Home Sweet Home 110


 とぼとぼとした足取りだったが、行く当てがあるというのは救いだと感じていた。かつて、同じように寒い夜の中を当て所なく歩いたときは、夜逃げする親子みたいだなどと考えたような気がする。少なくとも今は、黄色い月が空にくっきりと浮かび上がっているのを見つけるだけの猶予はある。
 それでも、胸の中は寒々しかった。それとも熱風が渦巻くような妙な気持ちだったかもしれない。なんとも形容しがたくて、どっちに傾いているのかもわからないほど、滅入っているのが正解とも言える。泣いたり、怒ったり、諦めたり、叫んだり。普段波が縁を切ろうとしている感情ばかり、浮かんでは消える。
 ふと目の前の暗い道に、弾かれたように動く人影を見つけた。
「波!」
 親友が、この寒い中外で波を待っていた。
 足取りが、止まった。
 波が戸惑うような変な表情を見せると、駆けてきた親友の温かい手が、無言で波の腕を引いた。
「……」
 それだけで。
 ただそれだけで波は崩折れてしまいそうに弱気になった。弱気になって、彼女に縋りたいと、正直に思ったのだ。


 親友の家は入ってすぐにベッドが見えるほど小さくて、それが無性に波を安堵させた。
「何か飲む? 何でもいれるよ」
「うん」
 室内のぬくもりと気遣いに弱々しくさらされて、波はそっとマフラーを外しながら視線を動かしてみる。他に人の気配はない。さすがに波が泊まりにくるというので、王子も帰ったのだろうか。あの図々しい男がいつもこの家に入り浸っているだろうことは容易に想像がつく。実際、そこかしこに存在の証が散らばっていて、見るほうの気分を遣る瀬無くさせる。おそらく親友に無理やり帰されて、不貞腐れてるかもしれない。波は諦めて座った。仕返しを覚悟した瞬間だった。
「ねえ波さあ、覚えてる? 波と1回、喧嘩みたいなのしたこと」
 温かいマグカップと一緒に、親友はそんなことを言った。波がそれとなく思い返していると、彼女は自分のマグカップを前に膝を抱えて、なぜかぶるりと震えてみせるのである。
「こんな寒い日に、波が1人困ってないでわたしを頼ってくれて、うれしいよ」
 どう言えばいいかわからずにいると、彼女は随分落ち着いた様子で話をあれこれと結びつける。
「あの時は寒かったなあ。1人ぼっちで誰も助けてくれないのかなって思ってるのって、寒くて辛かった。でも波は大事なときにはちゃんといてくれて、わたしのこと守ってくれた。去年の夏前に波と気まずくなった時、覚えてるでしょ。わたしが突っ走って問題起こすようなことばっかしてたの、波が止めてくれようとしたのに、わたし全然わかってなくて、反発して。それでも波、わたしのこと大切な友達で、大好きだって言ってくれたんだよ。今思い返してみてもね、わたし嬉しいの。わたしに腹立ててもなんでも、それでも助けてくれようとしたんだって。最後の最後にそういう救いがあるっていうことは、心強いよね。だって波だったら、何があってもわたしの友達でいてくれるし、助けてくれるって信じられるでしょ。だからわたしも、波にとってそういう友達でいたいの。波がどんなに信じられないような最悪な時でも、わたしがいるからって思ってくれるような、さ」
 今度は波が震える番だった。だから誤魔化そうと必死で、目の前のカップを口につけた。
 でも親友はそんなことを気にした風も気づいた風もなく、ただただ言葉をつなげてく。
「波はさ。しっかり者で、頭もよくて、冷静で、どんな相手にも臆さなくて、本当にカッコイイよ。憧れだよ。でもなんか、その分無理してることももしかしたらあんのかなあって思った。自分で何でも対処できるから、自分でケリをつける癖がついてるっていうの? でもね、どんなにすごい人だって、どこかで誰かに頼らなきゃ、どうにもならないことだってあると思うよ。わたしたち、まだ大学1年生だし、高校生よかは大人かもしれないけど、先輩とかから見たらまだまだ子供っぽいかもだし」
 ふっと、震えてる自分の膝小僧に、親友の手が乗る。視線を、合わされる。
「ねえ波。わたしね、馬鹿だし間抜けだし平凡な人間だけど、これだけは言えるの。わたしを信じて。波のことも信じてる。だから本当に困ったときは無理しないで、わたしに出来ることなんでも言って」
 あ…。
 その時になってようやく波は、自分が全部1人で抱え込むことに慣れすぎていたと気づいた。同時に、相手が大人の島だったからこそ、そんな自分でも甘えることができたのかもしれないと、悟った。
 こんな身近に自分を想ってくれる友人がいて、なのに自分ときたら、嫉妬していたなんて。片意地を張る愚かしさを感じて、波の体から凝り固まっていたものが抜け落ちてく。
 あたしは一体なにをこだわってたんだろうね。
 波は唐突に、語る気になっていた。
「ごめん。全部は話せないの。だって、あたし1人のことじゃないから。相手に迷惑かかっちゃうから。だけど、だけど――あんたの気持ち、嬉しい。そっか、そうだよね。自分1人で抱え込む必要、なかったんだよね。ちょっと肩の荷、おりた」
 そうして、きっぱりと言い放った。自分がずっと誤魔化そうとして形にするのを避けていた言葉を。

「なんかさ、好きになっちゃいけない人、好きになった」