Home Sweet Home 63


 重たい空気のような無言が全員の肩にのしかかって、波は島を傷つけたのだろうかと不安になった。本来ならば島のためを思って、島が言えない悔しさを代弁してると強く言い張りたいところであったが、僅かでも一緒に生活するうちに、波は島の口に出せない想いのようなものを捉えようとする癖がついてしまっていた。だから、不器用な島がこんな風に声を荒げることがいかほどのことかと、ひどく気になってしまったのだった。
 あたしは先生を多少知った気になって、生意気言っていたのだろうか。先生にとっては確かに余計なお世話だったのかもしれない。それに、大事な家族に失礼なことを言われて、あたしだって同じ立場なら腹を立てたかも――
「……すいません、でした」
 ただ浅はかだったと後悔した。自分はどうしてこう、肝心なところで駄目なのだろう。いつも冷静でいよう、視界は広く客観的な目を持っていようとするつもりなのに、親友に対してもそうだが、島みたいな子供っぽくて不器用な人を見てるとつい余計な世話を焼いてやりたくなる。でも先生は子供じゃない。これはあたしの悪い癖だ。
 律にも謝ろうと、波が無言で頭をさげた時、目の前に妙な笑い顔がチラついて、波はさげかけた頭をあげた。

 ニヤア――

 ギョッとして、律を見る。だが振り見た律の顔はもう笑ってはいなかった。笑ったように見えただけだったのかもしれない。
「……わかりました」
「……?」
「智晴さんが私に口ごたえなんて……何年ぶりかしらね」
「っ――」
 こ、怖い……
 ぞくりと、背筋に這い上がるような震えが滲んだ。自分でよく口ごたえできたものだとかいてもいない汗を拭く。蒙昧(もうまい)とはなんと恐ろしい。見れば島の顔面が蒼白になっている。
「これは、楽しくなってきそうね」
 律はそう呟くと、じとっと波を見て、島を見て、じゃあ私は帰ります。また来ますと残念な予告を残して、さっさと出て行ってしまった。残された波と島は未だその場を動けぬままに、ただ律の残した空気をひたすら吸って吐いた。
「……」
 強烈。
 そのひと言で片付けていいものか。
 視線を彷徨わせていると、リビング続きの書斎に、見慣れぬものを見つけた。
(あ、あれって例の写真――)
 ハッと、波は島を振り返った。
 今頃になって気がついた。あの晩、波が初めてこの家の敷居を跨いだ夜に、島が眺め引き出しに押し込んでいた写真立ての女性。
 あれに写っていたのは、まぎれもなく律であった。
(っていうか! 写真増えてるし!)
 サナトリウムも、病死も、眼鏡も、なにもかも単に波の妄想でしかなかった。本当に関係ないことであった。あれはただ、律が勝手に島の部屋に置いていってる自分のブロマイドだったのだ!
「信じらんない!」
 頭を抱え込んで、ソファにくたりと座った。
 全てが、自分の馬鹿馬鹿しい妄想でしかなく、全てが、理解の範疇を超えている。
 自分は一体なにをしていたのだろう。
 あんな姉がいたのでは、そりゃ家も出たくなるし、こんなへそ曲がりのつむじ曲がりになったって仕方ないのを、勝手な想像で自分の優位に引き寄せようとしてたなんて。
 いやとにかく、ここは島の状態を確かめるのが先だ。波はとりあえずもう一回謝ろうと立ち上がった。
「先生、あの……すみませんでした」
 島は青ざめた顔で、じろっと目線だけ振り返った。
「…いえ、僕の方こそカッとなってすみませんでした。なにしろ、あの姉に口ごたえできる人間がこの世にいると思わなくて」
 はっ!?
 すっかり落ち込んで怯えてると思ってたら、波に呆れていたとは! やっぱり島なんて人間は信じられない。結局あの姉もこの弟も似た者同士なんだ! バカっ!!
 …だが今回は自分の失言もある。この場は素直に引き下がらざるをえまい。
「……写真、しまっていいですか」
 波が言うと、島はぎくりとしたように書斎を眺めて――眉間に皺を寄せ、その点でだけは素直にコクリと頷いた。
 ここに来て初めて、島と気持ちがシンクロしたような気がした波であった。