかがいるって、どんな理由? どんな感じ?」

矢継ぎ早に出された質問は、声が高かった。そのせいでクラス中がざわっと凛の方に注目したのを感じて、凛はますます小さくなって、声をどもらせた。

「…わたしは……あの…家が勝手に…結婚は…まだ……」
「家同士が決めた相手ってこと!? すごい! 凛ちゃんの家って、やっぱりすごい家なの? 凛ちゃんの名字のサガラって、この辺りに多いし、元豪族の家系なんでしょう? だから?」

確かに。嵯峨楽という姓はこの地に多く、地名にも残っている。凛の婚約者と名乗っている男が同姓なのも、おそらく、元を辿れば同じ出自なのかもしれない。が、いまのところは親戚関係はなく、たんなる偶然だった。でも、その偶然のお陰で、あの男が凛の婚約者だと名乗ることになったともいえる。どちらも地元では有力氏だからだ。

凛は家のことや家業のことなどどうでもよかった。ただでも、双方の家が互いの息子娘を結婚させられたらいいだろうなどと冗談半分に話し、年の離れた姉が将来あの男と結婚すると幸せそうねなどとまだ高校生の凛に向かって言い放ち、跡取りだからなのか自分の家の事業に有利なことならなんでも真剣に取り組むと噂の真面目なあの男もその気になってしまった、というだけのことなのだ。凛にとっては、自分以外のために利用させられる結婚なんて、この年でまだ、何も考えられはしなかった。

だけれど。

つんと切れ上がった目、すっとこぶりな鼻筋、真一文字にかたく結んだくちびるという柔らかさのかけらもないあの男を初めて目にした時に、凛の方では、すっかり……。

「聞きたい聞きたい、凛ちゃん、教えて、ねえってば」

すっかり、虜になってしまったというのが、正しい。

「……」

頬を染めてただうつむくだけの凛に焦らされながら、いつのまにか天野さん以外の女子もわらわらと周りを取り囲んで、質問攻めであった。男子もはっきりと聞き耳を立てて、クラスの中でも美人と評判の凛を遠巻きに眺めながら、胸中複雑そうな表情を浮かべている。

そんなことは露ほども気づかない凛は、自分の想いと裏腹に、おそらく、ただ家のためだけにこの婚約を押し進め、そして恥ずかしげもなく結婚を公言して憚らないあの男の、真っ直ぐな後ろを振り返らない姿を思い浮かべて嘆息した。婚約者がいるなどと平気で言えるのは、凛に対する想いのかけらもないから。凛のことなど、次にやってくる試験と同じほどにしか見ていないから。わかってる。

本当に振り向いて欲しいなんて、凛からは口が避けたって、言えやしない。いつ破談(まだ真剣にまとまった話でもないが)になるともしれぬ、たんなる瀬踏みにも等しいこと。そうなったときの不幸を考えるなら、凛はただ、黙って、大人しく従っているのが一番いいと思う。

嫌われないようにするのが精一杯なの、とは言えず、好きな相手を褒め讃えることもかなわず、ただひたすら、どうか騒ぎたてず放っておいて欲しいと願うより、ない凛の胸には、あの人がどのような顔をして、凛を婚約者だなどと言いふらしているのか、そのことばかりが浮かんでは、消えた。
2010.05.28

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24

キミトシが言われた通り家で待っていると、母親に呼ばれた。
「キミトシ、お友達が来たわよ」
しぶしぶといった態でキミトシは玄関を出る。幼馴染みのコウエイと、コウエイがいつもつるんでいるやつらがぞろぞろと5人も玄関前でたむろしていた。キミトシはこれからコウエイの家に連れてかれるのだ。コウエイがよう、と手を挙げるのはいつものことだが、周囲のやつらも一斉に友達面するのが奇妙でならない。
「奥くーん、あっそびっましょ」
「奥くん家って、すっごい立派な家ー」
「今日は春日部家で、ゲームして菓子食べて夕飯もご馳走になってく予定だぞ」
「うお、ホントに言われた通り待ってたんだな」
最後に言われた瞬間、キミトシが目をやるのと、コウエイ以外の人間がそいつを袋だたきにするのは同時だった。
「馬鹿なマー君はそこのゴミ捨て場に捨ててって、早くハルの家に行こう」
キミトシがムッとしていると思われたのだろう、ご機嫌をとるようにニコニコとされたが、キミトシはどうでもいいと思っていた。こいつらはコウエイの友達であって、自分の友達ではない。コウエイが気にした風もなく黙ってみてるのなら、キミトシが気にするほどのことではないのだろうから。

