Home Sweet Home 105


 甘えているだけの生活という理性のプレッシャーに、波は感情はふさぎ込みがちになった。頭とこころがうまく繋がらない。信じたいものも従いたいものも見えて来ない。
 閉じ込められた言葉と思考は、距離をとるべきという出口でしか解放されないのだろう。わかってる。だがそれしかないのに、辛いと思ってしまう。どうして辛いのだろう。絶対叶うはずもないものは遠い世界と同じ。考えるだけ無駄だ。素直に諦めればいい。なのに、やっぱり辛い。
 その日、先に帰ってきた波は風呂から上がると、何気なくテレビをつけて見た。島はテレビをあまり見ないようで、番組を見ている姿は滅多に見ない。ただ、ソファにもたれて、いつも思考の淵に入り込んでいる。その姿を思い浮かべそうになって、急いで意識を切り替える。
 画面を見るともなしに眺めていると、どのくらい経ったろうか。玄関から微かに物音がして、波ははたと我に返った。いつの間にか違う番組になっていたことにすら気づかなかった。リビングに島が入ってきた。波は居住まいを正した。
「お帰りなさい」
「……ただいま」
 ぎこちなく挨拶する島は――雨でも降っていたのだろうか――水の匂いをまとっている。
「あの――お風呂先にいただきました」
「そうですか」
 さっきまでの心地が嘘のように急に居心地悪い感覚におそわれて、テレビに無理やり顔を背けた。島は疲れたように立ったままで、なぜか波は強く視線を感じた。集中できない。近づく音。どきりとして、肩を震わせてしまった。島は横を通り過ぎ窓辺に向かった。詰めていた息を吐き、ぶわり汗が浮かぶ。緊張していたのだ、と自覚すると、自分で妙な気分だった。島は窓から外を眺めていた。珍しいこともあるものだ。やはり雨が僅かに落ちているらしく、外の視界がぼやけている。波が一緒になって外を見ていると、島は不意に振り返った。
「っ――」
 目が合った。一瞬逸らせずに、だがすぐに外してしまう。波のおののくくちびるが歪んでる。慌ててテレビを消して、立ち上がった。
「――おやすみ、なさい」
「幸嶋さん」
 ぎくりと止まって、奇妙な笑顔のまま振り返る。
「…はい」
 自分が、こんなにおどおどとしているのが居たたまれない。
 胸騒ぎのような、落ち着かない気持ちが波を左右させていた。
 島は表情に感情を乗せることなく、ただ、どこかを見ている。
「――いえ」
 ぐっと眉根が近づく。
 なにかを言ってくれると期待していたのか。波はもっと苦しくなった。あたしは、言葉をかけて欲しかったのだろうか。先生から、自分を鼓舞してくれるような、甘い、言葉を。もらえるはずのない、言葉を…。
「もう、寝ます。…おやすみなさい」
「おやすみなさい」
 島はそのまままた、窓の外へと向いてしまった。波は黙って部屋へとさがった。なんだか頭がおかしい。心が痛い。また風邪かもしれない、と、波はベッドの中で、小さく丸くなって眠ることにする。
 本当は、これが恋心だと知りながら。
 知ってるから、知らないふりをするしかない。
 知らないふりをして、これは風邪だと思うしかない。
 一時的に罹患しただけで、寝ていればすぐに治る。
 そんな風に考えなきゃ、波の中は破裂して、今にもちりぢりになりそうなほど、熱くて。
 島の手が、そっと触れた時のことを夢見た。
 あの時のことが遠すぎて、自分で額に重ねた手が、欲しがるようにきゅうと丸まった。