好き好き好き、好きの表現


「飛んだ、いまぜったい、飛んだ」
「知らねえよ」
「ここです、ここ。べったりとついてます、おたくの菌が。おたくの憎たらしい口から飛んだ目に見えないバイ菌がうごめいてるのが、あたしにははっきり見えます。もうこのノートは使えない。早く弁償して。さあ新しいノートを買って。そして『大事なノートを汚してごめんなさい、あなたのノートにスカトロプレイがしてみたかったんです』と謝って」
「なにキモイこと言ってんだよ! 女がスカ…っ……とか言うな!」
 こっちの方が恥ずかしい言葉を、周囲にクラスメイトがいる状況で平然と吐けるこの眼鏡女がある種、羨ましいものである。全員が一歩遠のいたのが見えたのは自分だけだろうか。どう考えても、言ったこいつより、俺の方がひかれてる。
「まあ呆れた。毎日授業が終わると、ほとんど全裸になってはぁはぁ荒い息をあたしに吐いてくるド変態のくせに」
「誤解を招く言い方すんなよ! てかそれ水泳部の練習のことだろ!? おまえマネージャーじゃねえのか」
「それがおたくの言い訳? あんな恥ずかしいことしといて…ご立派ね」
 輪がまた一歩、遠のいた。
 どうしてだかわからんが、この女は平気でそういうことを言った。そして、その矛先はいつでも俺だった。教室でもどこでもおかまいなしに喧嘩をふっかけるのがこの女の趣味らしい。天気が悪けりゃ俺の日頃の行いが悪いせい。シャーペンの芯が折れたら、後ろの席の俺の鼻息が荒いせい。先生がヒートアップして授業が長引いても、テストで悪い点数をとっても、ぜんぶ俺のせい。なんでも亡くなった先祖が夢枕に立ってそう教えてくれたから、あたしには全部まるっとお見通しなのだそうだ。
 相手するだけ馬鹿を見る。
 俺はうがあと吠えてから、その場を逃げ出した。あんな頭のおかしい女に付き合ってる暇はない。担任に、資料室の整理をしておけと言い渡されている。それだってあの女のせいだ。あの女、俺が「制服の中身を透視してくる」などと薄気味の悪い告げ口をしやがった。先生は一瞬迷って、とりあえず俺に資料室の整理でもやっておけと言った。さっさとやんないとまた余計な仕事押し付けられてもかなわない。部活が休みの日くらいさっさと自由になりたかった。
 俺は1人、言われた資料室に入った。室内は床から積み上がった大量の本と、埃まみれの棚と資料で埋め尽くされていて、相当げんなりするものだった。さらにげんなりさせられたのは、どういうわけか、資料室にはあの女が先回りしていて、眼鏡の隙間から睨み上げるような目つきで、ぞうきんを握りしめていたことだった。
「どうしておまえがここにいるんだよっ」
「おたくのせいじゃない! おたくがこの部屋にひとりでなんて、どう考えても掃除しないで中庭の女子見て終わるに決まってるでしょ。今日は、園芸部女子が中庭の手入れをする日だし、体操部女子が走り込みで中庭通る日だし、テニス部女子だって中庭を通ってコートに行くし、ぎりぎり目をこらせば茶室の茶道部女子も見えるかもだし。おたくのような野獣の目に見つめられたら、いたいけな女子の心臓は破裂するに決まってるから。親切で、おたくを絶対に見張るべきですって先生に進言したのを、『じゃあおまえが一緒に掃除してこい』なんて。先生は教育者としてなにを考えてるのかしらねっ。こんな変質者といたいけな少女を1つ小部屋に閉じ込めて、もし間違いでもあってご覧なさいよ。おたくはどう責任とってくれるのよ。今すぐ結婚してくれるわけ? でもまあ先生の頼みっちゃあ仕方がないから、やるけど。言っておくけど、一歩でもあたしの半径30センチ以内に入ってみなさい。すぐにこの非常ベルを押してやるからね」
 先生はどうして、俺をこの女から守ってくれないのだろう。非常ベルを押したいのは、俺のほうなのに。
「そんなに嫌なら、俺1人でやるからおまえは出てけ」
「だめよ。今言ったでしょ。先生にも怒られるし、逃げられるわけないじゃない」
「チクったりなんかしねえよ」
「とかなんとか言って、やっぱりサボって女子を盗み見る気ね! まさか、1階の書道部女子まで見えるんじゃないでしょうね!? これはもう、あたしがしっかり見張るしかないわ」
「はあ?」
「どんなごまかしも見逃さないわよ」
 俺は頭を掻きむしった。意味がさっぱりわかんねえ!