コウエイが「んじゃ行くぞ」と言ったので、全員で徒歩5分のコウエイの家へと歩き始めた。道々、後ろでさっき袋だたきにあった男がごちゃごちゃ言ってるのが聞こえたが、キミトシはコウエイの横にぴったりついて、知らぬ振りをした。
「もうすぐ抜き打ちで制服検査あるんだってよ」
キミトシはいつもきちんと制服を着ているので、そんなもの気にしたことはない。だがコウエイは困ったようにキミトシを見下ろす。
「俺が変な格好してたらよ、朝、頼むわ」
キミトシは無言で頷く。コウエイは心底ほっとしたように、笑う。
コウエイはけしてだらしない男ではないのだが、気がつくとネクタイを忘れてきたり、ボタンをゆるめてるので、気崩した風に見えてしまう。格好をつけて好き勝手な着こなしをしている他の連中と違い、コウエイは天然で鷹揚なのだ。毎朝2人は一緒に登校しているので、もし気づいたら注意して欲しいのだろう。検査に引っかかって課せられる罰は、コウエイの苦手な作文5枚だ。

それにしても、コウエイは律儀に毎朝キミトシを迎えに来る。遊びに行く時もだが、自分だけで行けばよいものを、必ずキミトシに声をかける。帰る時も同じだ。自分には友達がいるのだから、キミトシのことなど放って、友達だけ相手してればよいのに、こうしてキミトシをきちんと扱おうとする。だからキミトシも、コウエイに言われるとなんとなく無視できずに、なんとなく従ってしまう。
キミトシは、自分が他人から良く思われていないことを充分承知しているから、コウエイの交友関係を荒らすつもりはないのに、いつだってコウエイ自らその渦に巻き込んでしまう。きっと、コウエイの友人たちは心の奥底でいらついてるに違いない。コウエイは黙っていても友達が集まって来る人間だけれども、いったん友達と決めたら大事にする男だと思う。それを、自分1人のために壊してと、キミトシの方がいつだって心配したくなる。
しかしコウエイは不思議な男だった。彼の性格もあるのだろうけど、コウエイが気にしなくてよいと思うことは、キミトシも気にしなくてよいのだと思えた。逆に、彼が注意することがあれば、それは自分も気をつけねばならない重大事のように感じられた。そしていつも、コウエイはキミトシを誘うことを気にしていない。キミトシに気を遣っているそぶりもなく、自然にキミトシを引き込んでいる。つまりそれは、キミトシもそこにいていいのか、という気にさせる。

それから5人で春日部家にお邪魔して、ゲームをし、夕飯をご馳走になった後、キミトシを除く4人はてんでんばらばらに帰って行った。
キミトシが残ったのは、コウエイが「えっ、お前も帰るのかよ」と言ったからだった。
友人が帰ったのだから、自分も帰った方がいいのではないかと思っていたキミトシは、不審げな顔をして、その場に立ち尽くしたのに、コウエイはやはり、気にした風もなくキミトシの肩を押して床に座らせた。
幼い頃から何度となくあがりこんだコウエイの部屋は、キミトシにとっても馴染み深い場所であった。
「コントローラー4つしかなくて、お前ずっとできなかったろ。今度は2人でやろうぜ」
コウエイは昔からゲームのうまくないキミトシを当たり前のように誘って笑う。
だからキミトシは黙ってコントローラーを握る。
コウエイは実に不思議な男だった。
2010.06.06

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25

何にもないって言いながら、何かを探して、普通に過ごして行けることは、案外重要だって気づいた。だから俺は、こういう毎日をありがたいと思う。こういう毎日が底辺に存在すれば、何か起こっても、底辺に埋没させてしまえば、いいのだから。


誰にでもあけっぴろげな友人ハルの家にあがりこむことは、俺らの中じゃ定番の楽しみみたいな感じになっている。高校生男子が大勢で押しかけても怒られないし、茶菓子だけじゃなくうまい飯まで出て来るし、ハルの部屋は面白いおもちゃの類いには事欠かない。
ハルは一人っ子なせいか案外贅沢に暮らしてると思う。でもそれはハルん家が金持ちとかそういうことじゃなく、ハルが惜しみない性格の持ち主で、バイトで稼いだら稼いだ分だけいろんなものに還元してしまうからだ。それもこれも、ハルの家自体がそういう気風を持っているためか、金持ち特有の陰険さを持ったマー君家なんかと比べると、のほほんとしていて、おおらかだ。

同じ一人っ子のいっちゃんは、遊び好きだし一緒にいると相当面白いけど、時々明るすぎて疲れる。サッチーは根が真面目でいいヤツだけど今度は固すぎて疲れることがある。マー君も悪いやつじゃないんだけど、人を怒らせて楽しむ癖がたまに腹立つ。奥くんに至っては、幼馴染みのハル以外の人間に懐く気配がない。
総合しても、やっぱりハルは、大したやつなのだ。

