Home Sweet Home 96


 気づくと、波は慌てた。同じ学校内にいるのだし、すれ違うことくらい珍しくない。先だっても授業を受けた。
 島と波がここでばったり会ったからって、それが即ち同居してるってことには繋がらない。だのに、波はまるで全部見透かされてるような気持ちになって、さっきまで回想してたくせに、視界から消えてしまえばいいのにとか、どうしてカフェテリアなんかに来るんだろうとか、わけのわからないことばかりを考え始めた。すっかり泡を食ったようになって、思わず顔を背けてしまったのだ。
 目の前に王子がいるというのに、この不自然さは拭えない。
 はらはらと、こっちへ来たらどうしよう、まんがいち波を見つけたら島はどうするのかと、ありそうもないシチュエーションへの対応法に忙しく気をまわす。
「ふうん」
 不意に強い視線を感じて、まさか島だろうかとおそるおそる顔をあげた波が見たのはしかし、ほとんど目の前にある、癪に障るほど綺麗な王子の顔だった。
「――っちょ、近い!」
 慌ててぐいぐいと押し返す。
 間近で見た王子に鳥肌を立てて、たった今悩んでいたことも捨て置き、これでもかという渋面を作る。
 ところが王子は、いまだ笑うことをやめず、ただ波の顔を見てるではないか。
「なあに、気持ち悪いんだけど」
「いいもの見ちゃった」
 びくり、と震えてしまった。
 まさか、島と自分のことに気づいてしまったのではなかろうか――一足跳びに飛躍した波の思考は、王子によってじわじわといたぶられる。
「なによ」
「ちょっとびっくりした」
「…」
「まさか、ねえ」
「なによ!」
 やけっぱちになって問い返すと、ところが、王子によってもたらされたのは、思いもよらない答えであった。
「…女の顔した波」
 は?、と王子の顔を見返す。
 くちびるのラインがにぃといやらしく伸びて、そういえば1度だけ、この男が恋人にキスしてるのを見てしまったことがある…。などと、思い出したくもないことを思い出し、波は仄かに赤面した。
「ま、快楽は脳内である程度補完できるからね」
「なにを妄想してるか知らないけれど、あたしは女なの。女の顔とか、意味わかんない」
「ふうん」
「ウザイから、もっと離れてよ」
「あれ、そういうことなの?」
 急に王子がきょろきょろしだしたので、波は青ざめる勢いで王子の腕を引っ張った。
「ちょっと! 勘違いも思い違いも好きにすればいいけど、勝手にあれこれ推測して、勝手な判断をあたしに押し付けるのはやめてよね!」
 やっぱりこんなやつ新年会に来なくて正解だと思った。来られたら、なに言われるかわかったものじゃない。
 波はくるりと体の向きを変えて、王子から視線を逸らした。
「もう帰れば」
「人間は、向かい合いたくない事実から目を逸らそうとする」
 わかったような口をきく王子が小面憎くて、波は八つ当たり気味に文句をつけた。
「だいたいあんた、その顔からして腹立つのよ! その顔で! あたしがいるのにこれ見よがしに彼女とイチャついたり、そういうのは、2人だけの時にしてよね! それができないんなら別れろ!」
 なぜだかわからぬほど震えて、波は王子の存在が嫌になる。
 あたしは一体どうしてしまったというのだろう。いつもの冷静な思考は欠片もなくて、ただただ現状を飛び出してしまいたい欲求にかられてる。
 これ以上追求されるのがまずいような気がして、早く帰ってくれと言い続けると、王子は「バタフライ効果かな」などとまた独自の意味不明な解釈をこぼしてから、ようやく帰っていった。
 脱力しそうな体で波はもう一度カフェテリア内を見渡したが、既に島は去った後のようだった。
 あらためて肩の力を抜く。大きな溜め息が出る……。