必死な愛撫も空回り 前


 アタシはこれでも、自分がばかで口も悪いどうしようもない女だって重々承知してる。
 だけどさ。こんな滑稽な姿って、あるかよ。
 自分が情けなくって、マジで、みっともなくって。
 ――畜生
「――もういい。どうせてめえは、アタシを女となんか思っちゃいなかった。性別の上じゃ女ってくらいにしか、アンケートでどっちにまるつけるかくらいにしか、感じてなかったんだよ。ばかにしやがって。いいよ、あんたがその気がないってんなら、今日でお別れだ!」
 啖呵を切ってやる。
 目の前の男に。
 思いっきり、別れを切り出してやる。
 アタシが初めて心底惚れた男に。
 ばかやろう!


 遠い遠いジジババの代からの下町生まれ下町育ちで、女だてらに気っ風のよさと口の悪さが売りの18歳、それがアタシだ。名前は今時“菊”なんて化石みたいなのを、一人称を俺とか言うババァにつけられちまって、子供のころはなんだかんだと名前をばかにされちゃあ方々で喧嘩してた。これでよくまあ18年間ぐれずに済んだもんだと我ながら思う。
 むしろアタシはイジメとか卑怯な真似ってのが大嫌いになった。売られた喧嘩は片っ端から買う。女だからって引かねえ。これでもアタシは空手黒帯で、アタシのこと知ってるやつらは、アタシがすごめばそれで引く。もちろん、アタシを知らない他人でも見過ごさねえ。それがアタシの正義なんだ。
 だからその日、まだ高校生だったアタシが、学校の帰り道に数人の少年に取り囲まれてる気弱そうな男子生徒を見つけたときも、躊躇しなかった。そういうのに慣れてたアタシは、気軽に「おう、山田じゃん。みんな探してたぞ、早く行こうぜ」なんて、まったく知りもしない弱そうなそいつの肩を組んで、さっさとその場から連れ出そうとした。大抵、近くに大人数がいると知れば、取り囲んでたやつらも逃げるのが常套だから。突然のアタシの登場に、そいつは怯えたような表情で見てたが、アタシの強い力に引きずられるがまま、ついてきた。これでなんとかなったと思った瞬間、意外にも、囲んでたやつらが割って入ってきた。
「おい、てめぇなに勝手なことしてんだよ」
「マジ、女だからって容赦しねえから」
 気迫じゃアタシは負けねえ。
 ガンとばし返して、無視して行こうとした。そのアタシの前を、1人が遮った。
「――!」
 アタシはすぐに、寸止めなんて遠慮なしに素早い蹴りを入れてやった。ぐふうと呻いてうずくまったやつはもう捨てて、残りのやつに対峙しようと体を向ける。素早く攻撃し、そして逃げる。空手はつかまらないことが基本の1つだ。だからといって攻撃が弱いわけじゃない。今度は1人がアタシを前から、残るもう1人が斜め後ろから襲いにくる。対するアタシは、すぐに後ろの男に頭突きをかまし、前から腕をつかんできた男の斜めに体をずらそうと足を動かす。ずらした勢いで、腕をひしぐように関節技をきめるんだ。ところが予想外に、アタシの後ろに隠れてた気弱男が、足もとにしゃがんで、立派に邪魔してくれやがった。
「てめっ――!」
「ひいいいい」
 アタシの罵声に萎縮して、ますます動きを硬直させた男に、足をとられる。全身がひっくり返る。体をかわそうと出した手を、捻った。激痛が走る。ヤバい。急いで起き上がろうと体を転がす。蹴りをくらって逆上した男が復活しかかってるのが見えて、体が一瞬ひやりとした。このまんまじゃ2人ともお陀仏――
「もしもし、警察ですか――路上で少年が3人、女性を襲いかかっていて、場所は――」
「くそがっ」
「逃げろ」
 どこかから聞こえた通報の声に、少年たちは一斉に駆けてゆく。助かった。地面に座ったまま、アタシはキョロキョロとした。気がついたら、助けてやった山田もどっかへ消えていた。
「なんだよあいつ、礼のひと言もなしかよ」
「大丈夫ですか」
 通報していた男が、そっとアタシのそばにかがみ込んだ。アタシは遠慮会釈なしに、その相手を見上げる。随分大人で、渋いスーツを身にまとい、眼鏡をかけた優男。まあ、変質者じゃあなさそうだ。
「助かったよ。けど被害者も加害者もみんな逃げちまった。警察が来たって、もう、どうしようもないんじゃね」
「警察は来ませんよ。通報してないですから」
「――じゃああんた」
「手っ取り早く助けるには、これが1番でしょう。それに」