って俺、なんでこんなハルのこと擁護してんのかわかんねえけど。
ともかく、ハルと一緒にいると、どこか居心地よく癒されるから、こんなにハルのもとへ人が集まるのかもしれない。
つまりは、皆、癒されたい理由を、なにかしら抱えてんのかな、なんて考えてみた。


「うひょ〜、ハル、またマニアックなもん作ってんなあ」
ハルは見た目に反して手先が器用らしく、細かいプラモとか○アゴスティーニとかについてくるやつを集めて作ったりとか大好きだ。
遊びに行くと、毎度新しい作品が増えている。見た目完全男前のハルの、男子的部分だ。
そのくせ、妙に女くさい部屋をしている。
誰の趣味なんだか、気にしていないんだか、カーテンとかタッセルとかベッドカバーとかクッションとかがどことなく女々しい。だけじゃなく、それほんとにお前の? 的なものが何故か部屋のあちこちに散らばっている。例えば、少女漫画の上に積み上げたピンクの可愛い小熊柄化粧ポーチだとか。例えば、部屋の隅に畳んであるとうていハルが着るようには見えない浴衣だとか。プラモと色付きリップが並列している部屋にいると、プラモ用のマニキュアでさえ疑わしく見えてくる。
しかし不思議なことに、誰もそれについてあまりつっこまない。あのマー君でさえ。尋ねたが最後、俺たちの聖域が壊れると感じているのかもしれない。それともハルに「それお前の?」と聞いて「ああそうだぜ」と衒いもなく返ってくると、それ以上何も聞けない雰囲気に陥るせいだろうか。いずれにせよ、細かいことに気のまわらないサッチー以外の誰もが、不思議に感じつつも放置している状況にある。それさえも、ハルの人徳と思わせるから、この空間は侮れない。


先日のリベンジだと、俺と奥くん以外の4人がゲームをやっていた。このコントローラーもハルが好意で買った物だった。1個5千円くらいするのに、本体にセットになってる1つ以外に3つも用意するなんて、ハルは気前が良すぎると思う。
そのうちゲームはマー君とサッチーだけの対戦になって、いっちゃんは自由気ままに漫画を漁って読み始め、痩せの大食いな奥くんが菓子を猛然とつまみ、食いしん坊のサッチーが奥くんに気をとられてマー君に負かされるとか、みんなでくだらない話をしたり、みんなで思い思いに過ごしたりを繰り返した。そこは教室と変わらないようでいて、自宅のくつろぎに満ちていて、でも他人の家であると気づかせる新しい発見に満ちた、俺たちのオアシスだった。


大勢で夕飯をご馳走になり、食後に俺らの持って行った土産が供されて、またしばらくハルの部屋で寛いだ後、いっちゃんが携帯をチラチラ見始めたので、俺らはお開きの文字を頭に浮かべ始めた。
「あー、そろそろおいとまするかな」
毎日遅刻ばっかりのくせに、いっちゃんは時々みょうに時間にうるさくなる。
いっちゃんの言葉に案外素直に従おうとしたのはマー君だ。同時に立ったサッチーは「居候、3杯目にはそっと出し」を真逆でいく勢いで食べ尽くしたので、もう満足のようだ。
俺も自分の携帯を見て確認したけど、正直まだ帰りたくない時間だった。
「あーなんだ、お前らもう帰んのかよ」
相変わらず太っ腹な様子で言うハルは、なにも気にした様子がない。
その姿を見て、俺はそっと溜め息を吐いて、やっぱそろそろ帰んないと春日部家に悪いよな、と諦めて立ち上がる。


それから、俺らは自分の家を目指して、それぞれ帰った。
外はすっかり暗くて、いっちゃんはこれから帰るってのにやけに嬉しそうに「またな」と言ったし、マー君は「やべぇお前らのせいで長居しすぎた」などと走って行った。
サッチーと俺は家の方向が似ているので、途中まで並んで歩いたけど、俺の足があまりに遅すぎたせいか散々「シタラも食べ過ぎたのか?」と心配された。
全然そうじゃないけど俺は「平気」とだけ言って、分かれ道でサッチーに手をあげる。
とうとう1人になってしまった。

1人になれば、どうしても考えてしまう。
平均より1点でも上の子を見るとすぐに「あの子可愛い」を連発するいっちゃんが、本当はなにを考えてんのかとか。
マー君があんな急いで帰るのは誰のためなのかとか。
奥くんは俺たちに幼馴染みをとられたと感じてるだろうかとか。
そのハルの部屋に満ちた謎だとか。
俺がこんなに歩みがのろいのは、どうしてだとか…。

