Home Sweet Home 53


 島がなにか言っていたが、波はすっかり楽しい気分になって矢も立てもたまらず買い物に走っていた。
 お金もないくせに島にご馳走する気満々で、年末の早い閉店にギリギリセーフでどうにか鴨肉を手に入れると、走って帰った。鴨肉は普段の経済感覚からすると相当高くて驚いたけど思い切って奮発してみた。それがなんでかほくほくした気持ちであったかい。どうしてこんなに鷹揚な気分になってるかもわからない。でも楽しいことだけは確かだ。
 年越しカウントダウンをするのだろうか。人々がぞろぞろと歩いている。カップルも沢山いる。家族連れも。仲良さげに手や腕を組んで、微笑みあっている。クリスマス前には羨ましかったそれらが、今は平気だった。なんともない。ハッと気づいた。
(そうだ、だってひとりじゃないもん)
 相手は島だし、恋人でも家族でもないけれど、でもひとりであのボロアパートで過ごすよりはいい気がしてる。
 戻ったら島が呆れた顔をして出迎えた。サッとお風呂に入ってきたらしい。髭は綺麗さっぱり剃られてて、まだ湿った髪の毛を拭き拭き、全く人の話も聞かないでとブツブツ文句を言った。
「そんなもの、下に頼めばいいのに」
「いいんです。コンシェルジュに頼むんじゃなくて、あたしがご馳走したかったんです」
「ご馳走って…ちゃんとお金は払いますよ」
「やめて下さい。せっかく気分良く食べようと思ってるんだから…ま、借金してる身で説得力ないでしょうけど」
「ご忠告しておきますが、僕は鴨南蛮なんて作れません」
「いいですって。あたしが作るんで、待ってて下さい」
「……」
「別にお節介じゃありませんよ! 気まぐれですから」
 島はなにも言わなかった。
 波が機嫌良く準備をしていると、島は部屋から大量の栄養補助食品の空き袋が入ったゴミ箱を持って出てきた。
「うわ! もしかして、毎日それ食べてたんですか」
「そうです」
「そんなんじゃ、頭に血が回りませんよ」
「バランスが1番とれると思いますが」
「ご飯ていうのは、バランスさえとれてればいいってもんじゃありません」
「あなたの食事はそんなに効果的なのですか」
「栄養補助食品に負けるつもりはありません」
 強気で言えば、島の目が眼鏡の奥で細まる。
「ほう」
「外食産業にもね」
「そちらは、なんですか」
 急に話が飛ぶので、波は慌てて島の目線を追った。
「あっ。これはおせちです。ちょっとだけでもお正月気分味わわないとって思って。見よう見まねですから見ちゃダメです」
「それは明日食べるんですか?」
「そのつもりですが…」
「それは、作り過ぎたりしてませんか?」
「えっ」
 島の言葉に、波は凝視する。
 それってもしかして、余ってれば食べるって意味…?
 考えてるうちに、島はぷいと顔を背けた。
「いえ、別にいいんです」
「あ、余ってます! すっごい、むちゃくちゃ」
 ちょっと返答が遅いと、すぐに島は失敗したというような顔で逃げ出そうとする。波は慌てて引き止めてしまった。
 別に、島が食べてくれなくたって、いいはずなのに。
 なんだか波は、島に食べさせてあげたいような気持ちにかられていた。
 疑わしげに波を見る島の姿に、どうしてこっちがこんなに気を遣う必要があるのだと思いつつも、波は嘯(うそぶ)く。
「本当ですよ! ちょっと作り過ぎて、このままじゃ毎日食べ続けなきゃならないかもって悩んでたとこでした!」
 真剣な表情で言えば、島は無感動に「たまにはバランスの取れてない食事も必要ですしね」などと呟いた。なんですって!? じゃあ食べてくれるなと言ってやろうかと思ったが、島はそそくさとテーブルに食器を並べて、鍋の準備をし始めたので、波は嘆息して黙認した。多分あれも、島の屈折した思いやりなのだろう。
 それから2人は鴨南蛮そばを沢山食べて、静かに大晦日の晩を過ごした。
 特に沢山会話するわけでもなく、かといってつまらない様子でもなく。
 こうしてその年は少しだけ変化をもたらしながら過ぎていった。


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