 あれ以上あなたが暴れたら、正当防衛じゃ済まないくらい怪我人がでそうでしたので。優男のくせに、生意気にもそんなことを言いやがった。アタシは怒気をこめて相手を睨みつけてやった。優男は気にした様子もなく、手を差し出す。アタシはその手を無視して立ち上がろうとして、うっかり痛む方の手をついてしまった。
「――っつ」
 顔をしかめ手首をさするアタシを見て、優男は困った顔をした。
「まさか、怪我をしたんですか」
「平気だよ。なんでもない。とにかく、あんがと。あんたがこなかったら、ヤバかった」
「その腕、早く病院へ――」
「うるせえな。大丈夫だっつってんだろ。あんたも余計なことにかかわってねえで、早く家帰んなよ。女子高生相手より、嫁さんが大事だろ」
「私は独身だし、最初に余計なことにかかわったのは、あなたなんじゃないですか。薬局がそこにある。とりあえず湿布を買いましょう」
「いいよ、ほんと。あいつら戻ってきたら、どうすんだよ」
「あなたこそ、どうするんですか」
「アタシは腕くらい1本使えなくたって――これがある」
 片足で立ち、もういっぽうの足を浮かせてぶらぶらしてみせる。優男は目を丸くして、それを見てた。
 アタシはニヤリとしてやった。
「あんたも、これ以上アタシにかまうなら、強烈な金的1ッ発くれてやろうか」
「――…」
 溜め息をついて、それからそいつは、急にスーツの内ポケットに手を突っ込んだ。出てきた手には、パスケースみたいなんが握られてて、中から1枚、名刺が差し出された。
「私は、こういう者だ。もしこの先、何か困ったこと、危ない目に遭いそうになったら、いつでも力になるから、電話しなさい」
 名刺には、何とか法律事務所ってのとあいつの名前が書いてあって、その上に堂々と、「弁護士」って肩書きがついてた。
 アタシはその名刺をしげしげと眺めて、それから、よく見たらあいつのジャケットの襟元に輝いてるバッジと見比べた。
「……」
 男は黙って、そんなアタシの様子を眺めてる。
 どうしてだろう、なんでかはわからない。でも突然、アタシはそいつを、優男のくせに、私は弁護士様々ですよ、なんて余裕ぶってる顔の男を、びびらせてやりたくなったんだ。
 だからアタシは、もちろん、寸止めするつもりで、でも素人目には恐ろしい蹴りを、突き出してやった。
 うわあああ、って叫んで、ひっくり返れ。そう思った。
 でも優男は――アタシの足の動きが早すぎて見えなかったのかなんなのか、にこにこしたまんま、その余裕ぶった表情を1つも変えずに――その場から動かなかった。
 アタシは――アタシは、そんな優男のほうにすっかり驚いて、そんで――なんでだかわかんないけど、急に熱くなった頬を隠そうと俯いて、言ってやった。
「気が向いたら、電話してやるから」


 その翌日から、アタシは優男の事務所に押しかけるようになった。
 猪突猛進、一直線が信条のアタシは、坂道を転げるように恋に落ちてた。ああそうだ、アタシは恋したんだ。
 聞けば優男は、弁護士の試験にも1発で受かった秀才らしくって、とりあえずエリートなんだってことを知った。顔立ちもまあ、渋さは足りねえけど、たっぱもあるし、それなりに見られるもんだから、アタシが事務所に行くと、秘書だかお茶汲みだかなんだかしらない姉ちゃんたちがいつも睨んで、忙しいだの邪魔するなだのつんけんしてたね。アタシはそんなの知ったこっちゃないよ。決めたと思ったら、決めたんだ。あいつに猛烈にアタックをかけることに躊躇はない。そりゃああいつは秀才でエリートで、対するアタシは柄も悪いし頭も悪い。でもそんなの関係ない。ひたすらあいつを落とすことに命をかけるんだ。
 んで、アタシのことをただの柄の悪い女子高生だと考えていたあいつは、ほとほと困り果てた様子で、いっつもアタシに説教たれてた。
「いいじゃん、あんた、恋人いないんだろ」
「そうですが――そういうことでなく」
「お互い恋人もいないし、なんの問題もないんなら、いいじゃんかよ」
「本当に本気なんですか? 私のことがその――好きだなんて」
「本気も本気、これのどこに偽りがあるってんだよ」
「しかし…その、危険な状況を回避した安堵感から、一時的な勘違いに陥ってる可能性が高いのでは、菊さん」
「その“菊さん”はやめろっつったろ!」
「でも、あなたの名前でしょう」
「嫌なんだよ! トラウマなんだ。なんか適当にあだ名つけろエリート」
「エリート…そんな風に呼ばれるいわれこそありません。私にもちゃんと名前がある」
「エリートだからエリートっつってんだろ、いいじゃんかよ呼び名なんてなんだって」
「ならば私があなたを“菊さん”と呼んでも差し支えないでしょう」
