花橘



 城には火が放たれ、周囲を明るくするほどに燃え上がっていた。
 重い具足は熱を増し、触れる肌が焼けつくように熱い。
 義彬(よしあきら)は兜の隙間から滴り落ちる汗をぬぐう間もなく、ただこの状況にまだ活路を見出そうともがいていた。いや、もがく以外できなかった。
 たといこの火をかいくぐって外へ抜け出られたとしても、敵勢の鼠の子一匹漏らさぬ包囲陣が待っている。激しい攻防のすえ篭城まで追いやられたこちらに、それに耐えうる兵力が残っているとは思えぬ。そも城に火を射かけるような相手だ。城攻めには防戦側の数倍の兵力を要するなどとは言うが、守るが攻めるよりも力を要することとてある。
 ――殿もまだ戦っておらるる。
 火と火の合間から攻め入ってくる兵をなで切りなで切り、せめてその奥へは進ませまいと必死でもがいた。どうにか前進せんと力をふるいながらも、それは後退を促してるようであった。
 パチパチと火のはぜる音がそこかしこから響く。
 火の粉がむき出しの頬を刺し、熱気で徐々に意識が朦朧としてくる。
 ――わしの首1つでは、満足せぬだろう。
 義彬はさして高名でもなければ、智に秀でていたわけでもない。だが決して悪い将なのではなく、まだこれから名を上げて行く年若い武人であったのだ。これでも屋敷を賜るほどには出世している。この度の戦とて少数ながら兵を任され意気揚々と出陣した。妻も誇らしげにその後ろ背を見送ってくれたはずだ。
 ――愛(めご)は、生きておるのだろうか
 ふいに思い出した妻女を思い、義彬はきりきりと締められた兜の緒を意識した。仲睦まじい夫婦であった。“愛(めご)”というのも義彬のつけた愛称で、あまりに愛い妻を密かにそう呼んだのだ。義彬が呼ぶと、めごは凛とした黒い瞳を嬉しそうに細め、丁寧に返事したものだ。子ができぬことを大層気に病んでおったが、まだ側室などを持つ身分でもなく、義彬はそう焦らぬが良いと言ってはめごをかわいがってやった。そんな時めごは「わたくしは心身とも、新九郎さまのものにございます」と唇をひき結んだ。その黒い瞳を見る度に、めごが新九郎義彬が死した際には己も命運を共にする気でいると確信した。口には出せなんだが、義彬もそうありたいものだと願ったものだ。生き続けるとも死ぬるとも、わしはめごに傍にあって欲しい。それは主君に対する敬愛の念とは別のところで、義彬の心をふるわせる感情であった。
 突如、眼前に火花が散った。
 燃えさかる炎とは別の熱を感じ、義彬は反射的に刀を振るったが、既に別の槍が腹を貫いていることは明らかだった。
 柄をつかみ、己の体ごと振り回し敵をまとめて焼けた柱に押しつける。相手の絶叫の声は遠ざかるばかりで、視界が炎に消されてゆく。ただ意識だけが鮮烈に研ぎすまされて、痛みも感じずに、力を入れずとも体が動くという不思議な態であった。気がつけば、敵も味方も先ほどまで周りにいた数名の者はいずくへ失せたか、今は渦巻くような焔の中義彬ただ1人であった。そのかわり、義彬の体には先ほどよりも多くの傷が熱をはらんでいた。
 ――不思議じゃ
 痛みもない。感覚もはっきりしている。だのに己が死に瀕していること、生き延びることが不可能であると悟っている。そうなると、先ほどまでの生への強いしがらみは消え、魂が次の肉体へ移る備えでもしているかのように、すっきりとした心持ちになっている。
 死を前にして感ずるは、武人としての誇りや生き様死に様、あるいは主やこの城の行く末ではなく、ただめごが後を追ってきてくれるゆえわしは死んでも悔いはないという安楽とした境地であった。それは全くこの場にも、もののふとしてのあり様にもふさわしくないものであったが、どういうわけかそれしか浮かばぬのだから詮無きこと。
 やがて目の前の景色は変わり始める。
『新九郎さまそのものがめごの生きることのすべてでございます』
 ばきり、と大きな梁が折れるような音が響いた。遠くで、勝鬨の声も上がったようだった。だが、義彬にはもう何も聞こえなかった。
 いつだったかめごが言った言葉を思い出していた。
『新九郎さまというお方をこの世に知らしめることこそが、わたくしのこの世に生まれた意義であると知っております。ですから、新九郎さまがおられぬ世にわたくしは未練はございませぬ。新九郎さまのいない世は、わたくしの意義をも奪います。そのかわり、わたくしのお役目を無事に果たすことができたその時は、』
 ――その時は?
