Home Sweet Home 87


 柄にもなく緊張しているのがわかった。
 波はわざと選んだ1番後ろの1番遠い席から、中途半端な位置を睨む。
 現在、大学の講義中である。
 教壇には、島が立って講義している。

 朝から波は落ち着きがなかった。思えば昨晩からそわそわしてたような気もする。べつに波が講義するわけでもなし、何も動揺する要素はないはずなのだが、家でたまに見かけるあの人が、学校の教壇に立つと思うともう、親子参観のようにはらはらしてしまうのを止められないのである。
 どうやら毎日家で島と顔を合わせているのとは別に、まったくの他人として学校という公の場で向かい合うというのはなかなか難儀なものらしい。知っているのに他人のふりをしてるような、そしてそれを誰かに見とがめられるのではないかという変な焦りが浮かんでは、いちいち言い訳を考えてる自分がいる。
 正面に立つ島は、相変わらず険のあるような顔つきで、淡々とした声音で授業を進めていた。
 島にとっては殊更、緊張する要素など何もないのだろう。当たり前と言えば当たり前なのだが、こっちばかりが気に病んでるのかと思えば少々面白くない。
 何年講義をやってるかは知らないが、ここ数年のことではないだろう島の大学生活その中に、かつてこのような異常事態があったとは想像できない。とはいえ、ちょっとくらいロマンスとか、告白のようなアクシデントがあって、講義中ぎくしゃくしたりとか、なかったのだろうかとも邪推する。
 2秒で恋して1秒でそれを打ち砕かれる島に、果たして果敢に挑める女子学生がいるとは想像し難いが、100%ないと言いきれるほどの自信は、今の波にはない。だって波は知ってしまったのだから、島の真実を。
 バカとか人生最大の汚点とかとんでもない暴言を吐きながら、本人は考えている意味が全然違っていたりする。文句を言いつつも精一杯の親切を惜しまない。わかってくれば、まあちょっとは笑える部分だって出てくる。だから、もしなんらかの事情で島の本質を知れば、島を好きになる子だっているかもしれないのだ。あくまでも、可能性においてだが。
 おかしな人だ。
 淡々と講義を進める姿は去年までとなんら変わりないはずなのに、しかし、その裏側を知ってしまった自分はあれこれと無関係な日々の様子が浮かんできて、思考が四分五裂していた。
(最近先生、頑張って洗濯機使ってるんだよね…)
 だが島は、その後の乾燥機が終わったら、クリーニング屋から戻ってきたようには出てこない、その理由がわかっていなかったりする。「不良品かもしれない」などとどこかに電話をかけようとしているのを慌てて止めた。
 それから、携帯の説明書を必死で読んでいた。あんなもの、真面目に読むものでもないのに、1ページ目からちゃんと読んで、しおりまで挟んでいたのにはびっくりした。
 波は思い出しておかしくなって、笑いそうになるのを必死でこらえた。
 ユーモアのかけらもない島の真面目な授業で、笑いをこらえている波の異様さを、隣で友人が眺めてることには気づいていない。
 島は大教室の全体をときどき見渡している。と、目が合ったような気がして、にやけていた波は一瞬緊張した。