 とにかくこんな空間、1秒でも早く終わらせて出るに越したことはない。俺は隅の方から本を片付け始めた。こう見えて、結構手早いんだ俺は。
 いっぽうで、あいつはなんだかんだ文句は言うけど、やってることといったら雑巾をもってうろうろするばかりで、俺がちょっとでも派手な動きをするとびくりと驚いて、積み上がっている箱を崩すという余計な作業を増やした。俺がどこにいても必ず視界に入ってそんなことを繰り返すものだから、さすがの俺も面倒くさくなった。
「もう邪魔だから、本気で迷惑だから、頼むからどっか行ってくんない」
「おたくこそ、さっきからチラチラ人のことを盗み見て、いやらしいこと考えてるんじゃないの」
「おまえが余計な作業増やすから気になって作業が進まないんだろ!? もう何にもしないで、座っててもいいから、せめて視界に入らないとこにいて大人しくしててくれよ」
「ははん、そういうこと」
 そこでこの女はくいと眼鏡を押し上げた。
「あたしにそんなに、見せたいわけ? 本をいっぺんにたくさん持ったり、積み上げたりも、あれでしょ。上腕二頭筋とか大胸筋がすごいってアピールでしょ? 言っておくけどあたし、筋肉にはうるさいから。まあおたくの筋肉なんて、あたし程度の知識がないと理解されないくらいにしか、ついてないから。自慢になんないから」
「なに言ってんだおまえ?」
「おあいにく様、あたしはおたくのことなんて興味ないの、そんな手には引っかからないわけ。筋肉なんて見せびらかさなくても、いつだってちゃんと見てるんだから。本当はおたくの顔とか1ミリも見たくないけれど、ちゃんと見張ってないとこっちが危ないから見てるだけだから。ああいやだいやだ、同じ空気共有しあってるだけでも相当卑猥なのに、どうして目まで合わせないとならないの」
「おまえ、なんなわけ。興味ない寄るなとか言って、いっつも俺にからんでくるし。部活も一緒だし。委員会も一緒だし。班も一緒だし。席も前後だし。嫌いなら相手すんなよ!」
「だ、だって! おたくのこときちんと見張ってないと、どこでどういう事件が起きるかわかんないし、他に犠牲者が出ても困るし、誰か他人がそんな被害に遭うくらいなら、あたしが先に犠牲になったほうがいいっていうか、これは自己犠牲の精神であって、そんなこともわからないわけ!」
「わかんねえよ!」
 わかるかよ!