 宙に舞うような感覚で、義彬はどうと体を倒す。
 暖かい火が覆い被さるようにしてそこもかしこも明るい。
 世は眩しい希望に包まれている。そんな気がした。
 ――その時は、何と申したのであったか
 思い出せぬまま、義彬は事切れた。


 目の前を、異国の装束をまとった美しい姿が通り過ぎようとしている。
 その姿は電撃が走ったかのようにいろいろのことを思い出させた。
 いったい今までどこに隠れていたのか。
 泣きたくなるほどの記憶が零れ、そしていつものようにすとんと仕舞われる。
 ――この目だ。この目を覚えている。
 力強く引き結ぶ唇に呼応するように、にぎりしめる手の力も強まる。
 私は確信を持って呼ぶ。
「めご」
 初めて互いの姿を目にしたけれども、でもそれは間違いのないものだとも知っていた。
 こちらの言葉に呼応するかのように、めごは――めごであるはずの女は――綺麗に化粧をほどこした面をふるわせた。
「め――ご?」
「お知り合いですか?」
 付き添う女性がめごに対してにこやかに、だがやや不安げに問う。
 仕方もないことだった。突然身も知らぬ男が話しかけ、めごの腕をつかんだのだ。
 衝撃の波をやり過ごしたかのように見えためごは、ようやく元の体裁を繕うと、どちらに対しても安心させるように自分の腕をつかんでいた私の手をゆっくりと叩いた。それはまるで母親が子をあやすかのように優しい手つきだった。
「すみません――10分――いえ、5分お時間をください」
 一瞬動揺を見せた付き添いの女性に、美しく力強く微笑んでみせるその顔は、めご以外の何者でもない。一瞬で顔に血の上った自分も、慌てて頭を下げる。
「ここでちょっとお話するだけですから。久しぶりにお会いしたんです、昔――とてもお世話になって」
「……わかりました。でしたらこのお部屋の中の方がよろしいでしょう。私は入り口におりますから。でも5分だけですよ。お時間がありませんから、5分後にお呼びします」
「すみません、ありがとうございます」
 扉のない小部屋に誘導され、めごを見張るようにしつつも、2人きりにしてくれた女性は「5分」という約束を正確に図るように腕時計を眺めた。急いでめごに向き直った。
「――めご、そうであろう」
 知らず、口調が変わっている。
 今の名を“義彬(よしあき)”という。かつての諱は同じ字で“よしあきら”といった。下級ではあったが武家の一族の嫡子で、武辺で名をあぐるべく日々励んでいた。戦国乱世に天下人とまではいかぬが、それでも主君のよき手足となろうと、いつかは一国一城の主にとつとめていたのだ。
 何の話だと思うだろう。私には前世の記憶があった。やや曖昧なところもあるが、確かに“よしあき”は“よしあきら”であった。「そんなものは夢だろ」と笑われるのがおちであるから誰にも言ってはいなかったが、己は武士であり、元服の後には戦場に何度も駆けずり回る営みをしていたと知っている。断片的とはいえこれほどに生々しい記憶があろうか。だから自分は信じている。『俺は確かに“よしあきら”であった』と。
 むろん、己の頭の作り出した妄想に支配されているのだと散々苦しんだこともある。毎夜夢見る血や肉の感触に怯え、甲冑の重みに体は痺れた。今生きていることの方こそ夢なのだと考えるほどに悩みもした。それからは逆に『俺は狂っているのだ』と気に病むのを止めた。すると記憶は自然にすとんとおさまった。あるべきところへ仕舞われたように己の体におさまった。人はみな前世の記憶を持っているが、ただ折り合いがうまくつかないだけなのだ。そう考えれば苦しむことはなくなった。そういう紆余曲折を経て今があった。
 だから、私が突然目の前を通り過ぎようとした女性をつかまえて「めご」と呼びかけたことは、新しい記憶のページが折り合いついた瞬間でもあった。それは誠に、なにゆえ思い出せなんだろうと不思議に思えるほど、鮮やかで強烈で激しい記憶であった。戦乱の世に命を賭していたことよりもある意味。
 愛(めご)。
 私の妻であった女性の呼び名だ。
 私が討ち死にしたその瞬間まで、いや、その後も、生涯私の妻であった女。
 戦のないこの平和な現代に生まれ再び相見えることができるなどとは、よもや望んではなかった。それほどに、この出会いは衝撃であった。もしやこの日のために生まれたのではあるまいか。めごは相変わらず直ぐな双眸でただ黙ってこちらを推し量るように見ていた。そうだ。めごがめごと認めたことこそ、自分の前世の記憶が正しかったことの証拠なのだ。
