Home Sweet Home 72


 ようやくはっきりと島の視線を捉えることができた。レンズ越しの瞳はやはりなにも映してはいない。波が勝手に恋人を想像した時も、母親のことを話した時も、律のことで怒った時も、結局いつも同じだった。それは捉える側の感情を跳ね返しているから。島の感情ではないから。波はいつでも相手の感情、立場に合わせて自分の方向性や逃げ道や言葉を決めていた。自分自身の「こうしたい」という我(が)など二の次だった。
 別に波が意識してやっていたことではなかったけれど、いつも「しっかり者」「お姉さんぽい」と言われてきた波にとって、
「甘ったれ」
という島の言葉は意外な驚きと共に深く深く沈んでった。
 ――あたしは、甘ったれ
 甘えん坊とか甘えたさんとかそんな生易しい言い方じゃない。甘ったれという言葉の響きには否定的な意味合いが含まれてる。でも、ズバリとした物言いの方が波には理解しやすくもあった。
 ――甘ったれだ、っていいながら、迎えにくるのは、先生が大人だからかな
 ふいに自分がひどく矮小な子供に思えて、心細さと甘えたいという気持ちに満たされた。
 こんな状態のくせに、よくひとりでなんとかできるなどと思ったものだと、嗤えた。
「……帰っても、いいですか」
 帰る、という言い方に、ちょっとだけ遠慮が混じる。
 島の採択を待つように、しおらしくしてみせる。
 ……すると。
「好きにしたらいい。今はあなたの家でもあるのだから」
 急速にこみあげるぬくもりに、まつげが震えた。じんじんとして、脆くも決壊しそうになってる。
 それを見たのか、島はきっとした口調で言う。
「本当に出てく時には、鍵だけは返してください」
 そんな風に言われたものだから、どうにか崩れさるのだけは押しとどめることができた。



 家に戻ると沸かしたての風呂が用意されていた。良く見たらリビングには手のついていない食事が置いてある。
 ちらと島を見てみたけれど知らん振りして書斎に籠ってしまったので、「お風呂入ってきますね」とだけ声をかけて入った。これも甘えてることになるのだろうか、とは思っても深く考えないことにする。
 湯船の中でくたりとしながら、繰り返し思い浮かべてみた。
 馬鹿馬鹿しい妄想に囚われていた自分。
 帰ってもいいですか、と告げた自分。
 対する先生の答えは……
 じんわりと広がる湯の温度に体は痺れ、頭がうまく働かない。
 広い湯船に丸まって、このままぶくぶくと沈みこみそうなくらいにぼうっとする。
 お湯にはうっすら自分の影が映ってた。
 影が微妙な表情をしてこちらを見てた。
 影を打ち消すように風呂からあがると疲労が蔓延して、ベッドに倒れ込むように潜った。
 胸が高鳴るのと反比例するように、重い体はどんどん落ちてゆく。
 いつの間にか波は、深い眠りに落ちていた。