情けない声でお伺い 前


 喋りまくっている永輔(えいすけ)の右目にある眼帯を遠慮なく見つめていたその男と彼女は、たまりかねたように言ったものだ。
「なあ、1つ聞いていいか」
「なんだよ」
「その独眼竜、どうしたの」
 永輔はふっと苦笑いしてみせた。
「ものもらいがさ、今朝起きたらマジ、ぱねぇ……」
 永輔が言い終わらぬうちにさっと右目の眼帯を奪った男は、やっぱり、と呆れた様子でとなりの彼女とおんなじ感嘆詞を漏らす。
「またやっちゃったの」
「……うるせえ」
 ひったくるように奪い返した永輔は、勢いで指を目に強く押し当ててしまい情けないうめき声をあげる。
 眼帯の下に急いで隠されたそこは、見事に円を描いて青黒く変色していた。
 高校時代からの友人であるはずの2人には、遠慮というものがない。
「てか、懲りないおまえも相当だけど、絵美(えみ)ちゃんも相当だな」
「わたし、そういう痣、生まれて初めて見た」
「おまえよっぽど、絵美ちゃんにひどいことしてんのか?」
「なんでかね」
 くちぐちに漏らされる声を聞いていると、余計に気がめいってくる。
 永輔は仏頂面で地面を睨みながら、口中毒づいた――知るか!

 永輔には絵美という彼女がいる。絵美と付き合い出したのは高校の頃で、その仲は学生になった今も現在進行形である。
 目の前の友人カップルとも高校からの付き合いで、4人はいつもつるんでいた。細かいことをいえば、恋人同士になったのは永輔と絵美のが先だ。残った2人を応援するようにあれこれ画策したことは懐かしい思い出で、あの時のことを思えば、2人は永輔に頭があがらないくらいの態度でいたっていいと思うのだが、現在、カップルとして先輩風を吹かせているのは、どう見ても後から付き合った2人だし、永輔はいつでも可哀想な目で見られている。理由はご覧のとおり、永輔が常に絵美の反感を買って制裁を受けているからである。
 しかし、絵美が永輔へ暴力にまで及ぶのは、ドSとか気が強いとかそういうことが原因ではない。言ってみれば絵美が暴力を使い慣れてないからで、つまるところ絵美が極度に性的行為を嫌がるからにある。
 可愛い恋人であるはずの絵美は、他の女性に意識をとばすと怒るくせに、永輔がちょっとでもおかしなことをしようとすると、遠慮会釈なしに突っぱねたというわけだ。
 普段はのんびりとしていて優しい気性の彼女も、永輔が欲望を垣間見せた途端、まるで汚物でも目にしたかのように素早く逃げる。恐怖とも嫌悪ともとれるような目線で、強ばった体と口を堅く閉じ、先ず永輔の自尊心をいたく傷つける。それでも諦めずに永輔が誘いをかけると、こういう結果になってしまうのである。そうなるともう、永輔も興ざめと言っていい。
 これはいったいどうしたものか。
 永輔にとっては死活問題にも等しい事態である。
 そういう永輔たちの状況を知っていてなお、友人カップルは永輔にずけずけと言ってのける。自分たちはそりゃもうと何の障害もなくやりたい放題ですよ、と暗に匂わせるその言い種が、永輔に追い討ちをかけているとわかっているくせに。大した友人もあったものだ。


