Home Sweet Home 85


「……」
 びっくりしたところで、島は気にした風もなくひと呼吸おいて、夜のお菓子だろうか、こんな時間から調理を始めている。ハチミツやスパイスなどという製菓材料としか向き合えない人間に、まさかご飯が不味くて残したのかなどと思われるなどと、少々気分を害した。ただまあ、そろそろ島の言い種に慣れた頃だったし…いや、本当は自分にがっかりしたという方が正しい。他人からみて不味そうな料理しかできていないのだ、と、昼間の豪華お重を思い返して、珍しく不貞腐れているのだ。波の頭には、もう、王子と自分との比較しかない。
「…座ったらいかがですか」
「――はい」
 食べかけの皿にラップをして冷蔵庫にしまうと、のそのそと言われた通りに座る。さっきまでのぽつんとした感じとは異なる、緊張に包まれた。
 部屋はもう、ひんやりとしていない。
 島は手早く小鍋を火にかけている。姿勢よい、洒落たその姿を遠くに眺めながら、ふと思い出した。昼の弁当のとき、出汁の味はしっかりしてるけどもっと甘辛い方が好みだなどと、負け惜しみを考えていたことを。負け惜しみと認めたのは、上品な島からすれば、王子弁当の方が美味しいと思うかもしれないと気づいたからだ。実際、煮物も何もかも砂糖醤油のカラメルのような色で、茶色一色にしか見えない料理よりは、本に出てくるような色とりどりの方が、島の雰囲気に似合っている。ような気がする。
 ひょっとすると、波の料理は田舎くさいのかもしれない。1回島に作ってあげた時は、たまたま安い瓶詰めのパスタソースがあってお洒落っぽかったからそれにしようなどと思えたが、お節っぽいものを食べて以来、島が波の食事に手を出すことはなかった。そりゃあ、風邪をひいたりなんだりあったけれど、やっぱり美味しいと感じたなら、つまみ食いくらいするもんじゃないだろうか。少なくとも、鍋の中を覗き込むくらいするのが、礼儀ってもので……
「どうぞ」
「えっ」
 突然目の前に突き出されたグラスに、溶け込んだ意識が戻された。
 いつもの糖分摂取の勧めだったのか、また苛ついた表情をしていたかなどと自分の眉間を指でこすってみたが、島の前にも同じものが置かれている。耐熱だろうグラスの中はほかほかと湯気をあげる赤ワインらしき飲み物にオレンジの輪切りが浮かんでいた。シナモンスティックがソーサーに添えてある。
「あ――ええと」
「注意したのに、聞き入れないからです。早くお飲みなさい」
「いただきます…これは、なんでしょうか」
 おそるおそる尋ねれば、島はさらに眉根を寄せて「グリューワインですよ。但しアルコールは飛んでいますのでご安心を」などと謎めいたひと言を付け加えた。
「グリューワイン…?」
 あれ、と波は首をかたげた。
 注意したのに聞き入れないから、とはいったい何の話だと気づいたのである。
「このワイン、おやつの一種ですか」
「おやつ? 風邪薬が?」
「風邪? 先生が?」
「あなたでしょう。ぶりかえすと注意したのに」
 ぶりかえす?
「あ」
 そこでようやく、島の言いたいことがわかって、波は口をつぐんだ。