Home Sweet Home 128


 拒絶するように体が激しく熱を持ち、かすかに震えた。
 ――薄暗い闇の静寂、この暗澹の中でしか、見えないものもあるような気がしている。
 波は急激にせりあがる感情をもう呑み込めなくなって、玄関ホールのど真ん中、しゃがみこんでしまった。
「幸嶋さん――」
 硬い声が降り落ちてくる。
 波の頭から伝わり落ちるように、声が全身をくるむ。
 ……おかしくなってしまいそうなのだ。
「今日は、先生の家に、先生と一緒に帰ってきたのに、何事もなかったかのように、明日出ていかなきゃならない」
 どうして、あたしは、こんなことを口にしてるんだろう。
 わかっているのに、止められない。
 最後だから、つぐんでいようとした。ちゃんと堰き止めた。ふさいだ。
 でも、別のところから崩れてくのだ。
 だって、だってそう、島は波が灯りをつけようとするほんのわずか前、ほんのかすめる程度に、波の髪の毛に、触れたのだ。
 その手が恐る恐る、まるで腫れ物を触るように、波の頭をなぞろうとしたから――それを感じ取った波がしゃがみこめば、消えるだろうと思ったのに。
「何もなかった」
 そう言いながら、ろくな視界もないホールで突っ立って、うずくまる波の塊を、魂を、優しく慰めているなんて。
「何もなかったなんて、嘘。先生は、ずるい。ひどい。最低」
 目がくらむ。お酒も飲んで、感情が揺らぎやすい。そこは静かで、闇で、見えないものばかりが見える。
「馬鹿に、しないで――その気もないくせに――上から見下して」
 歯を食いしばった。
「あたしなんて相手にしてないくせに、早く出てけって思ってたくせに、なにが男よ、なにが最後よ、人の気持ちを傷付けて――最低」
 食いしばったのに。
 いつの間にか体育座りになって、泣いていた。泣くしかできない自分がいやだった。いつの間にかためらいもなく泣けるようになってしまっていたそれもいやだった。両腕で自分を守るみたいにして頭をうずめる。泣いてる顔だけは絶対見せるものか。けどあたりはくらくて、声もない波の涙など、誰からも見えるはずもなかった。それでも、島はまるで全部見えてるかのように、触れるか触れないかぎりぎりのところで、波を慰めていた。これだから大人はいやんなる。ずるいんだ。ぼたぼたと服に涙が落ちて冷めたい。泣き続けると、波は気だるいやるせなさを感じた。今こうして島の家の玄関先で勝手に怒って勝手に泣いてる姿を、島はどんな風に思ってるだろう。今度は自分を責めた。全部島の好意で、全部自分の甘えやいい加減さが生み出した結果だというのに。先生は悪くない。これはヤツ当たり。島が頑ななほど自分を拒絶していることに、ショックを受ける。そのくせ最後まで冷たくもしてくれない、期待を残すようなことを突如として起こすから、波はまた叶わぬ願いにすがりたくなる。究極まで無視してくれないのはどうしてなの。こんな嫌がらせみたいな餞別をくれなくたって。ぐるぐると責任転嫁が続く。
 やがて泣いている波のそばから、島はそろりと離れて奥へ行く気配を感じた。