色んなことが次々に浮かんだけどでも、そういうのは全部、今日楽しかったことの中に隠せばいい。
いつものようにだべって、いつものように騒ぎ、日常の平凡の中に押し込む。
日常の平凡は目新しいことよりも遥かに印象に残らないから、ただ薄ぼんやりと「楽しかった」という想いだけが記憶される。そうなれば、毎日は「楽しかった」で終わる。

日々はそれでいいのだと、俺は何度も思いながら、家までの道を1歩1歩踏みしめた。
2010.06.09

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26

恋人ができた。
彼の名前は、シュンジロウ。1つ年上の高3で、昔馴染みといえばそうかもしれない。気づいた頃にはシュンジロウを目で追うようになっていたし、あっちもこちらの昔の姿を知っていて、その上でわたしを容認していたようにも思う。それで思い切って、高校にあがってすぐの頃、告白した。あっさりOKもらえると思っていたら、意外にも返事は「待ってくれ」だった。何を待つ必要があるのかわからず、わたしは告白した分際で激昂した。しかしあいつは「待ってくれ」の一点張りだった。あいつのことが本当に好きだったわたしは仕方なく言葉通りにした。それから1年近くも待って、ようやくOKがもらえた。この1年はなんだったのか。問い質したかったが、あいつは頑に口を閉ざしたままだった。

ともあれ、付き合うことができたのだ。先ずそちらを楽しまねばなるまい。
わたしは女子校に通っているから、あっちの高校生活のことは何も知らない。でも、家がそう遠くないから、毎日あれこれ聞くことはできる。シュンジロウはあまり色々喋る方ではないが、わたしが色々尋ねると何でも答えてくれる。シュンジロウの表情はわかり辛いが、たぶん、嬉しいのだろう。自分から多く語らないのは別に隠したいわけではなく、単にどう語っていいか知らない人間だって感じだ。誰に対してもひどく親切で、嘘を吐かないことは知っている。だからこそ余計にあの1年が謎だったが、そのことだけはシュンジロウが本気で困った顔をするので、わたしは聞かない。まさか別の女と付き合っていたなどとは考えられないし、シュンジロウが嫌がることをこれ以上詮索するのは、彼女としてよくないと思っている。わたしは理想の彼女像というものを持っているのだ。彼女像から外れるような真似は、したくない。


学校がばらばらとはいえ、わたしたちはほとんど毎日のように顔を合わせる。待ち合わせをして、一緒に帰ったり、公園で話し込んだり、時折どこかでお茶をしていったりする。そうやって帰ると、シュンジロウのお母さんとも顔なじみなので、夕飯にお呼ばれすることもある。シュンジロウとわたしが付き合い始めたことも知っていて、まるで未来の嫁に対するようにわたしに接してくれる。だからわたしは精一杯こたえようと、台所に立ったり、何かしら手伝ったりして点数を稼ぐ。理想の彼女とはそういうものだ。

早くこの家の味を覚えねば、などと考えながら、ご相伴に預かっていると、1つ空いたテーブルの席を眺めながらお母さんは溜め息を吐く。
「せっかくみふゆちゃんが作ってくれるのに、最近ハルヤったら、外食とか他所様の家でばかりご飯を食べてるのよねえ」

ハルヤはシュンジロウの弟で、わたしと同い年のアホだ。見た目はシュンジロウにそっくりだが、中身がまるで違う。軽薄で、うわっついていて、くだらない戯れ言ばかりを言う。
「昔はみふゆちゃん可愛い、お嫁に欲しいなんて言ってたくせにねえ。みふゆちゃんが来るわよ、ってメールで教えてあげても、すぐに『今日は遅いから飯いらない』なんて言って」
ハルヤのアホの話はどうでもよかったが、大事なシュンジロウのお母さんの話だったので、真剣に頷いた。それから「この煮物はどうやって作るのですか」などと嫁らしく媚びを売っておいた。
シュンジロウがちらちらと視線を泳がせていたけれど、この家の中にいる限り、わたしは何も恐れるものはない。早く花嫁修行を終わらせて、シュンジロウに嫁にもらってもらうのだ。わたしはそう決めている。


夕食後の食器洗いもきちんと済ませて、のんびりとお喋りしていたら、帰るのがちょっと遅くなってしまった。このまま泊まらせてほしいところだが、さすがにそれはまずいだろう。だからわたしは慎ましく「お邪魔しました」なんて言いながら、シュンジロウに自宅まで送ってもらう。2人きりに戻ると、やはり少し甘えたい気持ちが出てくる。
暗い道を歩きながら、自転車を押すシュンジロウに偶然をよそおって寄り添う。シュンジロウは一瞬びくりとして、恐れるように少し距離を離す。でもわたしはまた一歩詰め寄って、シュンジロウ、と呼ぶ。シュンジロウはたじろいで、あらぬ方を眺める。
わたしが足を止めれば、シュンジロウは慌てて立ち止まる。どんな状況でも、シュンジロウはわたしをけして置いて行ったりはしない。

