Home Sweet Home 104


 恋というものは、わけもなく楽しくなったり、わけもなく悲しくなったりするものだと、急にあれこれと思い出して、そのことがなおさら波を苛立たせた。冷静でいられない自分は、嫌いなのである。
 意味もわからず、漠然と期待に満ちていた時はあれほど明るく見えた毎日が、今はただ、自分の愚かしさ、不毛な恋の悩みにあっという間に見えない闇に彷徨っている。
 そして、そんなあやふやとした自分の状態を、島に見せてはならないと思うのに、どうしたって島を前にすると、波はひきつったような表情で、ぎこちなく喋るしかできなくなってしまう。
 だから波は、なるべく島の住む、島の家にいることがないよう、たくさんアルバイトを詰め込んで出かけ、まかないのついている飲食店でのアルバイトも入れたりして、食事もほとんど外で済ませられるように、帰る時間を日に日に遅くなるように、したというのに。
 そんな波の努力虚しく、島の帰り時間はもっと遅くなった。学校の教授室に籠っているのだろうか。波がそろそろと戻ると島も帰って来たりして、疲れた表情でソファにもたれているところに鉢合わせたりと、なかなか思い通りには運ばない。
 島を前にすれば、その空気に動じ難くなって、その場に立ちすくんでしまう。逃げたくても引き寄せられるように、視界に捉える。そうして、また自分の思慕を膨らませる。
 ぐったりとソファにもたれ指を組み目を閉じ静かに音楽に聞き入っている、そういう島が、波が帰ると、目を開いてこちらを見る。
 たったそれだけのことが、期待と罪悪感を呼び起こして、波に囁くのだ。――ほら、こっちに気づいたよと。
 悪いことに、波の帰りが遅くなってから、以前より島からメールが入るようになったのもあった。
 島が自分のことを気にかけていると考えれば喜びたくもなる。見ないでおけばいいのに、島から届くメールに気づけばたちまち、喜びと悲しみの中間に落とされて、厭わしくも愛おしいような、堪え難い気持ちに揺さぶられる。波を右往左往ふりまわす。
 そのくせ島はけして、波の安否を気遣っているわけではない。だって島は夜遅い波を見つけると不機嫌に言うのだ。「お忙しいようですね。それともまた家出したくなりましたか」と。
 その島の声音に、不安定に揺れる波の感情が一気に落ち込む。島から逃げようとしているくせに、島に冷たく突き放されたような気がして、もっと悲しくなる。
 面と向かった島の言葉に波が返答できずにいれば、彼は溜め息吐いて出て行くか、キッチンへこもる。もともと忙しいところに波の素行が悪いとでも思ったのか。むっつりと不機嫌に黙って、波に背を向けた。その姿が、波を激しく傷つけた。過剰に菓子を作り、食べもせず放り出している姿を見かけると、好きだと言ってしまいたいような気持ちにさせられた。好きだから。あなたのことが好きだから、こんなに苦しんでるのに、と。
 そうした日々によって、家の中に淀んだ空気が漂っているのではないかとさえ思えた。こころを揺さぶられると、それだけで肉体も疲れるものらしい。風邪こそひかないように気をつけたが、それでも毎日が重く気怠く感じられる。島も疲れがピークに達しているらしく、互いに背を向けて、見かけてもまるで無視するように素っ気なく過ぎてくこともある。
 早くこの家から出ていくべきなのだろう。
 去るべき時のことを浮かべる。しかし、ここを出て行く自分を思い描くだけで、とても胸がつかえたようになる。
 ――きっと、甘えだよね
 贅沢で楽な生活をやめたくないという、甘え。もしかすると、島を好きになったことだって、甘えのひとつと言えるかもしれない。何に対しても必死で理由を探すのは、言い訳めいてる気もするし、気持ちを誤魔化したいのかとも思う。感情よりも思考で動こうとする自分の、そういうところが、波の中にある潔癖な部分を逆撫でするようで憎らしい。だからこそ、感情のままに素直に動ける親友のことが、好きなのだから……。
 今、波の内側には島のことばかりがある。しかし、そうなることこそが間違っているのかもしれない。
 やっぱり、物理的な距離が必要なのかもしれない。一刻も早く。