Home Sweet Home 48


 卒然と口を挟んだ島を、聞き流した。
「なんでですか。まだ充分使えますよ。物を粗末にすると勿体無いお化けが出るんですよ」
「やめなさい」
「…」
 島がある意味頑固なのは知っている。強い島の声に従うフリをして、島が見てない隙に波は持ってきたゴミ袋にこっそりと薬缶を入れる。
 食器は大半が割れていたが、中には洗えばどうにかなりそうなカップも見つかった。波がほくほくと用意していた新聞紙にくるもうとすれば、
「やめなさい」
 再び島の妨害に遭う。眉間には例の皺が深々と刻まれている。
 波はムッと唇を尖らせると、今度はあからさまに知らん顔して作業を続けた。
 だがその後も、波がなにか使えるかもと思うものを見つける度、島は目ざとく「捨てるべき」とか「不要です」などと言って取り上げようとした。なんだ、貧乏見学じゃ飽き足らず邪魔までするつもりなのか! 波も負けじとごみ漁りを続けたが、とうとう痺れを切らしたのか横から島の手が伸びて、ゴミ袋そのものを取り上げられてしまった。
「ちょっと、なにするんですか!」
「消化剤もかかってるし、選ぶだけ無駄です。ここにある物は全部諦めなさい」
「でもそれじゃ、あたし生きてけません!」
「こんな部屋で生きてこれたんです。なにもなくたって平気でしょう」
「だけど全部あたしの努力の結晶なんですっ」
「過去はいらない」
 その言葉に、びくっとした。
「過ぎ去ってしまえば、過去の努力なんて意味はない」
 愕然とした。なによそれ、それじゃあ今まであたしがした努力は全部無駄だって言うの!? 波が言い返そうとした時、島は小さく言った。
「あなたは過去の上にばかり立とうとする。そんなのに意味はない。今努力すべきだ」
「…あたしの今までの努力を否定する権利は先生にだってありません…っ」
「あなたの今に価値はないんですか」
 そう言われて、波は口篭った。
 島はすっと視線を逸らすと、無表情のままゴミ袋を隅に放り投げた。
 反射的に波が手を伸ばすと、島は遮るようにその間に立った。
「大事なものも、燃えてしまったのですか」
「…」
「幸嶋さん、あなたにとって消したくない思い出も、積み上げてきた知識も、全部燃えカスになってしまったのですか」
 眉間に皺を寄せた島の顔が歪む。
「足りないものがあれば、全部新しく買えばいい。お金は貸します」
「――でも、あたし」
「あなたが過去にこだわり続ける限り、前には進めない。過去を引きずってないでいい加減前を向きなさい。こだわるべきは未来だ」
 すとん、と言葉が沈み込んだ。
 島の言い方は素っ気無いが、波の心にはとても温かく感じた。なんで、なんで島先生は冷たくて鈍感なくせに変なところでこんなに言葉を響かせるのだろう。
 波はじっと俯いた。なんだか泣きそうになってるのが嫌だった。島が渋面をさらに渋くして、眼鏡のフレームを光らせるから、波は唇を噛んだ。
「別に、あたしは後ろを向いてるつもりなんて」
「この部屋に、別れを告げなさい」
 別れという文字が、重しのように波の胸を押し潰す。
「ここは、あたしのお城なのに――」
「ここはもう、あなたの城じゃない。前に進んだんだ。また新しい城を見つければいい」
 島が向こうを向く。じゃりと音がして、一瞬でこの部屋が廃墟に変わった気がした。
「別れの時間はたっぷりある」
 ゆっくりと波の膝が折れた。
 島の言葉が狭い空間を支配し、波の心に潜り込んでゆく。
 しゃがみこんだままの波を、後ろ背に島はじっと見下ろしている。
 相変わらず怒ったようなしかめ面しい顔をして、コートに両手を突っ込んで、まるで見下したような。
 でも波はその顔を見て、初めて。
 初めて、優しい顔だと思った。