「それとこれとは話が別ってんだよ頭かってぇな。1回頭突きしてやろうか?」
「なっ――やめてください」
 机の上に片足で乗りあげて、エリートの前髪を勝手に押しあげると、エリートはあたふたアタシの手首をつかまえた。
「頭突きだなんて――そもそも、女の子がそういうことをするんじゃない」
「うるせえなあ、大体あんたは――お、なんだこの傷、でこに変な傷があんな」
「それは…子供のときに――そんなことはどうでもいい」
「はあ、頭打ってもエリート様はエリート様ってわけか。ご立派だね」
「話を逸らさずに、ちゃんと聞きなさい」
 少し怒ったように眉間に皺をよせて、エリートはアタシの手首を払った。同時に、はらりと前髪が落ちて、かすかな傷は隠れた。アタシは、エリートの、誰も知らないようなそんな小さな傷を知ったことに満足して、ちょっと優越感に浸った。
 エリートは慌てたように、そんなアタシに意見した。
「とにかく、あなたも私みたいなのにつまらない時間を割いていないで、ご自分の青春を謳歌することに時間を費やすべきです」
「これだって立派な青春じゃんか」
「少なくとも私は、女子高生と付き合うなんてそんな犯罪行為、犯す気はない」
「じゃあ卒業したらいいってことだな!?」
「そういうことでは――」
 なにか言ってたけど、アタシは言質をとったとばかりに、後は無視無視。高校さえ卒業すれば、もう子供じゃないってわけだ。エリート様は頭が痛いとでもいうように、額にてのひらを当てて首を振ってるのを、アタシはご満悦で眺める。
 そうして、アタシが無事高校を卒業し、進学すると、アタシはその言葉を盾に攻めて攻めて攻めまくった。そりゃあもうあのくそババァ直伝のしぶとさで追いまくったね。お陰様。ここまで紆余曲折いろいろあったけど、ようやっとエリートは落ちてくれたわけで、「降参」なんて両手をあげたっけ。ともかくそういう経緯で晴れてアタシたちは恋人同士になった、ってわけだ。ってのが前置き。


 長くなったが、それからも問題は山積みだった。エリートはやっぱりエリートで、堅物だったってこと。男女が付き合うっつったら、そりゃあいろいろ妄想もするだろ。女のアタシだって、やっぱ健全に、好きな人とはあれこれしたいと思う。そうしたいと願うのが当たり前で、男なら、手出してナンボだろと思う。だのに、エリートときたら、手堅いっていうか、職業柄なのか、もうどうしようもない朴念仁の塊でさ。エリートらしく一人暮らししてるってのに、部屋に入れても、絶対寝室とかには入れてくんねえし、泊まるなんてもっての外で、すぐ車で連れ返されちまう。ご飯時に酒を一緒に飲もうとすれば、すぐに「未成年が!」って取り上げるし、ちょっと色気を出した格好すりゃ「みっともない」なんて自分の上着着せちゃってさ。アタシに手を出す気配がいっこうになくて、無理くりもらえるのは、でこへの子供みたいなチューと、イイコイイコなんていう赤ん坊みたいな、アタシを宥めるためのおためごかしっての。そういうんばっか。物足りないが聞いて呆れる。
 相変わらず、エリートの事務所へ行くと、冷たい目でババァどもが睨んできて、自分たちはぴったぴたのスーツで色気ふりまいてるつもりかもしんねえけど、エリートはアタシに首ったけなんだっての! とアタシは舌を出す感じ。そのいっぽうで、だけど、エリートはいつまで経ってもアタシを子供扱いしやがって。全っ然女として、恋人として扱ってくんねえ。これじゃあ、事務所の女たちにばかにされても仕方ねえよ。女どもの感じは悪いけど、まあ見た目も人間だし、何よりエリートと釣り合う大人の女ってのだけは、確かだから。そういう想いが募るいっぽうだった。
 いくら堅物の、超がつく朴念仁だろうと、相手が大人の女だったら、陥落するのかね。いやもしかして、アタシ以外の女と、なにかあるのかも。
 だいいちエリートは、恋人であるアタシに、合鍵の1つもくれない。入りたい時は、いちいちやつに鍵を借りて待ってる。親の保護下にいる未成年が、合鍵なんぞもらって勝手なことをしてはならないなどともっともらしいことを抜かしてやがるが、穿った見方をすりゃあもしかして、裏で女となにかしてっから、知らないうちに入られるとまずいんじゃねえのか。
 もう付き合って随分経つのに、まともなキス1つくれないエリートに、徐々に女として苛立ち焦りを覚えたアタシは、エリートの家で、とある強硬手段に及ぶことを決めるしかなかった。って、わかるだろ?


