気持ちよすぎて気絶してた


「トモー、お茶入ったよー」
 わたしが声をかけても、トモはテレビ画面を凝視したまま「ん」とだけ返事して、まだコントローラーから指を離さず、必死でボタンを連打している。
「お茶が冷めちゃうよ」
「……」
「お団子も、焼きたてだよ」
「……」
「ねえったら…」
「……」
「トモがどうしても食べたいっていうから、伊勢屋のお団子わざわざ買って来たんだよ」
「……」
「食べないんなら、わたし全部食べちゃうよ」
 そこまで言うと、トモはぱかりと、その場で口を開けた。口に、つっこめという。
 わたしは毛が逆立ったようにびくりとする。
 愛しい恋人が好物の団子を抱えてやってきた休日に、この態度ってどうだろうか。
 トモはまだ学生をやってるが、同い年でもこっちはひと足先に社会人になって、ようやく巡って来た大事な休日でもある。
 わたしは無言でゲーム機の前まで行くと、いきなり電源ボタンを押した。
「…なっ……」
 突然暗闇に変わった画面に、トモの丸い目がぱちくりと瞬いている。あんぐりと開けた口はそのままで、太い眉がみるみるうちに寄っていった。
「はーい、美味しいお茶の時間ですよ〜」
 わざと軽い感じで告げたのは、べつに怒ってないからじゃない。でも、トモにはわかってもらえなかったようだ。
「…記録更新中だったのに。途中セーブもしてなくて。あんなのもう2度とできない神業だった。それなのに。それなのに」
「わたしが何度も声をかけたのを、無視するほうが悪い」
「なんで。なんで。俺はちゃんと返事した。口も開けた。ケイコは優しくない。俺が頑張ってたら、黙って応援してくれるのが彼女のつとめだ。なのに。団子を食べさせてくれなくて、俺の努力を無視した」
「ゆっくり眠りたい休日に、わざわざこうして早起きして、トモの食べたいものを買ってきてくれるわたしの、どこが優しくないっていうの?」
 するとトモは丸い目を必死に吊り上げてわたしを睨んだ。
「ケイコは最近冷たい。仕事仕事、社会人社会人って。学生の俺の気持ちを考えてみたことあるか? 彼女に疲れたばっかり連呼されて、電話もすぐ切られて、夜あいたいっていってもダメって言われて、土日やっと会えるかと思ったら、知らない人と旅行に行くとか。ケイコに放置されてる俺の気持ち、考えてみたことあるか?」
「あのねえ…」
 ここまで勝手な男って、あるだろうか。ふつう、逆じゃないの。わたしがむずむずと静かな怒りを募らせていると、トモはたった今ダメにされた記録を思い出したのか、ふるえる手をリモコンから離し、への字に曲げた口で団子を頬張った。
「前だったら…ケイコは…団子を櫛から外して食べさせてくれた……前だったらケイコは……俺のためならなんでもやってくれた…」
 むがもごと、まるで仇を見る目で団子を頬張る姿を見ていたら、無性に負かしてやりたくなって、わたしは残りの団子を全部自分の口の中につっこむ暴挙に出た。
「んなっ……!」
 今度こそトモを打ちのめしたのだろう。伊勢屋の焼きたて団子は、彼のじじむさい趣味の中でも一等星のごとく輝く、1番の好物のなのだから。
 思い知れ
 からん、と手にしていた櫛を床に落とし、まなじりに本当に涙を浮かべた姿は、ドラマでも見てるような気にさせる。
 トモは泣き虫だ。同時に、頑固で、融通がきかなくて、わがままで、ある意味ぼっちゃんで、自分勝手で、そして――
 くるりと背を向けたトモは、震える肩で言った。
「もう帰れ」
 その手にはふたたびコントローラーが握られている。わたしと仲直りするよりもゲームをやり直すほうがいいと考えたらしい。
「ケイコなんか、もう顔も見たくない」
「……わかった」
 テーブルに手をついて、わたしは立ち上がった。隅に置いたバッグを拾い上げ、部屋を背にする。わたしは本気で怒ると、なにも言い返さない。怒りもしない。ただ黙って消えるのだ。玄関で靴を履き、静かにノブをまわすと、後ろからものすごい勢いで追突された。
「ダメだ、ダメだ、ケイコはばかか! 俺が帰れって言ったら、帰るなって意味だ。顔も見たくないって言ったら、顔を見せるのがケイコの役目だ!」
 むちゃくちゃ言いながら、トモは目元を濡らし、鼻水まで垂らすんじゃないかという風情である。即興ざめだと言ってもいい。
「…あっ」
 しかしトモは泣くだけなんて殊勝な男ではなく、勢いその場でわたしを押し倒す。興奮で、わけがわからなくなっているのだろう。狭い玄関の、硬い床の上でわたしにのしかかって、犬みたいにわたしの口を舐めている。
 みたらし餡の味がする、なんて口にしながら。ケイコのばか、ケイコのばか、を呪文のように繰り返し。そんな子供みたいな態度のまま、わたしの服を剥いで、あっという間につっこんだ。なにするんだ、くそ野郎! だけどこんな時ばかりトモはひどく漢らしく、まなじりを涙と興奮で赤く染めながら、気が狂ったように腰を振っている。
「許すか、俺のことを、許すか」
「あ、あ」
「ケイコの阿呆ぅ、早く言え、早く、早く」
「う…っ…」
 なんて勝手で、なんてひどい男だ。泣きながら、でもやることはやってるなんて。
 トモの押しつける強烈に強すぎる自我は、泣いてるくせに弱さのかけらもない。まるっきりの駄々である。大人の強引な手段を使いつつも、子供が親に甘えてるのと同じなのだ。それは飼い犬が、全身全霊で尻を振って、全身全霊でわたしを愛していると訴えているのに似ている。
 一方的な押しつけがましいものなんか、爪先で弾いてやる。
「……」
 ――だけど確かに、わたしは全くの阿呆ぅに違いなかった。そんなトモのことがどうしようもなく男前に見えて、とんでもなく可愛いと思ってしまってるもの。いや、きっとまともな思考が働かなくなってるのだろう。強引なくせにねちっこいせめぎにあって、怒りよりも気持ちよくなってしまってるせいだ。もう全部どうでもいいことにして、今はこの快感に身を任せてしまうほうが楽だしいいんじゃないかな、なんて。徐々にシフト移動する思考に諸手をあげてその座を気持ち良さに明け渡す。
 それから阿呆のケイコは、わたしもトモのこと好き好き愛してるなんて考えながら、無意識に声をあげて啼くばかりの醜態三昧だったことを全部、都合良く押し寄せる波に乗せて忘れることにした。


