Home Sweet Home 127


 今日は星が出ている。田舎の実家に比べたらそれは数える程度だったにせよ、島がいると思って眺める星はいつも胸の中でいっぱいに満ちていた。星を見て感動するのは、キラキラと輝いて幸せだなあと感じる余裕が心にあるということ。いつか母親が言ってたのを思い出す。コートのポケットに両手を入れて上を向いて歩いていると、もうすぐ別れがやってくるなど忘れてしまいそうだ。このまま忘れられたらいいのに。いいや忘れちゃえ。忘れちゃおう――

 ――できるわけないよ。

 冷たい空気に胸が詰まって前を向くと、波のことなんてお構いなしに歩いていた島が、不貞腐れたようにマンションの入り口で待っていた。不貞腐れたふりをして、でも待っていてくれる。「早くしてくださいよ」。まるでこの時間が早く終われとでも言わんばかりの急かしようで島は波に文句を言った。たいして波はただ口の端を結ぶだけにした。こんなに寒いのにコートを脇に抱えて、すっと立つ姿は美しい。思わず見とれそうになると視線を逸らした。
 憮然としつつもきちんとドアを開けてくれる島。お酒のせいで少し子供っぽい仕草が見える。波はひめやかにその姿を捉え、自分だけの特別感に静かに浸る。2人でエレベーターに乗り込む。島は少し壁にもたれて目を閉じている。密室が圧迫するように波を隅へ追いやった。あの目が開かれると全身の力が抜けそうになるんだ、と恥じた。実際それで座り込んでしまった恥ずかしい経験もある。今は全部思い出。全部過去になって、こんな他愛のない思い出があったことを心の頼りに、現実をむいていかねばならなくなる。過去を引きずってないで自分で前を向け、と島が言ったのは予言だったのか。永遠の別れじゃないし、単にお互いの生活が元の通りになるだけなのだから。そうだね。今だけは。そっと目に焼き付けておきたい。まぶたの裏に焼き付けておきたい。
 エレベーターが開いて、島の部屋に到着したことを告げた。
 2人は降りて、いつものように鍵を開けて入った。
「――……」
 ため息の出る、何度見ても美しい部屋だった。
 そして、波が来て少しだけ変化が散らばった“生活感”を確かに感じて、ぶるりと足が震えた。
 短い間であっても、あたしの存在した証明が残ってしまっている。この“生活感”自体は、生活感部屋を乱すと言うことではなく、誰かがここで暮らしているという温かい空気みたいなのが出たということだと、波は自負していて、いつからか帰ってきた時にホッとしていた。島には悪かったが、今じゃここを本当の我が家のように感じていた。微かではあったけれど人の動きを感じ、人の息づかいを感じ、温かく迎えてくれる。そんなこともある、我が家だと思いたかった…。これが、いつか消えて――あるいは、消されて、塗り潰されるその日が来ると思うと、波の過去はやはり島が言ったように、価値もなく、振り返っても仕方ないものなのかもしれない。
 そこまでの結論に至るのに、ものの数秒とかからなかった。だから、波はすぐに玄関をまたいだ。
 ぼんやりとした点灯用のほのかなランプが光っている。
 波を先に入れた島はじっと、後ろで待っている。
 波はすっと灯かりを点けようと手を伸ばし――ひゅっと息を吸い込む。