Home Sweet Home 78


「先生は人のこころがわからない」
 波の侮蔑するような言い種にも島は動じなかった。
「あなたがそう思うのならばそうなのでしょう」
 肯定さえ見せて島は言葉を結ぶ。
「誰もがそう言う」
 ふいに、波の中で激しい後悔の念が津波となって押し寄せた。表情の見えにくい、今は半分隠れた島の無表情が消え、チカッと瞬く残像がこころを掠めた。
「嘘です――!」
 慌てて自分の言葉を否定するほど焦っていた。たぶん、感情と思考がうまくつながっていなかったのだろう。同時に、島のたったひと言に、かつてないほど自分が傷ついていることに、衝撃を受けた。
 波は今の気持ちをどう語って良いかわからぬままに懇願するように口にした。手が、シンクのへりを強くつかんでる。
「本当は、最初はそう思ってました。けど、先生は人のこころを持った人間です。あのおかゆもコンポートも美味しかった。嬉しかった。それを言うのが恥ずかしくって、あたしは――思ってること、うまく伝えられません。それで友達と喧嘩したこともあった――でも、でも…もし溝があるっていうのなら、それを埋める努力します。先生を嫌な気持ちにさせないように、努力しますから――だから、」
「やはり違う」
「……」
「僕は――ただ、僕自身、溝の埋め方がわからない」
「先生」
 息を呑む程、驚いた。そうして、波は自分の過ちがどれだけ相手を傷つけてしまったのか知り、泣きたくなった。
「仰るとおり僕はアンドロイドなのでしょう」
「違います! そのことは謝ります。あたしどうかしてて――」
「埋め方がわからない場合、あなたならどうしますか」
 まるで試されているかのような問いにわずか緊張する。答えを間違えたらもう二度とチャンスはなくなってしまうのではないかと、少しくためらわれた。波は祈るような心持ちで告げる。
「――あのおみくじと同じ」
 そうだ。溝があるっていうのなら、埋めればいい。埋め方がわからないというのならあたしが――
「1人で抱える必要なんてない。自分だけがやろうなんて思わなくていい。2人で飛び越える方法を考えればいいじゃないですか。それで飛び越えられなければ、2人で落ちればいいんですよ。そうじゃありませんか。溝なんて、たいした問題じゃない、違いますか」
 こんな奇妙な気持ちに占領されたのは初めてで、挫けてしまいそうなほど体がわらうのを抑えきれなかった。
 どうしちゃったんだろう、あたし。
 久しく忘れていた苦しさが胸を占拠している。
 いっぽうの島は、波の答えを採点してるのか、間を置く。
「そういうものでしょうか」
「当たり前じゃないですか!」
 そう。ダメだからって――諦めたくない。違う?
「そうかもしれませんね」
 どきりと、島を見上げる。いったい2人がなんの話をしているのか、腹の探り合いが一瞬あった。
「――そうでないかもしれない。だが」
 目を逸らさずにいれば、島は変わらぬ表情のままつなげる。
「あなたならば、そう言うだろう」
 否定的な響きはない。
 それだけで、喜べるような気がした。
 そっとマスクを外した島が、かすかに笑ったように見えた。
 初めて見る表情だ、と。
 あたしはこれまでいったい、先生のどこを見ていたのだろう。
 島が立ち去った後も波はその顔をずっと思い出していた。


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