Home Sweet Home 100


 その件に関して明確な答えが与えられたわけではなかったが、少なくとも波の方に答えが出たのは、それからすぐだった。
 春休み前最後の学校とアルバイトを終えて、遅い夕飯時に帰ってきた波は、いつも通り、煌々とつけっぱなしの灯りの中、いつも一番最初に目をやる花を見てすぐ、花が変わっていることに気づいた。その日は、雰囲気が、友人たちからもらった花のように可愛らしいものになっていた。今日は花が変わる日だったかと、まだ前回の花が充分綺麗だったのに、少し残念に思ってふと、花瓶の脇に遠慮がちに置かれたそれに気づき、動けなくなってしまった。
 ガラスのカバーの中に、丸いホールのチョコレートケーキが入っている。クリームではなくチョコレートでコーティングしたザッハトルテのような見た目で、上には花瓶の花と同じ、小振りな色鮮やかな美しい花が、乗っている。
 なにも書いてない。なにも言われていない。頼んだ覚えもないし、花の数が19なのだって偶然だ。いつもの糖分補給用だろう。
 それでも波は確信する。

 これは、先生からの贈り物だと。

 波の胸の中には溢れそうなほどの感情が今にも飛び出してきそうになっている。満たされているのに、これ以上満たしてどうする。弱いと言うならば、どうして強くしてくれない。信用しすぎているというならば、なぜもっと打ち壊さない。
 苦しくて、期待にはち切れてしまいそうだ。
 期待なんかするなとこころの中で誰かが忠告する。わかっている、そんなこと。だから波は見なかったことにする。気づかなかったふりをする。いつもと同じように、夕食の準備をして、1人食べるだけ。だけど、部屋が温かくならないよう、チョコレートがとけてしまわないよう、暖房をつけずにいる。先生の家に来てから、おやつばかり食べて、これでは太ってしまうなどと文句をつける。
 食べ終えても、ダイニングから離れることができず、落ち着かないままテレビをつけた。音がないと心音が外に聞こえてしまいそうだった。何も頭に入らず、帰ったらやろうと思っていたことも全部、忘れた。ただ、島の帰りをずっと待っていた。
 玄関の音がしたのは、何時だったのだろう。波は一気に早まる鼓動をおさえて、意識を集中した。5分ほどしてから、そろりと扉が開く気配がして、波は爆発するように立ち上がった。
「おかえりなさい先生!」
 島はその勢いに立ち止まって、それからゆっくりといつもの渋面を作った。
「ただいま帰りました」
 どうしようもないほど緊張して、波は肚の底から絞り出すように声を出すしかなかった。
「先生、お疲れじゃないですか」
「ええ、まあ…疲れてはいますが」
「いますぐ、甘いものが欲しくありませんか」
「……」
「あたし…ケーキ、食べたいです」
「…ケーキなら、そこにあります。ご自由に、召し上がってください」
「勝手になんて。先生のもの、勝手になんて、食べれません」
「……」
「だけど、先生がくださるっていうんなら、どうしても、食べたいです」
 自分で、何を言っているのかわからない。これじゃあ期待してるも同じだった。だけど、島がためらいがちにしているならば、波だって信じてしまう。人を信じ過ぎだと叱る島が、そんなことをするから。
「先生が許して下さらないなら、あたし、食べれません」
 先生が、悪いんだ。いつだって、先生が。
 ――小さく嘆息した島が、すっと波の横を通り過ぎた。
「おかしな人だ」
 通り過ぎて、真っ直ぐ、ケーキの前に立つ。
 疲れたのか眼鏡を外して、目元に指を添える。
「あなたのものを、あなたが勝手に食べるのに、断る必要なんてないのに」