「シュンジロウ、好き」
「……」

街灯が少ないので、シュンジロウの顔ははっきり見えない。でもどうせ照れて真っ赤になって、同じことを思っているに違いなかった。シュンジロウは照れ屋で、多くを語らない。だからこそ、伝わるものもある。

「シュンジロウは?」
「……」
「シュンジロウも、わたしのこと好――」
「いつまでくったべってんだよ」

突然向こうの方から無粋な声が聞こえて、わたしは不機嫌になった。
なんだ、帰ってこないと思ったら、今度はわたしたちの邪魔をするのか。

「人ん家の近所でノロケてねえで、さっさと帰れよ」
「うるさいハルヤ。お前こそ、馬に蹴られてしまえ」

頭を変な色に染めたシュンジロウの弟が、生意気にも制服のポケットに両手を突っ込んで突っ立っていた。

「いつからそこにいた!」
「みふゆは言ってることがいちいち古くさいんだよなあ。だから、まだ兄貴に手ェ、出してねえんだろ。もったいぶってねえで、早くヤっちまえよ」
「ふざけるな!」

ハルヤはニヤニヤと人を小馬鹿にしたようにしている。こいつのそういうところがわたしは嫌いだった。人生をすべて真っ平らにして、適当に済ませようとする。シュンジロウと同じで、やれば何でもできるし、器用で、頭も悪くないくせに、努力しようとしない。努力に努力を重ねるわたしを鼻で嗤うみたいにして、さっと通り過ぎて行く。こいつを見ていると、わたしは自分がみじめになった気がする。

認めたくはないが、料理をやらせたらこいつの方が遥かにうまいのも知っている。縫い物だって、掃除だって。女の領域にまで踏み込んで、わたしを見下すのだ。そういうことが悉く引っかかって、わたしはこれまで、ハルヤと馬があった試しが1度としてない。
そのうえ、そんなふしだらなことを言われたら、腹を立てない方がどうかしている。
「お前みたいな不良と一緒にするな! 少しはシュンジロウを見習ったらどうだ」
「なーに言ってんだよ。シュンジロウと俺が全然別だから、みふゆは兄貴を好きになったんだろ。なあ兄貴?」

そうハルヤにふられて、シュンジロウは一瞬眉をしかめた。わたしはなおも文句を言って、シュンジロウからも説教してもらおうと息巻いた。
「当たり前だ! お前とシュンジロウなんか、比べ物になるか! そうだろうシュンジロウっ」
だがハルヤはすかさず機先を制した。

「じゃあシュンジロウと俺がまったく同じで、俺がシュンジロウみたいに優しくて無口で真面目で親切だったら、どうすんだよ。お前は俺とシュンジロウで、迷うのかよ。双子みたいに全部一緒だったら、お前はどっちと付き合うんだ? 俺か? シュンジロウか? お前はシュンジロウの何で選ぶんだ?」

予想外に冷たい言いざまに、わたしは返答に窮してしまった。ハルヤの機嫌が恐ろしく下向いて、その声には、暗い穴底から這い上がってくるような薄ら寒いものがあった。

「…ほうら、みろ。な。だから俺とシュンジロウは全然別物でいいんだよ。シュンジロウがシュンジロウらしくって、俺が俺らしいから、お前は兄貴が好き。それでいいだろ」
急にいつものふざけた調子を取り戻すから、わたしは言い返しそびれた。そのままやつはわたしの脇を、鼻歌を歌いながら通り過ぎてゆく。両の手は、ずっとポケットに入れられたまま。それが、嫌だった。

シュンジロウの前だというのに、憮然とした表情を崩せないまま、わたしはハルヤの去った方を睨みつける。
きっとわたしのこんな顔、シュンジロウは嫌に違いない。彼女は彼の前では常に、最上の笑顔であるべきだから。おまけに、恋人の弟と喧嘩するなど、理想の彼女像からは程遠い。わかっている。だのにそうなってしまうのは、すべてハルヤが悪い。ハルヤのせいである。
そこは人の気持ちのわかるシュンジロウのことだから、すぐに理解して、わたしを慰めてくれるだろう。そう思ってわたしはシュンジロウに甘える。
「シュンジ――」
「ハルヤ…」

