Home Sweet Home 57


「いよいよ年も明けてしまったし、おみくじで大吉も引いたから、保険のことも何かいいことがあるかもしれませんね」
 帰る道々、波は上機嫌でそんなことを言ったが、島はあっさりしたものだ。
「実に楽観的な人ですね」
「…別に、敢えて嫌なことを想像する必要もないと思ったので」
「若いな」
 先生は本当に人の気分に水を差すの得意よね。冷ややかに島を見上げたが、彼は前だけしか見ていなかった。こっそりと溜め息を吐く。せっかくちょっと見直しても、この調子なのでイマイチ前進できない。さっきの感動らしきものも水の泡と消えていく。
「先生だって本当は期待してるんじゃないんですか。早くよそ者に出て行ってもらいたいとか」
 なんとなく思ってみたことを口にする。だが島は急に立ち止まって顔を引きつらせた。嫌味を言い過ぎたかと思ったが、島は真正面ばかりを見ている。波も同じように立ち止まり、彼の視線の先を追った。目に飛び込んだのは、島のマンションのエントランス内ロビーで座っている女性の姿であった。女性はこちらに気づくとぱっと立ち上がった。
「あけましておめで――ま!」
 島の体が大きく揺れ動くのが見えた。波自身も、待っていましたと島に声をかける女性の存在に激しく動揺したくらいだ、島は波の比じゃなかったろう。相手は島と同年代だろうか。品はあるが、勝気そうに島のことを上から見下ろすような強い態度には、そこはかとない恐怖を感じる。まさか。この展開は。まさか。
「――智晴さん。そちらの方はどなたなの」
 島を智晴さんと呼び、波の存在を問い質すような口ぶり、これはもうもしかしてもしなくても家が決めた島の婚約者だろうと、波もまた青ざめる。だって島の家は波の想像もつかないような生活をしてるに決まってる。ならばお約束の許嫁がいたって変じゃない。そうか、もう誰とも結婚しないって決めたのに家が婚約者なんて用意してしまったから、だから家に帰りたくなかったんだ。正月早々修羅場とは、島は確かに凶運勢である。凶は大吉をも凌駕するようだ。
「あの――あの、あたし」
 普段平気で人を罵るようなことを言い、決して言葉を失ったりするようなことのない島が、なにも言えなくなっている姿が、なぜだか苦痛だった。同時に、波の中に奇妙なデジャ・ビュが広がる。どうしてだろう、あたしはこの恐怖の中のなにかを知ってる気がする。島の余りの乱れぶりに、彼の気持ちが勝手に伝播してしまったのだろうか。なんとか説明しなきゃ。先生は浮気とか疚しいことは決してなにもなくてええと、ええと――事態の混乱を招かないように説明するには、なにを言えばいいだろう。
「あたしは――先――島さんの――」
「恋人なのね。恋人でしょっ、そうなんでしょ!」
 人の話を聞かない人というのはどこにでもいるものだった。目の前に立つ女性もまた典型的なそれであった。女性は波の両肩をつかむと、これでもかというほど激しく揺さぶって、波を「そうなんでしょ! そうなんでしょ!」と強く詰る。波は島が乗り移ったように言うべき言葉を無くし、ぱくぱくと口を動かした。なにも答えられないほど目が回って、気を失うかと思った。そこでようやく島が「姉さん!!」と悲痛な叫びをあげたことで、局地的地震は治まった。

 姉、さん――?