 ほとぼりが冷めたかと思われた数週間後、永輔の目がようやく2つに戻ったころ、永輔はまた同じような仕打ちに合い、落ち込んでいた。
 その日、取り立ての免許で絵美をドライブに連れて行った後、おそらく永輔の男らしさに酔いしれてるであろう絵美に、性懲りもなく襲いかかろうとしたのである。ドライブとか車とかでテンションが上がってたのは永輔の方だった。しかし、絵美はおそろしいほどダダ下がりだった。口も聞けないほど驚いた様子で車を降りると、振り返りもせず一目散に走って行ってしまった。車で来ていたにもかかわらず、走って帰ってしまった。
 これには相当落ち込んだ永輔が、先輩カップル風を吹かせてる友人の男の方を強引に誘い、するめをかじり、新しいエピソードを悲劇的に語り、大いに絡み酒をしたのは当然だろう。
 その帰り。
 しこたま飲み食いし、愚痴を吐いてなお、胸のもやもやがおさまらない永輔は、とぼとぼと2人で歩いていた土手の道端にしゃがみこみ、とうとう地面の草を引き抜き始めた。
「俺とすんの、んなにやかね」
 頭がぼうっと霞がかってきて、まぶたが重く、視線が自然に遠くなる。
「絶対ないとダメなもんじゃねえんだろうけど、絶対なしでいいかって言われっと、困るよな」
 連れの方も真似して草をむしり始め、男2人で妙な姿である。
 永輔は大きく息をついた。
「俺、がっついてんのか?」
「もう1年だろ。それはねえよ…お前、絵美ちゃんびびらせるとかしたんじゃねえの」
「わかんね。けど毎回ああなんだから絵美にとっちゃそうなんかも」
 呟いて、自信がなくなる。永輔は草を放り投げた。
「なあ、お前らさ、初めてしたとき、どうだった」
 永輔に突然たずねられて、友人はしどもどする。やっぱり、何とはなしに話しているとはいえ、最初の頃のことなんか、あらためて語りたくはないものなのだ。でも、その最初すらない永輔には、わからない。
「どうって…まあ、世間並みというか」
「はあ〜…なーんか俺、自信なくなった。絵美とは別れた方がいいのかな」
「それってさ、やれないから別れてえの? 絵美ちゃんのことが好きな自信なくしてとかなの」
「……もう、全部わかんね。でもさ、俺が思うにさ、好きだからやりてぇってのあんじゃん。ダメって言われても、その実期待してっかもとか勝手な妄想で盛り上がって、チャレンジし続けちゃうわけよ。なのに絵美は絵美で、いつまでも諦めない俺のことが嫌だって思ってっかもしんねえし。そうなったら俺ら、永久に平行線だぜ? そんなのありかよ」
「いや永久ってことはないと思うけど…」
「男だから溜まるわけだし、ムラムラするわけだし。彼女がいんのに、いつまで右手? とか思うともうこの手も憎たらしいわけよ。このままじゃ俺、いつか絵美に悪いことする気がする。お手軽なチャンスが目の前に転がってきたら、乗っからない自信がねえ。こんなあるかねえかもわからんことに悩むくらいなら、きっぱり別れてお互いそういうので悩まない相手見つけたほうが精神衛生上よくね?」
「確かにこのままお前が一方的に我慢するのは色々しこりを残しそうだよな。もうすでに男としての自信を失いかけてる」
「…だろ」
 絵美とは進んで別れたくはないけど、次々と浮かんでしまう暗い考えに、自分の限界が近いと感じているのは確かだった。
 酒でぐらぐらする頭はもう、普段押し込めてる欲望でいっぱいになってる。
「ああーもう! すんげえやだ! なあ、これから風俗とか行かねえ!?」
「俺にそんな金はない。おまえが払ってくれるってんならいいけど」
「何言ってんだよ、おまえは普段やり放題なんだから、おまえがなんとかして俺の分も払うんだよ」
「無茶苦茶だな! おまえこそ、ホテル代もかかんねえんだから、金くらい余ってんだろ!」
「てめえは言ってはならねえことを言った!」
「てめえが勝手に言いだしたことだろ!」
 そうして唐突に2人は胸ぐらをつかみ合うと、草の上を転がって暴れだした。普段抱え込んでいた永輔の鬱憤が爆発して、その陰気な苛立ちは友人にまで伝染したのである。だが残念なことに、2人はだいぶ酔っぱらっていた。ぐるぐるとまわる視界に、いつしか腹立ちよりも気持ち悪さが上回り、気づけば2人して、隅に向かって吐いていた。ムカつきをばらまき終わって、先に矛をおさめたのは友人の方だった。
「待て、落ち着こう。悪かった。それより、こういうのはどうだ」
「あ?」
 まだもう一回くらいは暴れだしそうな友人をようやく気の毒に思い始めたか、友人は永輔の肩をがっしりとつかむと、真面目な顔でこう告げる。
「風俗でプロにご奉仕してもらうのもいいが、どうせなら、絵美ちゃんととことんまでいってからにしろよ。いいか、これが最後のチャンスだと思って、絶対に絵美ちゃんが逃げ切れない状況で襲うんだよ。そう、おまえとの愛をとるか、どうするかの究極の選択を迫るんだ。そのためには、絵美ちゃんをぐでんぐでんに酔っぱらわす必要がある。人は酔った時に本音が出るからな。え、そんなことができるかって? いや、ことは精子の死活問題なんだ。あいつらだってさ、ティッシュに丸め込まれて捨てられるより、やっぱ夢みたいだろ。おまえが毎晩股間と向き合うように、絵美ちゃんだってそいつととことん向き合う義務がある。違わないか? 大体、女なんて既成事実作っちまえば、後はどうにでもなるんだよ。だからもう、それでダメだったら、おまえが諦めても仕方がないことだ。おまえは悪くない。絵美ちゃんとは別れて、風俗への道を歩め。風俗王になれ!」
 永輔はなぜだかわからないが、この友人の言葉にいたく感動し、おおいに賛同した。それで2人は鼻息荒く具体的な作戦について互いに意見交換しあうことにしたのだった。破れかぶれな永輔は、もう既に盲目的に実行しなければならないと信じてしまっている。そして、ついさっきムカついたことなどすっかり忘れ、かたく肩を抱き合うほど、この友人をいいやつだなと感じている。
 しかしこの友人、永輔が思っていたよりも酔っぱらっていたことを、永輔は忘れていたのである。