しかし、シュンジロウの口から出たのは、恋人であるわたしの名前ではなく、弟の名前だった。納得いかない面持ちでシュンジロウを見たけれど、シュンジロウはいつもの通りわかり辛い表情をして、わたしがさっき見ていた、ハルヤの去った家の方角を眺めていた。
それからすぐに気づいて、シュンジロウはわたしの方を向いて、「ごめんな」と言ってくれた。だからわたしは矛をおさめることにした。シュンジロウに謝らせてまで、怒り続けるなど許されない。そもそも、悪いのはハルヤであって、シュンジロウではない。
「しかし、わたしがシタラ家に嫁いだ日には、いったいどうなってしまうんだ」
わたしが言うと、困ったようなはにかんだような表情で、シュンジロウはわたしを見る。

わたしにはわかってる。どうせハルヤのあれは、兄離れできてないだけ。昔からあいつはシュンジロウが好きだった。高校生になった今は、さすがに小さい頃のようにはしないが、成長のないあいつのこと、心の底じゃ同じ。人の気持ちに敏いシュンジロウはシュンジロウで、ハルヤの気持ちをわかって、責められないでいる。そういう優しいところが、わたしは好きなのだし。
シュンジロウはようやく欲しい言葉をくれる。
「みふゆのこと…大事にするよ」

その口ぶりに満足して、わたしの機嫌はすっかり立ち直る。さあ帰ろうと告げた。大丈夫、きっと、シュンジロウさえいればなんとかなる。シュンジロウは人への気遣いができる人間だ。弟のことも大事にしているが、わたしが嫁となれば、嫁の方をもっと大事にしてくれるに違いない。だからわたしは理想の彼女像を追求し、そのまま理想の嫁となる。そしたらハルヤも、兄をとられた腹いせを諦めて、大人しくなるだろう。
とりあえずは先に弟離れしてくれることを願いながら、わたしはシュンジロウと並んで帰った。
2010.06.14

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27

「まったく、女はどうしてあんなくだらないことに時間を費やすんだろうな」

ぷりぷりと何かを怒っているクラスメイトに気づいて、シタラはちらと彼を見てしまった。
3年のクラス替えの後初めて一緒になった相手だったが、彼はどういうわけだかシタラを気に入っている様子なので、シタラの視線に気がつくと、頼みもしないのにすぐに説明を始める。

「今年は大学受験の大事な年だというのに、またおかしな手合いが交際してくれなどと言ってきたんだ。おそらくまた、実家の名声を狙ってのことだな。話にならない。だから言ってやった。俺には婚約者がいるから、付き合っている暇などない、とな」
それはまた、邪推にしても断るにしても最悪だな、とシタラは漠然と考えたが、余計なことを言って相手の気分を害しても、フラれた彼女の時間が取り戻せるわけでもないので、やめておいた。

「しかし今年初めて同じクラスになった輩が、俺のことを好きだなどと、どうして言えるのかわからん。つまりは、誰も彼も俺自身ではなく俺の背景や上っ面でしか見ていないということだろう。だいいち、高3になってから誰かと無意味に付き合おうとするなんて、馬鹿馬鹿しいと思わないか。だったらなぜ1年か2年の間に付き合わない。そうすれば、貴重な3年の時を削ることなく、どうせ長続きしない関係性だったと気づけるのに。俺はもういちいちそんなことを説明するのが無駄だから、婚約者がいると言ってやるのだ。この話が広まれば、馬鹿な手合いも減るだろう」
それは…なにか思いかけて、シタラはもう一度口をつぐんだ。この相手に事細かに説明したところで、きっと平行線に終わる。


彼が言う通り、彼の実家は地元の名士だった。
それゆえか、シタラも初めて聞いた時はかなり驚いたが、この年で婚約者などというものが存在するらしい。最近まとまったとかいう話だが、なんと、相手はこの学校の1年に在籍してるというから、世間は狭い。否、この土地はそういう所である。学校なんてそんなにたくさんあるわけでなし、県外にでも出ない限り、皆だいたい似たり寄ったりの学校に通って行き会ってしまうもの。かくいうシタラとて、2年に弟がいる。

「わかるかシタラ。結婚相手で1番困るのは、相手の女が何の取り柄もなくて馬鹿な場合だ。そんな女と結婚したら、吸血鬼みたいにたかられて、吸われるだけ吸われて損するばかりだからな。結婚相手は慎重に決めるべきなんだ。その点、俺の縁談は渡りに船だった。家格は俺の家に劣らぬし、万が一俺が議員に立候補などということになっても、支援に事欠かない地盤と経済力を持ってる。派手なところもなく、容姿も、隣を歩かせるのに恥ずかしくない女だったし。何より余計なことを言わないのがいい。まあ、少々気に喰わない姉がいるが、それくらいは試練だ。それにその姉は県議会議員の息子と結婚するらしくてな、何かと役立つだろう。ともかく、高校生活において重要なのは、次のステップへ向けての準備だ。くだらない恋愛遊戯などしてる暇などないのだから、さっさと婚約者を決めれば、集中して勉学へ向かえる。違わないか?」