 あまりに面倒くさくて、俺は八つ当たりでそこらへんの本を崩した。
 するとこいつもなにに興奮したんだか、真似して資料の山を崩した。
 俺らは次々に山を崩し始め、しまいには本棚に収まってるものまで引っ張りだし始めた。
 どっちが先かなんてもうわかんないけど、崩れた束が爪先に当たっただのそっちの方が痛かっただの言い合いになって、先生が様子見に来た時には俺たちは、片付けるはずをぐちゃぐちゃにした部屋の中、互いに紙を投げ合いののしりあい、バカだのタコだの小学生みたいな喧嘩をしていた。


「おまえのせいだかんな!」
「おたくのせいだからね!」
 互いに顔をそむけながら責任をなすりつけ、足早に歩く。
 キチガイ女のせいで、俺はすっかり夜遅くまで居残りで、資料室の整理をさせられた。もちろん、この女も一緒だった。また同じ過ちを繰り返すわけにはいかないので、今度は本当に先生の監視つきだった。最初は怒鳴っていた先生だったが、しぶしぶ片付けを再開した俺たちの声なき応酬に、「おまえら本当に仲悪かったのな」とひどく肩を落としていた。
「俺はてっきり、その逆なんじゃないかと思ったんだが――」
「「冗談はやめてください」」
 同時に同じセリフが出て、俺たちはまたにらみ合う。まあまあ落ち着けと、もう一度同じことやったら、お前らマジで帰さねえぞと脅されて、俺たちはようやく我慢する。
 それから、本当に片付くまで作業させられて、やっとのことで終わって解放されたと喜んでいた俺の喜びも束の間、先生は夜遅くて危ないからこの気の狂った女を送ってってやれなんて冗談にもならないことを命じてきた。俺は腹を立てて、危ないのはこっちであるからと断固拒否ろうとした。だけど先生は言うこと聞かないなら明日また2人にバツを与えるなんて言いだした。小部屋に何時間もトチ狂った女と一緒にさせられただけで死にそうだったっていうのに、また2人一緒なんて、これ以上なにを命ぜられても死ねる気がするじゃないか。こっそり逃げてもこの女が告げ口するに決まってるし。もう俺に選択肢はなかった。
 しぶしぶ。互いに教室に荷物をおいたまんまだったせいで、まず俺たちは教室に戻るところから一緒に始めなくてはならかった。だが、俺が先を歩けば、あいつが俺の前に出て、さらに俺が抜き返すと、あいつがさらに俺を抜き返す、という終わりのない地獄がやってきて、気づけば俺たちは全力疾走で教室へ向かってた。ぜぇはぁと息を荒げて、俺はどうしてこんな疲れることをさせられてるんだと、悲しくなった。電気のついてない廊下や教室は薄気味悪くて、この女の怨念がこもってそうで、俺はなんでもいいから早く抜けたかった。
「早くしろよな」
「そっちこそ」
 荷物をまとめてるうちになにか視線を感じて、はたと顔をあげると、やつが俺の方をじっと見てた。俺に気づくとやつはすぐに顔をそらしたが、何を見てたんだと自分を見下ろすと、制服のボタンが2つ、見事にとれかけてることに気づいた。
 おそらく、あいつとのくだらない時間のせいで、俺は身も心もぼろぼろになってしまったんだろう。
 ちくしょう、胸の中でぶつぶつ文句を言いながら、勢いよくボタンを2つ引きちぎった。
「ちょっと、なにしてんのよ!」
 途端に、キィキィ声が聞こえて、俺は顔をしかめた。
「うるせえな。おまえのせいでボタンが取れかかったから、なくさないうちにとっといたんだろ」
「だか、だからって! レディの前で服をはだけるなんて、この、変態! 露出狂! 孕むでしょ!」
 この女は本当に大丈夫なんだろうか。
 たかだかシャツのボタン2個はずしたくらいで、女じゃあるまいし。しかも最後なんかすごいこと言ってたよな。やっぱり救急車を呼ぶべきか。黄色いやつ。
「バカ! 最低! そんな、恥ずかしい格好で、一緒に歩かないでよ!」
「じゃあ1人で勝手に帰れよ! 俺はおまえなんかどうだっていいんだ」
「なに言ってんのよ、あたしになにかあったら、おたくが後悔するんだから。あたしはそうなったら先生も自己嫌悪に陥るかもしれないって、そこまで考えて言ってるの。なのになんなのよ、その格好は。しょうがないわね、いいわよ貸しなさいよ」
「なにをだよ」
「シャツに決まってんでしょ! 縫ってあげるから、寄越しなさいよ」
「な、いいよ! 帰ったら、母ちゃんにやってもらうし」
「そのままじゃ、一緒に歩けないって、言ってるんでしょう!」
「だから1人で帰れって俺は」
「先生が、一緒に帰れって、言ったじゃない。あ、あたしは、1人で帰りたいけど、先生の言うこときかないと、後が大変だから早くしなさいよ!」
 わあわあ言い合いになったが、3個目のボタンがとれたことで諦めた俺は、結局、その場でこの女が縫うことに同意した。針と糸とを出しながら、苦々しげな表情で、ぶつくさ文句ばかり言っている。人のこと露出狂とか言って、脱がしたのはおまえだろう。こっちは頼んでない。縫ってる間、服がないせいか、俺はなんか寒くなって、トイレに行ってくると出て行った。

 まあ俺としてはどうだってよかったけど、それにしてもなんなんだろうこの女の異常さは。もう何度目かわからない疑問を浮かべながら、トイレで用を足し、足早に戻る。さすがに、夜に1人、裸で校舎をうろうろしてるのは、気色のいいもんじゃない。そして、電気のついた明るい教室に戻ってくると、その光景を見た。見て、俺は固まった。
 だって、だって、この女の表情ときたら、恍惚というか、とろけてるというか、なんか、よくわからないが、すごく幸せそうに、頬をそれこそ薔薇色に染めて、やってることといったら、ひと針ひと針にこころをこめるよう、丁寧にボタンを縫っていたんだから。
 俺のこと嫌いで、あんだけ悪態やらひどいこといっぱいしといて、どういうことだ? え、どうやったらあんな表情できんの。え、なにシャツに頬ずりとかしてんの。
 そこで俺はふいに、気づいてしまったんだ。
 ――こいつ、嫌い嫌い言いながらやってること、まるで逆じゃね?
