Home Sweet Home 109


 波の心は方向を失って動けなくなったようだった。
 ここまできても、自分の抱いている感情に愕然として、まるでたった今気づきましたと言わんばかりに、図々しくのさばっているのだから。
 すぐにでも出て行った方がいい。その頭では理解していることが、ひどくショッキングな出来事のように波の気力を奪って行く。
 何度叱咤したところで狂った心はおさまらない。嵐のように波を攫い、捕らえて放してくれない。たゆたう激しい波に呑まれ続け、めまいがする。
 かつで経験のない、まるで夢の中を彷徨うな時間だった。ただのアルバイトが。
 今日の波は集中力もなく、つまらないミスや呼ばれても返事できないことがままあった。
 やっとのことで終えて帰る途中で忘れ物に気づいて戻るほど、頭の中が違うことで埋まっているようだ。
 保険金と、島。
 電車を往復した分ロスした時間を嘆きつつも、ロスした時間分、帰るのが遅くできるとも考えていた。ああ、どこに向かえばいい。今度こそ本当に、あの家に戻れない。つまらない駄々でも腹立ちでもない、言い知れぬ恐怖に包まれて足がすくむ。
 お金が入る。それを喜べばいいと思う。
 去年の自分だったら、この状況をありがたく拝領し、すぐに行動してた。
 当たり前のようにすぐ行動し、家を決め荷物をまとめ、後ろ髪など引かれることなくさっさと次に移っていた。
 今だって、そうすることが嫌なわけじゃない。
 すべきことくらい、わかってる。
 でも、違うのだ。
 頭とは違う、胸の中の自分というものが、次々に起こる変化に対応しきれなくなっている。
 保険、火事、居候、苛立ち、カレー、戸惑い、誕生日、おみくじ、甘ったれ、バタフライ効果、写真。律じゃない、誰かの写真。
 ああ、あの、島の写真の意味を気にしてる。こんな状況でもあたしは、気にかけてる。
 先生が言いさした、女性との写真の意味を――波は文字通りぶるりと震える。
(なぜ、律さんの写真の裏にあったの?)
 律は――知っていて、あんなことをしていたのか。
 自分の写真の裏にあれが入っていると――
 再び、混乱の渦中にある波が、否定する。
 想像ばかりで物事を判断するのなんて、意味がない。無意味だ。馬鹿馬鹿しい。
 あたしはそんなこと知りたくない。知りたくないと島に言ったばかりではないか。何を戸惑う。何を恐れている。
 ふてぶてしいほどの強気の仮面をかぶって波は足早に歩いた。もうくよくよしてばかりの自分がひどく嫌だった。
 それでも、あのマンションに今日戻るのができないと体が逃げていた。――と。
 一通のメールが、ぽんと飛び込んできた。

 ――ねえ波。わたし、波の役に立てるほどじゃないかもだけど、役にはたちたいって思ってるよ。それだけは忘れないで

 親友からの、波が大学で得た大切な友達――それなのに八つ当たりして、ひどい言葉をぶつけた彼女からの言葉が、すぅーっと波の中に滲むように染み込んだ。
 あ……。
 頭を抱え込みそうだった波はすぐさま、親友にメールを出していた。

 ――今から行っていい? 今晩泊めて