このサガラという男が、どういう育てかたをされたらこのようなことが言えるようになるのか、シタラにはわからない。
立場は違うものの、シタラにも彼女がいて、それがもし無理やり付き合わされた相手だったとしても、隣を歩かせて恥ずかしいとか恥ずかしくないとか、シタラならば言ったりはしない。
『俺自身ではなく俺の背景や上っ面でしか見ていない』と言いながら、己自身、同じことを口にしていることに、サガラは気づいていないのだろうか?
さりながら、不思議なことに、シタラに意見する気持ちは起こらなかった。それは先ほどまでの「言っても無駄」とかそういう諦観からでなく、なにか違った、感覚を覚えたためだった。

黙っていたせいか、サガラはちらとシタラを横目で牽制した。
「言っておくが、この婚約は無理やりではないからな。ちゃんと相手も同意した上なんだ。むろん、まだ形だけのものだ。法的に縛れるものはなにもない。だが、互いに認め合っているのだから、そこにつけいる隙はない。誰にも、邪魔させはしないぞ。この結婚、かならず成し遂げてみせる」

ああ、そうか。
シタラはすぐに理解した。
サガラのこれは、自覚がないことであり、性分である。
理解するとなんだか、あれこれ大人ぶっているサガラがまるで自分の弟のように見えてくる。

シタラが大事にしている弟は、シタラと優しさの方向はまるで違うが、知れば誰だって好きになるはずだし、誰だってこいつは報われないと嘆きたくなるような性格の持ち主である。ああだこうだ言いつつも、自分よりも相手を優先し、どんなに苦しくともそれを平気でやって、へらへらと笑ってみせるような弟だったりする。
サガラも、報われないという点ではまったく同じだと思った。

サガラは、好きになるのに、理由が必要なんだ。

だから、いかに横暴でもサガラのことを無視できないし、それを無意識に汲み取っているサガラの方もシタラにあれこれ言いたくなるのではと、そんな気さえした。
ぽん、と肩を叩いて、シタラは頷いてやる。
勢いこんでいたサガラは、切れ長の瞳をぱちくりとさせて、シタラを見る。
しかしすぐに、お前にもわかったかと満足そうに頷き返したから、シタラは笑顔を見せてやった。
なんとか報われてくれる日がやってくるといいな、とそう、願わずにはおれなかった。

2010.06.23

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隆嗣は物事をおしなべて有益かそうでないかで判断するくせがあるが、部活は有益の中に入っていたため選ばれた。
しかしながら、部活動には有益以上の精神的要素がある、と考えてもいた。事実、高校に入学してすぐに入った剣道部は、隆嗣に、無益でありながらも手放せないような補完を幾つももたらしてきたような気がする。

その1つに、後輩の佐智がいた。彼は物事を深く考えない性善説のタイプの人間だが、愚直なまでの生真面目さと、他人を顧みない正直さは、裏を感じさせない。おのれに意図があって近づく人間ではないと、隆嗣は安心して付き合えるのだ。
隆嗣のもとにはくだらない邪念を抱いて集まってくる人間が多い気がしている。気に病んでるわけではないが、気を抜いて、せっかくここまで築いた努力を無にされるのが嫌なのだ。有益が無益に変換されるのも、腹立たしい。
だから常に、隆嗣は気を張っている。

「本日は素振り5種5セット、基本5セット、技5セット、掛かり、打ち込み10セット! 遅れたら追加」

隆嗣には引退まで主将としてこの部を強くする義務がある。毎日の練習メニューも、隆嗣が主将になってから格段に増えたと言われている。最初は嫌な顔をする人間も多かったし、文句を言われたこともあった。人間の好き嫌いは選べず、常に、自分の下に従順なものだけが従うとも限らない。そういう人間をおしなべて統率できるかどうかが、上に立つ者としての技量だと思っているので、いっこうにかまわない。
その点、佐智は量の多い練習を喜ぶ。嬉々としてこなし、どれだけキツくともついてくる。そこがいい。隆嗣は次の主将には、佐智を選ぼうかと思っている。副主将や顧問などはまだ少し迷っているようだが、迷う要素が隆嗣には見当たらない。真面目で、練習を好み、実際実践にも強く、他人に左右されない強さを持っている。それのどこが悪いのだろうか?