 そろそろ理性を取り戻そうかと思ったとき、まだぐずついている男が色んなものでべたべたになったわたしに絡みついて、いつの間にか打ち身擦り傷だらけになった背中を揺さぶっているところだった。
(うわぁ)
 おのれのヒドい有様に、げんなりとする。
 それを、わたしがまだ怒っているのだと勘違いしたか、やわらかい髪の毛でわたしの頬や鼻をくすぐりながら、トモはケイコ、ケイコと呼ぶ。
 なんだかなあ、と見えぬように苦笑した。
 本気で怒らせるくせに、本気で怒らせたくないと願っている、この矛盾した人間を、わたしは手に負えない。
 どうしたものかと考えながら、それでも、わたしはそっと、トモの心地よい頭の毛をなぜてやる。
「ケイコ!」
 途端にぐりぐりと押し付けられた頬は、タレはタレでもヘタレがかかったしっとり団子のような肌触りだった。
「好きだ、ケイコ。好きなんだ」
「…まったく…」
「許すのか? 許してくれないのか?」
「……」
「許してくれないなら」
「…なら?」
「もう1度、」
「――待て待て待て待て…!」
 その場でもう一戦おっぱじめようとしたトモを慌てて押しとどめるが、もうなにを言ってもトモはきかない。だって、わがままだもの。
「せめて、ベッドで…」
 辛うじて聞き入れられて背中の痛みが多少和らいだわたしの顔には、すっかり諦めに似た甘い甘い餡がしみついている。
 トモは、泣き虫で、頑固で、融通がきかなくて、わがままで、ある意味ぼっちゃんで、自分勝手で、だけど。
 男前で、可愛くって、意外にエロくて、わたしのことが好きで好きで大好きで、離れたくないと言うのだから。
(わたしも…)
(そうとうイカれた…)
(ヘタレ餡団子)
 そう思ったところで、わたしの意識はまた、遠く離れていった。


おわり