 そもそも、こんな日に、こんな場所で彼女に会ったこと自体、私と彼女の間に何か残している記憶の断片があるということにほかならない。
「…めご」
「……その名前で呼ばれたのは、いつぶりでしょうね」
 優しい笑みで答える彼女に、涙が出そうになる。
 先ほどの勢いはなく、触れてもいいものかどうか迷う手が、おかしい。
「新九郎さまもお変わりございませんか」
「うむ」
 互いに妙な言葉遣いをしていることが、まるで舞台で演技をしているかのようで笑えた。けれどめごから「新九郎」などと生前のままに呼んでもらえたのが懐かしくて、馬鹿みたいに体が震えた。
 さっきの付き添いの女性が見ている。
 そうだった。現世の私とめごとの間には、たった5分の時しか許されていなかった。
「…ずっと、知りたかったことがある」
「なんでしょう」
 めごはかつての時と同じく、私の正面に立ち、しっかりとした黒い眼で見上げてきた。
 私は折り合いのついたばかりの記憶の中で、己が最期に考えていたことをたぐり寄せるように口にする。
「わしは――わしはあの最後の戦で、果てる寸前、そなたのことを考えておった。そなたが、わしに申したこと」
「そうでしたか」
 めごは穏やかなまま、俯く。
「なあめご。そなたは――そなたはわしが死した後……」
 現世の己は驚くほど意気地がなくて、みっともない。
「あとを追って自刃したのか?」
 しばしの沈黙がおりて、めごは瞳を伏せた。
「……いいえ」
 正直期待していなかった答えだった。
 めごが義彬の後を追わなかったという事実が、恐ろしいほどにのしかかって、私はすぐには声が出せなかった。
 ――めごは、己のものではなかった
 今だからわかった。私はそれほどまでにめごを愛していたのだ。めごに生きていて欲しいという気持ちもあったが、しかしそれよりも、めごとは常に一緒であって欲しい、めごが他の誰かのものになる可能性など完全に排除したいという浅ましい願望が何よりも強くあったのだ。
 だが、それは詮ないことなのだ。
 めごがめごの生を望んで悪いことなど、ない。いや、めごは義彬と共に死ぬとは一度も口にしていない。それは己の勝手な思いだけである。
「…そうか」
 こんなことを知るために与えられた5分だったかと、私は寂しい達観したような気持ちで、時計を見るふりをする。
「そろそろ、行かないと――」
「ややこを生みました」
「は」
「ややこを生み、立派に育てました。それがわたくしの意義と申し上げましたはず」
 ややこ、という言葉の差す意味を、逡巡する。
「し、しかしそなた――」
「後ほどに、気づいたのでございます」
「や、ややこが」
「はい」
「…わしの、子か」
「はい。あなた様似の、とても立派な男子でござります」
「――そうか」
 再び、涙が零れそうになったのをこらえ、思いを馳せる。
 すると、めごは急に態度を改めて私の頬に手を置いた。そこには溢れんばかりの愛と威厳がこもっていた。
「その血脈が、きっと今のあなた様につながっているのだと思います。あなた様の中には永遠に新九郎さまの血が」
「……つまり」
 頬をさするめごの手が、別のものに変わる。
 ……前世は現世をしばれるものなのだろうか。
 わからない。
「そろそろお時間です。お急ぎください」
「はい」
 めごは朗らかに返事した。
「めご、わしと添うて幸せであったか?」
 するとめごは、まるでたった今ここで義彬の花嫁になるかのような仕種で、静かにかしずいた。
「とても幸せでございました」
 その瞬間、私の中に最後のピースのように、抜け落ちていた記憶が戻って来た。すとんと嵌まったそれは、義彬が最期に思い出せなかったものと一致していた。そしてこれこそ、前世の義彬とめごを繋ぐ最後の時間だった。
「めご、幸せにな。それと」
 深々と頭を下げ、これから誰かの元に嫁ごうとしている彼女を見遣る。
「感謝しておる。ようやった」
 その時ばかりはめごも泣きそうな顔を見せた。
 そして、美しい花嫁姿の彼女の現世の名を知ることもなく、二度と会うこともなく、私の中の義彬の記憶は永遠に封印されたのだった。

Fin



これを書くにあたっての没ネタ