「おっかえり」
「…ただいま」
 奇妙な顔で危ぶんでるエリートの様子を、アタシは上機嫌で無視する。
「すぐに用意すっから」
 そう言って、急いで台所へ消える。
「今日はエリートの好きな鍋だぜ」
「…食事なんて、作ってくれなくてもいいんですよ姫。あなたは…家政婦では、ないのだから」
「いいんだよ。アタシが好きでやってんだから」
 今日もエリートに連絡して鍵を借りてから、先に部屋へ行き、飯を作って待ってた。エリートがいないうちに、部屋のあちこちこっそり調べてみたりするのだけど、エリートはすごく綺麗に暮らしてるから、なにも出てこない。ついでにこっそり、やつのベッドでごろごろして幸せをかみしめたり、密かに持ってった、歯ブラシ同士をくっつけてみたりするのだけど、そのへんはまあ、内緒ってことで。
 エリートは、アタシと付き合うようになってから、アタシのことを“姫”と呼んでいる。少々こそばゆいが、本名を呼ぶと怒るアタシに、エリートがつけたあだ名はそれだった。なんだか姫っぽい名前だから、というのが理由だそうだが、エリートっても案外、あれなんだなと、アタシはちらと部屋に着替えにいっているやつの方を見て忍び笑う。これなら余裕だろ? な。
 着替え終わったエリートが戻ってきて、一緒になって食べる準備をすると、アタシはエリートの前にとびきりのポン酒とグラス猪口を置いてやった。
「…なんですか、これ」
「いいだろ、たまには。鍋にはやっぱ日本酒だろ」
「…」
「安心しろよ、アタシは飲まねえし。疲れて帰ってきたあんたを、もてなしてやってんじゃんか」
「……こんなお酒、どこで」
「まあまあかたいこと言わず」
 にっこり笑って、酒瓶を持つアタシを、いぶかしみながらも、エリートはグラスを持ち上げる。
 そのまま、エリートはゆっくりと酒を口にした。
 いっとくが、別に、この酒に変なもんが入ってるとか、料理の方になんかあるとかじゃあない。そりゃあ、基本、酒も煙草もやんないエリートは、飲めない口じゃなくても、アタシに気を遣ってんのかなんなのか、ほとんど飲まなかったし。飲みつけてないやつには、この酒は結構効くと聞いたけど。あ、ちなみにこの酒は、ババァの秘蔵をかっぱらってきたもんだ。バレたら、絞め殺されるだろうが、細かいことは気にすんな。
 ともかく、アタシはエリートにしっかり寛いでもらって、たっぷりアタシのもてなしを受けてもらいたいわけよ。
「美味しい?」
「ええ」
 弱くはないらしいが、ほんのり上気したエリートが、リラックスして食事を楽しみだしたのを見て、アタシはひそかにほくそ笑んだ。大事なのは、エリートが気をゆるめる、ってとこなんだ。
 それから、ほどほどに食べて、ほどほどに酒を飲ませて、片付けもそこそこに、食後の寛ぎみたいな雰囲気でソファに誘導した。そこでアタシはずっとつけっぱなしだったエプロンを外す。エプロンの下は、ちょっと胸の大きくあいたニットと、ショートパンツ。おっぱいは大きくはないけど、形は悪くないと思う。ブラで作った谷間を見せつけるようにしながら、たっぷり太ももをあらわにして、それを油断したエリートのももに乗っける。
 いつもより肌の露出の多い服装と、アタシのしどけないしぐさに顔をしかめたエリートが「そろそろ帰りなさい――」と言いだす頃合いを見計らって、アタシはエリートに飛びかかった。
「んなっ――」
「今日は帰らない」
「なにをばかなことを――」
「親にも言ってある。今日は帰らないって。だから泊めてよ、いいでしょ」
「ちょっと、姫――」
 まだ何か言いたがるのを押し込めるように、完全にエリートの上に乗り上げたアタシは、むりやりキスした。