 そう考えると、なんだか、背筋に寒いものが走ったような気がした。
 ――あれ、もしかして、俺、なんかとんでもないことに気づいちゃった?
 けして裸なせいだけではない、さぶいぼが、全身をぞわわと覆う。
「…あのさ」
 急に話しかけたせいで、あいつはびくっとして、針を指に刺してた。
「ぎゃああ!」
「ちょっ――おい、大丈夫かよ」
「きゅ、きゅ、急に話しかけないでよ!」
 そうして、さっきまでとは180度違う、すごくムカついてます的な表情で、なに! と怒鳴るのだ。
「……」
 俺が黙っていると、なんなのよ! っと、声を荒げてくる。
「…おまえ、つん子?」
「はあ? なにそれ。新しいプロデューサーかなにか」
 ばかにしたような表情でもって眼鏡を押し上げてるが、もう俺は騙されない。
「おまえ、もしかしてさ、もしかしなくても――俺のこと、好きだろ」
「!!!!?????」
 この世の終わりだとでもいわんばかりの驚きようをもって、この女は持っていたシャツや針や糸を投げ捨てたが、俺はもう確信していた。こいつは、世にも最強の、ツンデレのデレのないつん子だ。
 ぜったいそうだ。
 そう思ってじっと見ていると、すっかり体をがくがくとさせて、じわじわと顔を真っ赤にして、もうどうしようもなくなってる女が浮かび上がってくる。
「うわ…俺、本当に救われないんだけど」
「な、なに、なに、なに、なに、なに」
「え、じゃあもしかして『おまえが縫ってくれた服を着て、早く一緒に帰りたい』とか言っちゃうと…」
「!!!!!!」
 がたんと椅子をひっくり返し、その場に尻餅つきそうな勢いでよろけてる。信じられない。俺は絶望的な気分になった。毎日毎日、気持ち悪い、意味不明のつっかかりは、全部好きで気をひきたくて必死になってた、こいつの愛情の裏返しだったというのか。本当に、本当なのか。
「あ、あた、あた、あた、あた、あた」
「てか、早く縫ってくんねえと、寒いんだよ。それとも…『このままおまえが人肌で、あっためてくれんの?』」
「!!!!!!」
 つん子は、奇妙なポージングのまま、落としたまんまのシャツを拾えずに、どうすべきか、わからなくなって、混乱してる。……存外、簡単なものだったのかもしれない。だって、あいつが恥ずかしがるようなこと、いっぱい言ってやると、こんな風に素直に大人しくなってるのだから。そうすれば、俺は今後、この女の暴挙に巻き込まれずに、済むのかもしれない。毎日毎日うるさいこと言われずに、静かに暮らせるのかもしれない。
 元来、物事をあまり深く追求しないタイプの俺は、もうつん子に対する考えを改めて、尊大にふるまうことに決めた。そして、今後、どうやってこの女をからかってやろうかと、そんなことまで考え出していた。


おわり