練習の後、隆嗣は毎回佐智に声をかける。そして、次期主将のことを告げる。
「佐智、俺はお前に期待しているんだ」
すると佐智は気負った風もなく、口を結ぶ。
「もし、そうなった時には、最善を尽くします」
手放しで喜ばないところは気になったが、やる気がないわけではないので隆嗣も頷くにとどめる。佐智は滝のような汗を吹きながら、でも、と続ける。
「もし、そうならなかった時でも、オレは最善を尽くします、サガラ先輩」
隆嗣は呆れた顔を見せた。
「何を言ってるんだ佐智? お前以外に誰が主将になる」
「好きなだけ部活をやれるんなら、オレはべつに」
「ダメだ佐智。そんなものは詭弁だ」
佐智は困ったような表情で首を傾げている。
隆嗣はもう一度ダメだ、と念押ししてから帰り支度を始めた。

隆嗣が去るとすぐに、それを待っていたかのように、佐智のもとには数人が集まって、何事か親しげを装い話しかけていた。
大方、次期主将候補であり、隆嗣の人望厚い彼と仲良くなっておこうという魂胆であろうと隆嗣にはわかっている。佐智は話しかけられながら笑顔を見せているが、たぶん彼らの意図に気づいていない。隆嗣はそれが歯がゆくてならない。佐智はからかわれても遊ばれても、そうとは気づかない。気づかずに、精一杯の返答をして、満足している。他人の心の裏、本音、本心、そんなものをまったく知ろうとせずに、ただ相手の表面的な言葉に頷いて、相手には満足を与えている。
佐智の純真さを愛してもいるが、もっと、老獪になるべきだ、他人の心に疎すぎるとも、隆嗣は思う。

それでも、隆嗣は佐智が主将になると信じて疑わない。
彼のその純真さを利用されることのないよう、周囲に配置する人員をこちらが考えてやればいいだけのこと。
部活以外の友人も、どういう人間か、調べておいたほうがいいだろうか。
なんとなく隆嗣は、佐智が友人たちといる姿を見るのが、疎ましかった。

2010.08.05

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29

よく人に「蝶子さんは、自分のことが大好きでしょう」と言われる。
当たり前だ。
私は私のことを愛している。
そう答えると、驚く者がほとんどだが、中にはとても嫌な顔をする者もいる。

例えば、妹の婚約者を名乗る男がそうだ。
妙にしかつめらしい顔をして、四角四面なことばかりを言う、子供。
けれどその子供にも、侮れない一面はある。あの年で、家のことを考え、私の妹を嫁にすると真剣に考えてるのだから。
あの男の性格を鑑みるに、いつまで経っても人の後ろに隠れたがる妹には、お似合いだろうと、私は半ば本気で縁談を勧めた。男は子供だけに独占欲だけは一人前で、いっぽう嵯峨楽の家の女は独占されることを好むから、相性はいい。はじめ嫌がっていた妹もひと目であの男が気に入ってしまい、今じゃ黙って言いなりになっている。
2人が本当の夫婦になれば、さぞかしママゴトのように美しい家庭が出来上がるだろうと、私は信じている。


私の夫になる人は、別格だ。
強く、逞しく、くだらぬしがらみなどには見向きもしない、将来有望な人である。
実家の強さなど関係ない、己の野望1つでのし上がることができる力を持ったところに、私はすぐに惹かれた。
私は結婚が決まるや否や、すぐにあの人の家へと入り、相応しい嫁としての全てを身につけるべく、日夜を過ごした。

もうすぐ、あの人のところへ正式に嫁ぐ日がくる。
早く、妻になりたい。
あの人の隣りで舞う、美しい蝶になりたい。


うっとりと、私が大好きな着物のカタログを眺めて想いを馳せていると、小用で自宅に戻ってきたあの人が唐突に部屋に入ってきた。
「おかえりなさいませ」
慌てて立ち上がる私に、あの人はじろりと一瞥をくれる。
その蔑むような、何者も寄せ付けぬような睥睨が、快いものとして私の体を走る。
「ふん。欲しければ、さっさと注文すればいいだろう」
「よろしいのですか」
「そのかわり、お前には妻としてせいぜい役立ってもらうからな」
「……」
優しさのかけらもない言葉を吐いて、あの人は背を向ける。


あの人は、私の全てを自分のものだと思っている。
私の全てはあの人のものである。
だから、私は私を愛している。だって、それは即ち、あの人を愛していることになるから。

優しさなんていらない。甘い言葉なんていらない。
だって私は貴方。
貴方のものである私は、貴方の思う様に羽ばたいてゆけるよう、この羽を存分にかわかし、ふるうだけが、喜びになる。
いくらでも、羽ばたきましょう。
天高く、美しく。

2010.08.11